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2023 北京GPF 技術と採点の限界突破


採点激辛だったNHK杯2週間後、フィギュアスケートシーズン前半のビッグイベント・グランプリファイナル(以下GPFと略)が北京で開催されました。NHK杯とは打って変わった甘い採点で、「ほらやっぱりね…」と皮肉な心持ちにさせてくれました。

実は私は今大会、北京まで観戦に行っておりまして、テレビ放送をご覧になっていた方とはまた違った印象を受けたのではないかと思います。日本の放送録画を全部視聴した上で考えをまとめようとすると来週の全日本選手権が始まってしまうので、前半は現地でナマの演技を見て感じた想いを、後半は現在の採点システムに対して抱いた疑問を過去20年の採点データと共にまとめてみました。


中国現地観戦の空気感


私が試合に連日足を運べるようになったのはここ数年なので、海外観戦はこれが初めてでした。会場は北京オリンピック公園内の国家体育館。北京五輪のフィギュアスケート会場・首都体育館とは別で、アイスホッケーの競技会場だった場所です。

北京オリンピック公園内 国家体育館 

18000人収容可能という大規模な箱のため、平日は空席が目立ちましたが土日は3階席以外ほぼ満席ですごい熱気でした。

土曜日の観客席(男子ジュニアフリー6分間練習開始直前)

現地観客は演技中に目の前横切って着席するわ携帯着信音はあちこちで鳴るわ電話に出るわ動画撮影禁止アナウンスは誰も守る気無いわーとかなりフリーダムな観戦スタイルでしたが、異国の習慣が違うのは当たり前なので文化の違いを興味深く楽しみました。スタンディングオベーションする習慣がないところ&国旗振っての応援禁止なのは違和感強かったですけどね。

(初日に男子ジュニアの応援にスタンドの関係者席に座っていた坂本花織選手たちが日の丸振ってたのは見たのですが、どうやらその後国旗没収されちゃったとの噂。私は没収された瞬間は見ていませんでしたが、確かにそれ以外に客席で国旗を振る人は見かけなかったです。国旗をデザインに用いたお手製応援バナーも係員に見つかると即没収?だったそうでいやはや…)

観戦スタイルは大きく異なりましたが、会場のファン達の反応は日本と共通点がたくさんありました。

・6分間練習で男子選手が4回転アクセルや4回転ルッツを降りた時、ジュニア女子がトリプルアクセルを降りた時には会場から一斉に歓声があがる(ジャンプを見分けられている)
・選手の演技開始前には選手のニックネームを叫ぶ人があちこちにいる
・選手の国に合わせて「アレー!」「ガンバー!」「ファイティン!」と応援の言葉を使い分けている
・会話の端々に選手名だけでなくコーチの名前までがちらほら聞こえてくる
・アイスダンスでツイズルが乱れると「アイヤー」と残念そうな声が上がる
・スタンドの関係者用席に競技を終えた選手が座り始めると「あそこに〇〇選手が!」とザワザワする

「どこのスケオタも同じねw」って、だんだん互いに親近感が増して行きました(笑)。

私は通し券を取っていたので毎日同じ席だったのですが、周囲には通し券利用者が多数いました。中国語話者同士は徐々に仲良くなっていき、熱心にスケート談義をしているようでした。中国語を話せない私にも最終日には隣の中国人女性が「Welcome to Beijing!」と声をかけてくれて、北京グランプリファイナル2023の記念バッジをくれました。国旗没収はさすがにやり過ぎじゃないかと思いましたが、会場の観客同士の雰囲気と観客がスケーター達に送る声援は終始暖かかったです。

アイスダンス勢のメンバーは豪華でしたし、男子シングル女子シングル共にダブル表彰台で坂本花織選手がGPF初優勝、ジュニアでは島田麻央選手&中田璃士選手がそろって逆転優勝ーと見どころはたっぷりでしたけれど、今回の記事では男子シングルのみを取り上げ、北京での観戦記はいずれ改めて別にまとめるつもりです。

好演技の連続だった男子シングルSP


私が長く応援している宇野昌磨選手は珍しく2番目での滑走となりました。男子シングルが始まる前にジュニアの男女シングルSPが行われており、今大会のジャッジは回転不足認定はさほど厳しくない…というかかなり緩め?なことは推察できていました。怪しいなと感じたジャンプもほぼ全て認定されてるような得点でしたしね。

GPFや世界選手権などの大きな大会は緩くなりがちですから「やっぱり」といった感じでした。とはいえ例外もあるし、ジュニアとシニアで基準を変えてくることがないとも言い切れないのでスコアが出るまでは正直不安でしたけどね。

宇野選手の今季のSPの演技は安定しており、今季SP平均スコアは男子シングル選手中トップです。4回転フリップの出来栄えはNHK杯の時の方がよかったかな?と思いましたが後半の4-3が美しく決まったため、今シーズンのパーソナルベスト更新となりました。鍵山選手もクリーンに決めてきました。4-3の加点が前回ほど伸びなかったこともありスコア更新とはならずでしたが、二人とも2試合連続での好演技でした。

最終滑走のマリニン選手がSPで4回転アクセルに挑んでくるだろうことは6分間練習からも明らかでした。SPではダブルアクセルまたはトリプルアクセルが必須で、他に2連続コンビネーションジャンプと3回転以上の単独ジャンプ1本を跳ぶ必要があります。「後でトリプルアクセルを跳べば4回転アクセルは単独ジャンプ扱いになってルール上OKなんだろう」と事前に思っていたので、現地では素直に「うぉ~ついに4回転アクセルがSPでも!!!」と無邪気に騒いでいました。

テレビ放送や配信で出ていた得点表示カウンターでは採点ソフトが4回転アクセルを「アクセルジャンプの規定違反」と判断してしまったために「×」マークが出て0点表示になってしまい各国の解説者たちが混乱していたことはホテルに戻るまで全く知らずじまい(苦笑)。


PCS(演技構成点)差は妥当だったのか


ただ、マリニン選手のPCS(演技構成点)に44.37点も出ていたのには「?」となりました。宇野選手は47.11、その差は2.74点です。

http://www.isuresults.com/results/season2324/gpf2023/FSKMSINGLES-----------QUAL000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf より

鍵山選手のPCSは45.63、差はたった1.26点しかありません。
「いや冗談でしょ?」って思いました。

http://www.isuresults.com/results/season2324/gpf2023/FSKMSINGLES-----------QUAL000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf より

鍵山選手のスケーティング能力評価はシニア参戦間もないころから高く、現世界王者の宇野選手と互角あるいはそれ以上のPCSを取れる選手です。初出場だった2021世界選手権SPですら43.10を出し、2022北京五輪SPでは47.21、2022世界選手権SPでは47.07と、クリーンな演技をした際には50点満点に近いスコアを出せます。今回のGPFのSPは怪我前と同じ4回転2本構成に戻してきているうえ、以前と比べて明らかに表現力も滑りも進化しているように思います。今回の宇野選手のPCS47.11に迫る点数が出てもよい演技だと感じました。

マリニン選手は高難度ジャンプ前でも助走が短い方ですし、今季は着氷時の乱れが少なくなってジャンプが安定してきています。ステップの中にアスレチックで派手な動きを取り入れて「魅せる」能力が高まりました。なので昨年のPCSより点が上がるのは当然かと思います。

ただ、今回出場した選手たちの滑りをナマで見比べると、彼の滑りそのものの質は明らかに見劣りするのです。4回転アクセルという超難しいジャンプに挑んでいるせいか後半はスピードが落ちてステップはもっさり感が終始抜けず、ステップ中に入れている回転技のラズベリーツイストも過去大会に比べるとキレが今一つな印象。それでもステップのレベル認定要件はきっちり踏んでくるところはさすがなのですが、昨季のさいたまワールドの頃と大差ないんじゃないか?と思ったぐらいスピードが欠けていると感じました。

それでも一つのジャンプミスが致命的になるSPに4回転アクセルという大技に挑み実際に決めたのはすごいことです。本来TES(技術点)に連動してはいけないはずのPCS(演技構成点)にご祝儀点みたいなのがついちゃうのは人間が採点している以上やむを得ないのかな…どのみち男子はフリー勝負なんだしーとこの日は自分を何とか納得させました。

何よりSP終了後の宇野選手のインタビューが凄くよかったですからね。本人たちがこの闘いを楽しんでいるのだから、外野は静かに見守ろうと思えました。「やってられないw」とは言ってましたが、選手たちの空気感が凄く居心地がいいんだなというのが伝わってきたのはよかったです。


「まさか」が相次いだ男子フリー

宇野選手もSP後のインタビューで語っていた通り、多数の高難度ジャンプに挑む男子シングルはジャンプの成否によって20点ぐらいの点差すら簡単にひっくり返るバクチ勝負的な部分があります。フリーは「まさか」の連続でした。

  • アダム・シャオ・イム・ファ選手

今季前半絶好調だったのにSPで「まさか」の4回転ルッツすっぽ抜けをしてしまったアダム・シャオ・イム・ファ選手ですが、フリーの演技次第では表彰台に乗るチャンスは十分残されていました。

フリーは万全ではなかったにせよ、そこそこまとめきって浮上。今季前半の演技に比べたら精彩は欠きましたが、フリーでは「まさか」は発生せずに済みました。今季前半あまりにも好調が続きすぎていて逆に心配していたのですが、やはりピークを維持し続けるのって難しいんだなと思いましたね。

しかしその後は本当に「まさか」の連続で…心は削られまくりましたね。

  • ケヴィン・エイモズ選手

ケヴィン・エイモズ選手が序盤のジャンプで転倒して腰を強打、後半のジャンプをほとんど跳べなくなってしまったのはショックでした。北京まで見に来た理由の一つが「ケヴィン・エイモズ選手の今季フリー”ボレロ”をナマで見たい!」だったので…。

最後のコレオシークエンスは何とか気迫で魅せてくれましたが、キス&クライで笑顔を必死で作っている彼の姿はとてもつらかったです。怪我をしたのではないかとかなり心配したのですが、翌日のエキシビションでは3回転ジャンプを普通に跳び、昨日のフランスの国内選手権SPで通常通り演技していたので幸い深刻なダメージはなかったようです。欧州選手権と世界選手権では素晴らしい「ボレロ」を見せてほしいです。

  • 三浦佳生選手

そして三浦佳生選手もSP後に「まさか」の胃腸炎。前日も当日も公式練習には姿を見せずで「出られるような状況なのか?」と心配していた中、6分間練習に出てきた三浦選手は顔面蒼白。誰がどう見ても体調不良の人です。町を歩いてたら「大丈夫ですか?」と声をかけるレベル。

いつもなら6分間練習は一番応援している選手ばかりを見てしまいがちですが、時折目の前を横切る三浦選手があまりにも苦しそうにしているので目が自然にそちらに行ってしまいます。

こんな状態で4分滑り切れるのか?と心配したのにほぼ予定通りの構成を大崩れはせずに滑り切ったのはとんでもない精神力ですね。いつもの彼の滑りとは程遠かったですが…まぁ体調が万全でない時でも滑り切る試合という経験にはなったのかもしれません。来週末の全日本選手権までに体調が回復していることを祈ります。


  • 鍵山優真選手

続いて登場したのは鍵山優真選手。アダム選手がそこそこまとめたので、鍵山選手も一定レベルでまとめていかないと表彰台には乗れません。ちょっと固いかな…?と思ったのですが、鉄板だと思っていた冒頭の4回転サルコウでまさかのすっぽ抜け。これには本当に驚きました。鍵山選手はトリプルアクセルが抜けてしまうことはちょこちょこあるので、何かミスするならトリプルアクセルの時であって、4回転サルコウでミスするとは考えてもみなかったからです。

しかしそのあとは2本のトリプルアクセルを含む予定構成をきっちりこなし、ステップでは宇野選手と同様今大会最高評価となる5.46点を獲得。フリーは4位でしたがSPでのリードが生きて表彰台確定となりました。

試合後に過去の採点データを調べてみましたが、私の記憶通り鍵山選手が4回転サルコウが抜けた試合は過去に一度もありませんでした。あと1つ大きなミスが出ていたらアダム選手が表彰台だったと思うので、まさかのミスを引きずることなく他をきっちりまとめたのがメダルにつながったと思います。

  • 宇野昌磨選手 

<ループではなくアクセルで?>

宇野昌磨選手は6分間練習で4回転ループのタイミングに苦戦しているようでした。何度もループの踏切を確認してはコーチのもとで相談し…を繰り返していて。なので私は彼がミスをするとしたら冒頭の4回転ループだろうと思っていました。

回転不足を厳しくとられた後、いつも以上にジャンプに気を取られてしまって調子を崩してしまう選手は過去に何度も見てきました。NHK杯後、宇野選手は「q(4分の1の軽微な回転不足)を多くとられたことは気にせずこれまで通りに跳ぶ」とインタビューでは答えていたものの、無意識のうちに心理的負担になっているのでは…と心配をしていたのもあります。あれだけ美しく決めたように見えたNHK杯のループで回転不足を取られたら動揺を長く引きずっても無理はないですし。

その心配していた4回転ループ、NHK杯の時ほどの出来栄えではありませんでしたがきっちり降りてきました。4回転フリップも降りて一安心…と思っていたら鉄板のトリプルアクセルが若干沈み込みがちな着氷になり単独に。まぁでもリカバリーは後でもできるし…と思って次のトリプルアクセルからのコンビネーションを待っていたら…まさかのシングルアクセル!!!自分の目が信じられませんでした。

というのも、宇野昌磨選手の長い選手生活でトリプルアクセルでの転倒は何度もありますが、抜けたのは一度も見たことがありません。もともと「抜け」が少ない選手ではあるのですが、トリプルアクセルは転倒自体がレアな鉄板ジャンプですから。帰国後に調べてみましたが、トリプルアクセルが跳べるようになってからの10年間、試合で抜けたことはやはり一度もなしでした。

鍵山選手の4S抜けと宇野選手の3A抜け、「史上初の抜け」を2本もナマで見てしまったというのはある意味超激レアな体験だったと言えるかもしれません…そんなの見たくなかったですけどね(苦笑)。

<渾身のリカバリー>

史上初のアクセルすっぽ抜けへの私の動揺をよそにステップの途中で曲調は超絶落ち着いた「鏡の中の鏡」に変わります。私も静けさの中でいったん冷静になり「あそこで跳ぶつもりだったトリプルアクセル~トリプルフリップのコンビネーションを最後に入れてくるに違いない。そうすると失点は最小限にはなる」と気持ちを切り替えました。本人も史上初のトリプルアクセルすっぽ抜けできっと動揺していただろうにその感情は微塵も魅せぬまま落ち着いた滑りを魅せ続け4T-3T、4Tは着実に仕留めます。そしてやっぱり来た3A~3Fのコンビネーション!

さすがに足に来たのか最後のフリップが少し回転不足気味で着氷が乱れてしまいましたが、私が大好きなこのコンビネーションジャンプを2年ぶりに観ることができてもうこれだけで大満足な気分でした。私は4回転ループや4回転フリップよりもこのコンビネーションジャンプが一番好きなのです。この連続ジャンプは骨の変形している右足首に負担が大きいという話もあって、もう試合で跳ぶのは見られないのかな~と思っていただけあって試合で挑んでくれただけでもう嬉しくて嬉しくて。(痛いのだとしたら跳ばなくてもちろんいいんですけどね)

最後に予定外の3連続ジャンプを入れたこともあって曲に遅れを取り、スピンに十分時間をかけることができなかったためかスピンでレベルを落としたり、曲のタイムオーバーを取られたりで、完全なリカバリーとまでは行きませんでしたが、190点台は出すことができました。今回は大きなミスがあったからこの後マリニン君がきっちりまとめてきたら優勝はさらわれるだろうけれど、いい出来のフリーを見られてよかったーとホッとしました。NHK杯のあの採点の心理的影響でジャンプが大崩れしたりしなくて本当によかった

3連続ジャンプの最後にフリップを跳ぶということの難しさを今回テレビ朝日の解説の町田樹さんはきちんと紹介してくれていましたが、彼が約10年跳び続けているあの3連続ジャンプ、難しさとレアさに言及してくれる解説者が少なくて口惜しかったので嬉しかったです。他に跳べる選手は何人かはいますが、宇野選手のこのコンビネーションが一番テンポとスピード、幅があって曲の盛り上がり部分で使われると本当に最高だと思っています。なので次回はフリー前半の「Timelapse」の盛り上がるところで3連ジャンプを見れるといいなぁ。(全日本選手権で見れると嬉しいけど連戦だからきついかな…)

回転不足の認定について


会場で観た感じだと3連続ジャンプの最後のトリプルフリップは「q」は確実に食らうだろうけど、他は大丈夫そうに見えたので、190点台半ばは出せるかな~と思ったんですが超えずでした。この大会、「回転不足つくかも」と思ってたのがスルーされまくっていたから大丈夫だろうと思ってたのに。

結局4回転フリップと2本目の4回転トゥループ、3連続ジャンプの最後の3回転フリップがいずれも「q」という判定でした。フリップとトゥループはスローで見ると「厳しいジャッジだったら取るかな~」には見えたので、今回の判定には違和感はありません。何より宇野選手自身が納得しています。

ただ他の選手の怪しい回転だったジャンプ複数に「q」すらついていないのを見ると若干の不公平感は感じました。他選手ファンの間でも「あのジャンプが取られてなくて宇野選手のFとT両方にqついてるのはちょっと違和感」「前回の厳しいジャッジからいきなり回転不足減らすとNHK杯ジャッジとの整合性保てなくなっちゃうから彼だけ他選手より厳しめにつけたんじゃね?」とか冗談交じりに言われていたのには同意したくなりました(苦笑)。

まぁそれは私が宇野選手びいきだから不公平に感じるだけかもしれませんし、人間が採点する以上この程度の判定の差は「フィギュアスケートの試合ではよくあること」の範疇ではあるので受け入れられました。

  • イリア・マリニン選手

マリニン選手の4回転アクセルの転倒は「まさか」ではありませんでした。練習での成功率は高くても、試合で跳ぶのはわけが違う。試合で4回転アクセルの試合での成功率は大体2分の1程度、そもそもこれ程の高難度ジャンプをSPフリー両方で成功させるのはジャンプ達人の彼にとっても難しいことです。

しかし演技全体の完成度が高い宇野選手・鍵山選手・アダム選手たちに今の彼が勝つには4回転ジャンプをたくさん投入して技術点で突き放していく方が勝算が高いと考えたのでしょう。GPFは来シーズンの出場枠取りの責務もないですし、シーズンの中盤だし思い切った挑戦がしやすい試合です。「ここでトライせずにいつやるのか」という感じですよね。

「まさか」はむしろその後でした。それもいい方の「まさか」。予想はしていたけれど3回転ループのところでしれっと4回転ループを跳んできました。抜群の高さでふわっと跳びあがる系のジャンプ。私はスピードと幅のあるジャンプの方が好きなので好みの跳び方ではありませんが、これはこれで高い評価を受けるのは納得できます。何より得点が1.1倍になる後半でトリプルアクセルを後ろにつけるという超絶高難度コンビネーションを確実に決めてこれるのは最大の強みですね。

ただ、冒頭に4回転アクセルを入れた弊害はSPよりもさらに大きく滑りに出ていたように思います。後半のスピードは明らかに遅かった。あれだけスピードが落ちているのにひょいひょい高難度ジャンプを跳べるのはすごいなとは思いますが、スピードがないとジャンプの魅力は減りますし、滑らかなスケーティングやエッジさばき、美しい所作やポーズも合わせて楽しむタイプのファンから見ると物足りないことこの上ない感じです。場を支配するカリスマ性と派手な動きを備えているのでテレビで見るとすごく映えるタイプの選手なんですが、現地の大きなリンクで見るとその印象はかなり異なります

でも4回転6種に挑戦してアクセル転倒のみに抑えてるし、スピンステップのレベルもかなり揃えられたっぽいから今回は彼が文句なしの優勝だね」と心から拍手を送りました。

…しかしモニターに表示されたPCSを見てまたもや心が冷えてしまいました。87.27点。ほとんど9割取っちゃってるじゃないですか!?
確かにジャンプの難度は物凄かったけど、あの演技に本当にそんな点出しちゃっていいの?と。

「伸びしろ」の有無がもたらす不公平感


TES(技術点)には上限がありませんが、PCS(演技構成点)には上限があります男子シングルの場合SPは50点満点、フリーは100点満点

昨季のさいたま開催の世界選手権SPは宇野選手マリニン選手共にクリーンに滑りましたが、宇野選手のPCSは46.93点、マリニン選手は40.89点で点差は6点超ありました。

http://www.isuresults.com/results/season2223/wc2023/data0103.pdf

PCSが100点満点換算されるフリーだと宇野選手93.38点、マリニン選手80.98点と実に13点近くもの差がついていました。昨季ワールドのマリニン選手のフリーはジャンプに力を注ぎすぎた結果滑りに大きな影響が出てしまっていたので、70点台でもいいのではと思ったぐらいでした。

しかし今季のマリニン選手は自分の改善点を真正面から見つめ、スケーティングや表現力などPCS向上に取り組んできた結果、SPでは4点近く、フリーでは7点近くを上乗せすることができました。

しかしもともと満点に近い点を取っていた宇野選手や鍵山選手はどれだけスケーティングや表現力を磨いたところで1~2点しか点数を伸ばすことはできません。宇野昌磨選手のPCSベストはSP47.27、フリーは95.14ですからどんなに頑張っても1~2点台伸ばすのが限界です。(過去にPCSで総合満点が出たことは一度もありません)

確かにマリニン選手の滑りや表現力は昨季より向上していますが、鍵山選手も宇野選手も明らかな向上を見せています。今季の二人のスケーティングのスピード感やエッジの深さ、所作の美しさには進化を感じます。
どちらの向上度合いがより大きいかを判断するのはジャッジの判断する範疇で素人が口出しすべきことではないでしょうが、TESには限界値がないのにPCSにのみ限界値があることについては強い不満を覚えずにはいられません。

TESとPCSのバランス 20年の変遷


今のフィギュアスケートの採点システムはソルトレーク五輪での採点疑惑スキャンダルを受け、採点の透明性を担保しようと導入されたものです。TES(技術点)とPCS(演技構成点)が1:1の割合になるように、技術点でカウントすべき演技構成要素の細かな配点が決められました。

新採点ルールは毎年のように変更が加えられ、少しずつ調整されていきましたがおおむねTESとPCSの1:1のバランスは守られていたように思われます。

ではいつ頃からTES偏重になってきたのか?
新採点導入後の世界選手権のフリー演技1位(総合優勝ではない)のTESとPCS、PCS各項目の採点幅と、3A以上の実施ジャンプの本数をデータベースで調べて書き出してみました。

ISU採点データを基に2023年12月けろわん作成 <無断転載禁>

新採点導入から最初の5年間、PCSの各項目は世界選手権1位の選手に対しても10点満点中7点台であり、100点換算してもPCSは70点台でした。最初の1~2年は新採点でのスピン・ステップのレベル認定基準が明確でなかったこともあって、トップ選手でもレベル2がやっとで高い技術点を獲得するのが難しかったのですが、次第にトップ層のTESは80点台あたりに落ち着きます。スケーターにより、またはその時の演技の出来栄えによりTES優位だったりPCS優位だったりの多少の差はありますが、この頃のTESとPCSのバランスはおおむね1:1ベースだったと言えるのではないでしょうか。

ただ、技の難度が年々向上していくとTESに引きずられるかのようにPCSも徐々にインフレしていきます。1:1という考えがベースにあったことがTESとPCSが連動してしまっていた理由の一つかもしれません。

類まれなスケーティングテクニックを持つパトリック・チャン選手の台頭もあり、2011年よりPCS9点台が増えてきます。(追記:2007~8年、2010~11年シーズンにジャンプの基礎点を上げて技術点平均が底上げされたことも関係していると思われます)2016~17年ごろにはトップ選手が4回転ジャンプを3本以上入れはじめ、2017~18シーズンにはさらにジャンプ基礎点が引き上げられて上位選手のTESが100点を超えるのが当たり前となってからはPCSもTESに引きずられるかのように限界値に達し、点数的はTES偏重になってしまいました。

国際フィギュアスケート連盟技術委員会側もこの事態をそのまま放置していたわけではありません。2018~19年シーズンにルール改訂を行い、男子シングルとペアフリーの演技時間を30秒削減し、男子のジャンプ規定本数を1本減らしました。さらに4回転ジャンプの基礎点をぐっと下げました。4回転アクセルの基礎点はこの時2.5点も下げられています。4回転ルッツやフリップ、ループなども1~2点削減です。

ただ4回転ジャンプの基礎点を下げる一方で、出来栄え評価(GOE)の加点減点幅を「ー3~+3」から「ー5~+5」まで広げました。その結果、出来栄えが良ければ高難度ジャンプでは以前よりも高い得点を出せるようになり、規格外のジャンプ能力を持つネイサン・チェン選手は跳べるジャンプ本数が1本減ったにもかかわらずTESが高止まりして、TESとPCSのアンバランスは是正されずじまい。

またルール改正後の王者がジュニア時代から高いPCS評価を受けていたネイサン・チェン選手&宇野昌磨選手だったこともあって、TESとPCSのアンバランスは悪目立ちせずに済んでいました。

歴代世界王者は全員PCS評価が高かった


しかしここにきて、長年低いPCS評価にとどまっていたマリニン選手がジャンプ技術で独走し始めました。4回転アクセルやルッツなどの高難度ジャンプはGOE加点の幅が大きいので、着氷が決まれば大量得点が望めます。彼の実力を持ってすれば現採点ルールではTES140点台を出すのも夢ではありません

こうなってくると、PCSは100点満点のままでいいのだろうか?という疑問がどうしても出てきます。PCSがトップレベルでない選手が世界王者になったことがあったのか?が気になったので、新採点導入以降の世界チャンピオンたちのPCSを調べてみました。以下は新採点導入後の世界選手権フリー上位3名のPCS差をまとめた表です。

ISU採点データを基に2023年12月けろわん作成 <無断転載禁>

世界選手権フリー1位、および総合1位(世界王者)のTESは当日の演技の実施内容によって多少上下しますが、PCSでトップレベルを保っていないと総合1位が取れないことがよくわかります。当日の演技内容によっては2位以下の選手のPCSが世界王者を上回ることもたまにありますが、せいぜい1~2点台の差にとどまっています。新採点導入後、マリニン選手のようにTESとPCSの差が大きい選手はボーヤン・ジン選手ぐらい。(このデータ上には出てきていませんが、ケヴィン・レイノルズ選手もそのような傾向だったかと思います)

PCSはTESに連動する傾向があるので、このPCS自体そもそも適切な値なのかどうか」という別の問題が脳裏をよぎる方もいらっしゃるかと思いますが、それは別の議論になってしまうのでここでは掘り下げません。ただもし今後も連動傾向が続くのであれば、マリニン選手のPCSは2024世界選手権では更に上昇して結果的につじつまが合うことになるのかもしれないと思っています。

PCSの採点項目が5項目⇒3項目に減らされた昨季、ようやくPCSがTESに連動する傾向が消えたように見えていたのに今年また後戻りさせられている印象です。ジェイソン・ブラウン選手やケヴィン・エイモズ選手のような高PCSを武器とする選手たちが上位勢とそこそこ戦っていける可能性が出てきたことを私はかなり歓迎していたのですが…。

マリニン選手は将来世界選手権で優勝する日が来るだろうと思いますが、優勝する際にはPCSはそのままで技術点でタコ殴りして勝ってくれた方がスッキリ納得できるだろうなと感じています。

今後のTES/PCSの適正バランスとは


PCSの満点を引き上げたらどうだという議論はこれまでにも出ているようです。フィギュアスケートの採点ルールは毎年改訂が繰り返されており、TES偏重はここ何年か問題視されているようなのですが、「PCS満点引き上げは中堅以下層の得点に与える影響が大きすぎる」ということで改訂が据え置かれたーという解説を以前どこかで目にしたことがあります。確かに100点台以上のTESをコンスタントに出せる選手は世界でも数名程度ですし、TESが頭打ち気味な女子シングルではどうするのかという問題もあります。

となると演技構成の基礎点によってPCS満点枠が拡大するような方式がいいのでしょうかね。でもそうなると上位と中間層以下の得点差がますます拡大して競技としてはつまらなくなりそうだし、素人考えでは簡単には解決方法は見つかりません。

私は伊藤みどりさんに惚れこんでフィギュアスケートを熱心に見始めるようになったような世代ですから美しい高難度ジャンプは大好物です。しかし「4回転たくさん跳んでくれさえすればOK派」ではありません。フィギュアスケート競技は長らく「ジャンプのみ高い評価」の選手は勝てないのが当たり前で、金メダリストよりも高難度ジャンプを多く成功させていたのにメダルに届かなかった選手は数多くいます。そこには「滑りの差」が明らかにあったので、当時の選手たちやファンの多くもそこそこ受け入れていたように思います。

新採点制度がつくられた時にはスピンやステップの配点がジャンプに比べて余りにも低いことに疑問を持ちました。スピンやステップのやたら細かいレベル規定で個性あふれる技が減ってしまったことにがっかりもしました。
演技時間が4分半から4分に減って自由な振り付けを入れる隙間が減ったり、ステップやスパイラルが規定要素から減らされたり、採点ルールが変更されるたびにちょっとした失望を重ねてきました。

しかし不透明な旧採点よりはまだいい、なんだかんだ言ってよく設計されている採点システムだーと受け入れてきたつもりです。そんな私も、美しい滑りやエッジコントロールが軽視されているかのような印象を受ける近年の採点傾向には少々うんざりしています。

ただ、所詮これはただの一ファンの好みの問題にすぎません。今のジャンプ重視傾向を「よりスポーツらしくなった」と歓迎しているファンも中にはいるでしょう。どちらの方向性が正しいのかはファンが決められることではありませんが、ジャンプ偏重採点が今後強くなっていくなら私の観戦意欲は薄れていきそうだと感じています。

先月のNHK杯で販売されていたパンフレットに掲載されていた記事では、ISU(国際スケート連盟)技術委員である岡部由紀子さんが「来シーズンについてはスピンとステップに関する点数をもっと高くしたいという提案を技術委員会は考えています」と語っておられました。男子ではジャンプの比重が大きくなってしまっているのでバランスをよくしたいのだと。

演技時間を再び増やすかジャンプの本数減らしてでもステップを増やすとかでもしない限り大した是正にはならないような気もしますが、来期その提案が採択されて少しはバランスがよくなることを期待したいです。

来週開催の全日本選手権は全日本は世界選手権などチャンピオンシップ大会の代表決定の重要な試合。もう採点云々のことは考えたりモヤモヤしたりすることなく、選手たちの真剣勝負を見守ることができればよいなと思います。



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