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わたしごと4

父と最後に会った(と言うか顔を見た)のは何年前か忘れてしまった

時々叔母と電話する時に様子を聞く事があるくらいで、相変わらず叔母や兄に迷惑をかけているという内容しかなかった

私の子供達はもう成人になったというのに赤ちゃんの時にたまたま1回ほどしか顔を見た事が無いし子供達の中のお爺ちゃんという存在は主人のお父さんしか居ない。

父が怖かった私は結婚当初、義父という存在に戸惑いしかなくてどうしたら良いか何を話したら良いかもわからず義母にもどう対応したら良いかわからず
会いに行くと神経が張り詰めて、帰宅後は必ず高熱を出して寝込んでいた。

しかしありがたい事に義父母は私を家族として大切にしてくれて子供達にも愛情いっぱい注いでくれたし、義弟は私を慕ってくれて当初から親や主人に言えない相談は私にしてくるし、よく耳にする嫁姑問題は全く関係なく
義父が亡き後もずっと信頼関係は続いている。

先日、田舎の叔母が桜🌸の時期に京都へ来たいと言ってやって来た
父がまた入院したが今回は長くなりそうで本人が自分の代わりに桜🌸を見て来てくれと頼んだらしい
今まで苦労をかけて来た叔母に初めて費用まで出してそんな事を言うなんて・・・と、もしかしたら長く無いのかもと少し前から叔母と話していた

いろんな女性達や子供達や身内に散々迷惑かけて押さえ込んで来た父が
もしそうなった時は葬儀もせず新聞のお悔やみ欄にも乗せず、ひっそり兄と叔母と私だけで火葬場へ行こうと話し合っていたので準備は出来ていた。

いよいよその時が近いのかもな・・と今まで自分が生きて来た辛い思い出を振り返っていたら、より鮮明に今の自分が幸せであると実感してなぜか目の前が明るくなった気がした

その時に私の頭の中で浮かんだのは

幸せだと感じる気持ちは苦しかった時代を生き抜いて来たからだな、そもそも幸せを強く感じる為の悲しさだったかも知れない・・・あ・・根本的に私が産まれたのは誰のおかげ?
例え愛情が貰えなかったとしても兄や私が産まれる為には両親という存在が無ければ絶対に産まれて来れなかったし、今の幸せと言える状況は無かったんだ・・どんな親だとしても関係ないんだ・・今の自分が全てで結果なんだ!

自己啓発でも我慢でも本の知識でもスピリチュアルな考えでも何でも無く
私は「その時が来たらちゃんと感謝して別れよう」という気持ちが心の中から湧き上がった・・

しかし思いのほか早くその時が来てしまい、よりによって自分がスタッフもしている屋外イベントの最中に兄から今晩が山らしいと電話があった

内心静かに動揺しながら自分のブースを出てあちこち歩き回って出店者さんと話したり、占い師さんと話したり気持ちを紛らわせていたのかも知れない

少し前から身体の調子は良いとは言えず右腕も激痛が走っていてロキソニンがないと寝られない状態だったし
イベントの日は雨が降って身体も冷えていた

打ち上げも行かずに速攻で帰宅して
お風呂でボーっと何も考えず
夜中に知らせがあるかも知れないと過ごしたが、次の日の朝に珈琲を飲んでいたところに叔母から「今息が止まりました」と連絡があった。

やはり涙は出ず、何故か小さなため息ばかりが出る中で自分の家族に連絡して次の日に田舎に行く事を伝えた
それからはなぜか涙が出そうな感覚に襲われるけど涙は出ない・・悲しいのかもわからない感じ。

子供達には留守番を頼み、次の日の午後から片道5時間主人と田舎へ向かい、着いた頃にはすっかり夜で全てが終わっていて実家のお仏壇に父の喉仏だけが入った小さな骨壺があった。

遺影には昔怖かった頃の面影が残った写真があって、あんなに格好付けていた人が何年も会ってない間に老けた顔の写真だったらどうしようと、訳わからない不安は消えてホッとしている自分が居た。

この日、叔母は仕事が休みの日で
兄は結婚記念日で一足先に帰宅しており
私は前日までもげそうに痛かった右腕が
薬のおかげで落ち着いており
主人は1日だけ仕事の都合をつける事が出来た

何となく、父が皆んなに送って欲しかったんだろうと感じた。

時々笑みも出ながら談笑を交えて話していざ仏壇の前へ座ると、叔母も主人も静かに私の後ろに座った
声を出さずにしばらく自分の中で父に来た事を報告して話しかけて最後に声を出して

「ありがとうごさいました」

ちゃんと言えた
ちゃんと今日来てありがとうと言えた
叔母がサッと涙を拭うのが見えた
私の口から父にありがとうと出た事に
何か感じたのかも知れないけど

後で聞いたが
兄も父の亡き後の後始末をしながら
叔母が「最後まで大変だったな」とねぎらうと
「いちおう親だからね」と穏やかに笑ったらしい。

1泊だけして次の日の朝にはまた帰宅しながら、私はとてもスッキリとしている自分に気がついて「不謹慎かも知れない」と思いつつもありがとうと言えた自分に満足していた。

帰宅して次の日、田舎ではまだ施設に残った父の所有品などを兄と叔母が片付けていて時々メールで報告を貰っていた

「今日布団を引き取りに行ったら、敷布団の間から何が出て来たと思う?」と叔母から連絡があり
「あんたがお仏壇に備えた飴と同じのが出て来たよ!!お兄ちゃんとびっくりして早くあんたに知らせないと!って」

やっぱり欲しかったんだなと思った

その飴は昔の物で今はなかなか売ってないけど近所のお店は仕入れが少し変わっているからと探してみたら幸いにも見つけた物。
最初に私が手にしたのはその横の飴で父が好きだと言ったのを子供の頃聞いた事があったからだが、レジに向かう時に軽く店内を一周したら
さっき買うのを辞めた飴が値下げして置いてある・・他のは置いてないのに・・

その瞬間「わかったよ、これを買えって事だね」と独り言を言いつつ結局買ったのだ

きっと最後までその飴が好きで買っていたんだろう。

破天荒で家族や身内の誰1人幸せにしなかったかも知れないけど、これからは見守っていく事が出来るはず
私はそう思って何度も父に叔母と兄を守って欲しいと話しかけている。

長々とわたしごとを4回も続けたけど
もし最後まで読んでくれた方がおられたらそれこそ感謝しかありません

自分の為に書いて吐き出しました




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