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人生は大きく分けると2パターンある→ 自分で選択しよう!

人生は大きく分けると2パターンある。

ひとつは  <誰かに作られた人生>

もうひとつは  <自分で創る人生>

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<誰かに作られた人生>
一般的に常識と言われているもの。
『 中学 → 高校 → 大学 → 就職。 そして結婚、マイカー、マイホーム、子供ができて子育て… 』
知らず知らずのうちに、このようなレールの上を歩いている。
これは、誰かに導かれたもの。
誰かとは、親であったり学校の先生であったり、あなたを包む様々な環境であったり…。

<自分で創る人生>
自由に生きる。
自分で考え、自分で判断し、自分で創り上げていく。
「他人軸」ではなく「自分軸」で生きる。

   *

人それぞれの価値観によってどちらを望むのか、違ってくる。

どちらを選ぶか? 
それは、自分自身で決めるもの。

しかし、実際のところ 自分自身で決めているのだろうか?
 ↓
決めていない人が圧倒的に多いと思う。
そして、殆どの人が <誰かに作られた人生> に導かれているのだ。
僕もまぎれもなくそうだった。
(だから僕は今、そこから脱出しようとしている)

   *

<誰かに作られた人生> に導かれてしまうのは、仕方のないことだ。

みんな、それぞれの家庭に生まれる。
そして、その家庭での常識で育つ。
そして、学校へ行く。
今度はその学校での常識があり、その学校で教育が行われる。

『 中学 → 高校 → 大学 → 就職。 そして結婚、マイカー、マイホーム、子供ができて子育て… 』

安定の人生。失敗のない人生。

親や学校の先生は、無難な道を進めようとする。
もちろん、子どもたちのことを思ってなのだが…。

それはそれで良いと思う。

が、しかし、道はそれひとつだけではないことを分かって欲しい。
<自分で創る人生> があることを分かって欲しいのだ。

学校教育において
<誰かに作られた人生>
<自分で創る人生>

それぞれの意味、メリット、デメリット、リスク…等を子どもたちにしっかりと教えて欲しいのだ。

そして、子どもたちが理解した上で、自分の意志で選択する。
そんな流れにして欲しいと思うんだよね。

   *

<誰かに作られた人生>
本人の意思と関係なく、気が付いたらすでに用意されている。
誰かが “ 人生の型 ” を与えてくれているのだ。

自分で物事を構築する必要がない。予め用意されていた “ 型 ” にハマればいいのだから。
そういう意味では気が楽だ。

しかし、その “ 型 ” にハマらない場合もある。自分の思考や行動がマッチしない場合もあるのだ。
そうなると気持ちが窮屈になる。

更に、与えてもらった “ 型 ” の中で、本人が思うような結果にならない場合もある。
そうなると「こんなはずでは…」と思い、納得できなくなる。

自分で決めたことなら、例え失敗しても納得するだろう。
しかし、他人に決められた場合、失敗すると納得できず怒りになる場合もある。
この様なリスクもあるということだ。

   *

<自分で創る人生>
根底にあるのは “ 自由 ” 。
自分で考え、自分で判断し、自分で創り上げていく。
与えられるものではない。自ら掴み取るもの。

自分で物事を構築できる。
本当にやりたいことができる。
夢を追える。
ワクワクする。
自ら行動を起こしたい人にとっては、とても素晴らしいことだ。

しかし、自由に生きるということは、その分 責任も伴う。
“ 自由 ” とは「自らに由る」こと。
自ら = 自分
由る = それを原因とする

自分で判断し、自分で選択をするので、その結果に自分で責任を持つことになる。
見方によっては それはリスクなのかもしれないが、自由を求める人は それ以上にワクワク感のほうを優先するので、リスクと感じないのかもしれない。

   *

最後に、もう一度 同じことを言う。

学校教育で
<誰かに作られた人生>
<自分で創る人生>
この2パターンがあることを、しっかりと教えて欲しい。

今の教育では、ほぼ <誰かに作られた人生> しか教えていないと思う。
それだと、本当は  <自分で創る人生> のほうが向いている人が、不向きの <誰かに作られた人生> になり窮屈な人生になってしまう。

人それぞれ、適性な道があるもの。
なので、しっかりと教えて欲しい。
そして、子どもたちが自分で判断し、自分で選択して欲しいんだ。

   *

さあ、君はどちらを選択する?

僕は <自分で創る人生> のほうだ!


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