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雨上がりに想う君。

部屋を出て一人で歩いた。
君との思い出をかき消すように、ただ何も考えず。
外はさっきまで雨が降っていて、雨上がりの独特な匂いが立ちこめている。
「雨上がりの匂いってね、ぺトリコールって言うんだよ!ギリシャ語で“石のエッセンス”って意味なんだって!」
得意げに話す君の姿が浮かんだ。
もうその姿を見ることは叶わない。


                             ***


ケーキ屋の前を通り、公園へと向かう君との定番の散歩道。いつもと何も変わらないこの景色が悲しい。変わったのは僕らだけだと思い知らされた。

ずっと一緒にいられるなんて呑気に思っていられるほど、僕も馬鹿じゃなかった。
でも、本当に終わりが来るとも思っていなかった。
始まりがあれば終わりだってある。
けれど僕たちは、そんなすぐに終わりを迎えたりしないと思っていた。

「ずっと一緒にいようね」
「当たり前でしょ?私、君じゃなきゃ嫌だよ」
あの時の言葉は嘘じゃなかった。
絶対。いや、きっと。
でも、嘘になってしまった。嘘に変えてしまったんだ。


                             ***


公園の角にある大きな桜の木。
さっきまでの雨で少し散ってしまった。
「あんなに弱い雨で散っちゃうんだね」
もし、雨が1粒だけなら散らなかっただろう。
たくさんの雨粒に打たれて散ってしまったんだ。
僕らだってきっとそう。
小さなことの積み重ねで散ってしまった。
「ごめんね」
濡れた花びらを手に取って、そう呟いた。


                             ***


君の思うような人にはなれなかった。
でも、変わろうとしていたの。
君を想っていたからこそ、君の理想に近づきたかった。
なにが足りなかったんだろう。
不安をかき消すくらいの僕の優しさか、君を包む強さか、それとも君への想いか。

「なぁ、答えてくれよ」
そんな僕の儚い願いは、雨の匂いに溶けていった。


                              ***


ふとアスファルトにできた水たまりが目に入った。
風を受けて、水面がゆらゆらとなびいている。
そこに映る僕はすごく歪んでいるように見えた。
「僕、忘れられない人がいるんだ」
「素敵なことじゃない?」
「え?」
「だってそれだけ想ってたってことでしょ?」
「まぁ、そうだけど」
「無理に忘れることなんてないよ」
そんな会話を付き合う前の君としたことを思い出した。
あの時からずっと卑屈なままの僕を見ているようで不快だった。
踏みつけて見ないふりして歩いた。


                              ***


君との思い出を忘れようと部屋を出て歩いた。
でも、忘れられなかった。
忘れようとしている時点で忘れられないんだろうなと、そう思った。
君が思い出される度、心が苦しかった。

僕の隣を離れた今も君はどこかで生きている。
僕が居なくても君が上手くやれていることが嬉しくもあり、君が僕を必要としていない事実に心が割れそうだった。


                              ***


君が教えてくれたぺトリコールが立ち込める街の中で、君が教えてくれたことを呟く。
「無理に忘れなくてもいいかな」
いつかちゃんと前を向いて歩き出すから。
君がいなくても大丈夫って胸を張って言えるようになってみせるから。
だからそれまでもう少しだけ。


君を想うことを許して。

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