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ゲームが好きなら、人生というゲームも好きになるはず

毎日の通勤電車での光景、それは、多くの人が俯いて出勤し、自分の世界に閉じこもって帰宅する姿。

…このように書くと言葉に毒があるように捉えられそうですね( ̄▽ ̄;)。

通勤という時間を快適に過ごすための娯楽が、スマートフォンには詰まっています。

ゲームに興じたり動画を視聴したりする方、増えましたよね。

あとは中高年でもゲームを楽しまれる方が増えている気がします。

ということで、今回はゲームについて、書いていこうと思います。

最後までお付き合いいただけると幸いです。

ゲーム・コントローラ

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私も、かつてはゲーム好きでした。

特に社会人になりたての頃は、一人暮らしでしたし友人も少なかったので、ひたすらにゲームをしていた時期もありました。

主にロールプレイングゲームやシミュレーションゲームにハマっていて、やりこみ要素があると、ストーリー進行そっちのけでミニゲームやイベントをこなすこともありました。

ぱったりゲームをしなくなったのは、34歳のころだったと思います。

理由はいろいろありますが、他にやることがあるのではないかと思うようになり、自然と離れていきました。

ゲームをやらなくなって、生活に変化が起こるようになりました。

自分の人生をゲームのように楽しめるようになっていったのです。

これは、さまざまな偶然から人生が好転した時期と被るために感じたのでしょうが、人生をゲームのように感じるとは、どのような感情だと思いますか?

私としては、人生に熱中するというニュアンスよりも、達観した状態の、やや冷めた視点で捉えているニュアンスが近いのではないかと考えています。

TVゲーム

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あなたがゲームの世界に魅了されるのは、何故でしょうか?

好きなキャラクター、魅力的なキャラクターがいるからでしょうか?

現実離れした世界観、ストーリー展開にハマるのでしょうか?

ヒーローやヒロインに自分を置き換えて陶酔できるからでしょうか?

友達とオンラインでも繋がれるからでしょうか?

…理由はいろいろあると思いますが、どんなゲームも共通点があります。

それは、リセットできるという機能です。

この機能が、没頭しながらも、どこか冷静で客観的な視点で操作できるトリガーなのではないかと私は感じています。

そして、人生にはリセットがない、この概念がゲームと現実の決定的な違いとなり、苦しい想いや苦い経験を経るたびに、この世をムリゲーやクソゲーと揶揄するようになるのだと思うのです。

男性・ソファ・スマートフォン・ゲーム・集中・手元

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【当事者意識】
自分自身が、その事柄に直接関係すると分かっていること。関係者であるという自覚。

共感いただけるかは分かりませんが、ゲームに熱中していると、仮想世界であるのに、主人公の視点を通して、その世界観に没入してしまうことってありませんか?

そして反対に、現実世界に対して、自分の視点がまるで誰かに操作されているような感覚になることもありませんか?

このような仮想世界と現実世界の倒錯感に、不思議な心地よさを感じることが、過去の私にはありました。

当時は、現実からの逃避にゲームを用いていた気がします。

だからこそ、没入できた。

しかし、今は自分の人生を生きることに必死になっている気がします。

並のRPGよりもレベルアップのサクサク感があるし、ギリギリでクリアできる程度の難易度設定、成長に合わせて出現するイベントや中ボス(笑)。

ベタなSLGよりも頭を使う戦略と戦術、相手の行動予測、無限に存在するイベント分岐…。

人生こそ、最高のゲームかもしれません。

ネコ・子猫・遊ぶ・夢中・ゲーム・じゃれる

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とは言え、たまにはチート能力でスタイリッシュにクリアしたい気持ちもあります。

現実世界には、局地的チートバグはあっても、汎用的なチート能力はありません。

それを面白いと感じるかどうかが、大きな分岐点かもしれません。

クソゲーにはクソゲーなりの、ムリゲーにはムリゲーなりの楽しみ方があるはずです。

最初はカッコよくコンボを決めて勝ちたいかもしれませんが、人生というゲームでは「仕組み化」というハメ技が、かなり効果的だったりもします。

あなたなりの攻略法で、人生というゲームをハッピーエンドで終わらせましょう‼

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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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