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初めての東北へ

~かなめさんを感じる石巻の旅~

    本日、9月11日はかなめ(涼風真世)さんのお誕生日。
かなめさん、お誕生日おめでとうございます!
昨年、お誕生日をお祝いし、感謝の気持ちをこのnoteに記したが、今年もまたこうしてお祝いすることができてとても嬉しい。
   
    宝塚在団中、歌劇誌等にはインタビューや自身のコメントで、かなめさんの故郷に関する記事がたびたび掲載された。
その中で、かなめさんは『夏の思い出は石巻の川開き』と答えられていた。
かなめさんと出会い、かなめさんを知るほど何故かその記事がずっと心に残り、私は訪れたことのない『石巻』という土地に、まるで故郷のような郷愁を感じるようになった。

    かなめさんの故郷、宮城県石巻市。
しかし、2011年「東日本大震災」がその美しい景色を一変させた。
それ以来、チャリティーソングである『花は咲く』をファンとともに歌い、そのメロディに精一杯の思いを託されているかなめさん。
言葉にして話されることはないが、想像を絶する悲しみを経験されたのではないかと察するに難くない。
しかし、かなめさんはしっかりと前を見据え、常に前進あるのみである。
だからこそ、私は『みやぎ絆大使』を務めておられるかなめさんの故郷を訪れ、この目に、この心に焼き付け、追悼の旅をしたいと願っていた。

    2024年8月某日夜、私は都内から高速バスに乗車し、次の日の早朝、石巻駅に到着した。
この日は偶然、私の誕生日。
『石巻駅』の文字を目の前にして、そんな日にかなめさんの故郷にいるという、その現実に驚きと感動で胸が一杯になった。
それは何度も思い描いていた景色である。
駅舎の屋根には一面、青く美しい石巻の空と海が描かれていた。
石巻には、宮城県登米市ご出身の石ノ森章太郎さんが、まちづくり事業として協力された『石ノ森萬画館』や、『いしのまきまんがロード』があり、駅前にはキャラクターのオブジェが所々にあった。

石巻駅
石巻到着後 初めて見た風景

    石巻漁港で朝食を頂くため、レンタカーを利用して漁港の食堂へ。
『石巻市水産総合振興センター』1階にあるこじんまりとした店内には、手書きのお品書きが壁一面に掲示してあり、そのメニューの多さに圧倒された。
券売機の前であれこれ迷うこと数分、日替わり定食の丼ものを注文。
朝の8時前ということもあり、周囲にはビジネスマンや地元の方々が食事されていた。
旅先の朝食に丼ものを頂くのは滅多にないことだが、三陸ならではの新鮮な海の幸と、米どころ宮城の美味しいご飯を頂いた。
海の恵み、そして漁師さんに感謝。
    店を出ると、目の前は石巻漁港の魚市場である。その広さには驚いたが、それもそのはず、岸壁の長さ(1,200m)は日本一、魚市場(875.47m)は世界一の長さを誇り、「世界一長い魚市場」として2021年にギネス世界記録に登録されたとのことである。
この時間では人の影もなかったが、あまりにもきれいに整備された市場が、むしろ震災当時の被害の甚大さを物語っているようだった。
かなめさんのお母様は、石巻の漁師の家にお生まれになったとのこと。
そしてかなめさんも「魚河岸のプリンセス」というドラマに出演されていた。
そんなことを思いながら、堤防の向こうに美しく広がる石巻の海を望み、ここで生活されている大勢の人々に思いを馳せた。 

石巻魚市場
壁面には魚の群れが描かれている

    車を20分ほど走らせ、門脇小学校へ。
かなめさんが転校する2年生まで通った、思い出深き場所である。
現在は閉校し、「石巻市震災遺構」として震災の被害状況をそのまま残し、開校当時からの貴重なものが数多く保存・展示されている。
真っ白だった校舎の外観は、津波による火災で黒くなり変わり果ててしまったが、年月とともにその白さが戻りつつあるという。
    入口を進むと、職員の方から順路などの丁寧な説明があり、当時使用されていたという体育館へ入ると、目に飛び込んできたのは、メチャクチャになった消防団のポンプ車両と、役場支所で使用されていた公用車。
津波でかなりの距離を流されたが、その後発見された。
役場支所は避難所となっていたが、退避して来た大勢の方々が、ここに押し寄せてきた大津波の犠牲となった。
この無惨に朽ち果てた車両を目の当たりにして、亡くなられた人々のことを思うと、私は胸が締めつけられるようだった。
ここ門脇小学校一帯を襲った津波の高さはゆうに6mを越した。
    順路に沿ってさらに進むと、被災した本校舎の内部が外側から確認できるように観察棟が建設されていた。
職員室やどの教室も、大津波によって押し潰され、さらに火災で燃えて原型をとどめていなかった。
そんな中、私の目を引いたのは校長室に残されていた真っ黒な金庫で、扉がこじ開けられた跡があった。ここには一週間後に卒業生に授与される予定の卒業証書が保管されていたが、大津波や火災にも負けずその時を待ち続けていた。
その卒業証書は、4月に行なわれた卒業式で無事、卒業生に授与されたとのこと。
こんな状況下にあっても、子どもたちに喜びと希望を与えたに違いない。   
    地震発生後、児童はいったん校庭に避難したが、津波が迫り来る中、先生方のとっさの機転で"教壇”を校舎の外に運び出し、山の斜面に渡して子どもたち全員を無事、裏山へ避難させることができたという。
その現場も当時のまま残されていて、見せて頂くことができた。
その他、映像やプロジェクションマッピング、防災クイズを利用したスタンプラリーなど、震災からの学びを自身のものとして考える工夫がされており、とても勉強になった。
    再び外へ出てみると、この広い校庭に子どもたちが飛び出して来て、思い思いに遊ぶ楽しそうな声が聞こえてくるような気がした。
ここで子ども達の声を聞くことはもうないけれど、希望を抱き、ここから巣立って行った大勢の子どもたちがいる。
そして、この場所はかなめさんにとって学び遊び、思い出を刻んだかけがえのない場所だったに違いない。

門脇小学校の思い出

    この後、復興のシンボルである『がんばろう!石巻』の看板のある「南浜津波復興祈念公園」で、亡くなられた方々のご冥福を祈り、北上川沿いにある『いしのまき元気いちば』へ向かった。
吹き抜けの日差しが射し込む明るい店内には、石巻の農産物や土産物が所狭しと並んでいた。
食事やバーベキューを楽しむこともでき、市民の憩いの場にもなっている。
    対岸の"中瀬”には、白いドーム状の『石ノ森萬画館』が見える。
この付近は、かなめさんがお母様とご一緒に来られていた場所。
その当時とは景色がだいぶ変わっていると思うが、かなめさんが『懐かしいね』と仰って、お母様と二人、空を飛ぶカモメを追いながら海を眺めておられた姿が忘れられない。

「いしのまき元気いちば」より対岸の中瀬を望む

    いったん石巻を後にして女川町へ向かった。
女川も津波の被害がとても大きかった町だ。
立派な駅舎と、駅前のプロムナードから「道の駅おながわ」(シーパルピア女川)のテナントが軒を連ね、その向こうには女川港が見渡せた。
    テレビ番組「孤独のグルメ」(久住昌之さん原作)で紹介された海鮮料理店がこの付近にあると聞き、こちらで昼食を頂いた。
バラエティに富んだ旬の海鮮料理が味わえる、とても素敵なお店だった。
お土産に頂いた巻貝を手にして、再び石巻へ戻った。
    ホテルに到着し、部屋で休憩していると、タイミング良く、窓からブルーインパルスの展示飛行が見えた。
隊列になって、大空に美しい軌跡を描きながら一糸乱れぬフォーメーション。
その命を賭したパフォーマンスは、復興を支える人々を讃え、私達にも感動と希望を与えてくれる。
私は今日という日を、ここ石巻で過ごせた喜びを感じながら、飛行隊の皆様へ心からの感謝を伝えた。

忘れ得ぬこの文字にも想いが溢れる
ブルーインパルス
(松島基地所属のアクロバット飛行隊)

    ブルーインパルスの展示飛行が終わり、早めの夕食を済ませると、徒歩でホテルから数分ほどの河岸の方へ向かった。
目当てはもちろん、念願であった、かなめさん思い出の『石巻川開き祭り』、そしてそのメインイベントである花火大会である。
からだの芯に響く、ドーンという音とともに花開いた光の粒が、大空に弾け散って消えていくさまが例えようもなく美しく、いつしか涙が溢れていた。
苦難の中、今日まで復興にひたすら努力してこられた石巻の皆様、そしてこれまで復興に携わってこられた全ての皆様へ、感謝を込めた光の芸術。
遠く東京の地にいらっしゃるかなめさんにも届いて欲しい、いや、必ず届いているに違いない…
祈るような思いで見上げる夜空が、また涙でかすんでしまった。
夜も更けて、会場から帰る道すがら、大勢の人々の話し声を聞きながら、面識もない皆様と場を共有したその一体感に心が和み、まるで故郷に帰って来たように温かい気持ちになった。

光の芸術が石巻の夜空を彩る

    翌朝、窓から見える石巻の青空に見入っていると、ちょうどブログでかなめさんから朝のご挨拶が届いた。
この石巻の空、そしてかなめさんの東京の空は繋がっている、と改めて実感するひととき。

    朝食を済ませ、後ろ髪を引かれる思いで石巻を後にして仙台へ。
余談ではあるが、高校時代に家族旅行で乗った新幹線の車中、乗り合わせた女性の方が仙台にお住まいで、『仙台はいい所だから、是非いらしてください』と仰ってくださった言葉が、何故かずっと心に残っていた。
かなめさんのお母様も住まわれていた仙台。
もしかすると、かなめさんとその方が、私をここまで連れて来てくださったのかもしれない。
    仙台駅は夏休みということもあり、キャリーケースを引く大勢の人々が行き交っていた。
強い日差しの中、汗だくで歩いていたが、広々とした青葉通りのけやき並木が、みずみずしい新緑の光を放ち清涼感を与えてくれた。
私は最後に、その絵のような一枚をカメラに収めた。
昼食を頂き、今回の旅で経験し感動した様々な思い出に浸りつつ、私は帰途に着いた。

仙台青葉通り

    初めての東北旅━ 。そして石巻。
天候にも恵まれ、常にかなめさんとご一緒しているような、心が暖かく満たされた旅。
そして何より復興の一助になれば、との思いで訪問した旅でもあった。
またいつか、もう一度訪れたい場所。
いつまでも心に刻み付けておきたい、石巻での思い出。

    現在、「モーツァルト!」の舞台で、心新たに、さらに限りなきチャレンジを続けていらっしゃるかなめさん。
この長丁場の公演をお元気で、そしてかなめさんらしく、大千穐楽まで完走されることを、心よりお祈りしている。

この佳き日に、敬意と感謝を込めて。
2024年9月11日

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