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言葉の温度、言葉の色

言葉って不思議ですよね。

目に見えないモノのはずなのに、頭の中では、カタチがあるように感じたり、発した人の想いまで見えるのではないかと感じるときがあります。

昨日は、母校の大学でオンラインセミナーに登壇させていただいたのですが、ファシリテーターから「温かな時間でした」と言っていただきました。

「温かな」には、セミナー全体の雰囲気を評する部分もあるのでしょうが、言葉に宿る温度を感じていただけたのではないかとも考えています。

私は、普段から相談を受ける仕事をしていますから、発する言葉には気をつけるようにしています。

その際に意識しているのが、言葉の温度や色というワケです。

あなたも、漠然とかもしれませんが、誰かの言葉を冷たいと感じたり、温かいと感じたり…、また、明るいとか暗いとか感じることは無いでしょうか?

個人的な意見ですが、このような言葉に感じる温度や色、あるいは質量(重いや軽い)、形状(鋭い・丸いなど)の印象は、メタファー(隠喩)ではなく、心で見ている感覚情報ではないかと感じています。

私たちの感覚情報は、80%ほどが視覚情報ではないかと言われています。

ですから、つい「見えているかどうか」に意識が囚われてしまいがちですが、「見えていなくても感じるモノ」にも、大切な情報があるのではないでしょうか。

何気なく使っていますが「心」というのも見えない存在ですよね。

ですが、私たちは「心」の存在を肯定しています。

言葉も「心」と同様に、視覚情報としては見えなくても、そこに在る存在なのだとしたら、温かく感じたり、突き付けられたり、洗われたりするのも受け入れられる感覚なのではないでしょうか?



言葉には、見える部分もあります。

それは、発言者の非言語コミュニケーションが関係しています。

「大丈夫」という言葉も笑顔で発せられるのと、眉間にしわを寄せて発するのでは同じ言葉であっても違うモノとして私たちは認識します。

ゆっくり話せば柔和で温かいと感じるかもしれませんし、専門用語を早口でまくし立てられれば硬いや冷たいといった感覚を感じるかもしれません。

また、発する人の醸し出している雰囲気でも、言葉に変化があるでしょう。

あくまでも感覚的な話なのですが、相談を受けるとき、私は相手を色で感じるときがあります。

それは心理状態で変化することもありますが、基本的にはその人の色調に変化はないと捉えています。

つまり、赤い印象の人は、落ち込んだりすれば色がくすみ、直視できない現実に晒されているときは色褪せて感じる…といった様子です。

赤い印象の人が青くなることはありません。

なかなか良い例が思い浮かびませんが、少しゲーム感覚で言葉の色を感じてもらいましょう。



Q:「春」「夏」「秋」「冬」にそれぞれ色をつけるとしたら、あなたは何色を選びますか?

この手の感覚ゲームに正解はありませんが、一つの例として「春」について考えてみましょう。

「春」は、緑が芽吹き、暖かな木漏れ日が照らすイメージだと思います。

先人たちは、このイメージを「青(蒼・碧)」と感じ取り、「青春」という言葉が生まれました。

ですが、「春」を緑だと感じる人もいれば、黄色だと感じる人もいれば、ピンクだと感じる人もいるでしょう。

ここでお伝えしたいのは、「春」という言葉に対して、私たちは何らかの色を感じているということです。

このように、言葉というのは、単なる意味合いを伝えるツールという側面だけでなく、誰が・どんな状況で・どんな心情で発したモノなのかで意味合い以上の情報を私たちに与えてくれているという事実です。

言葉を「言葉」としてだけ認識するだけでなく、それ以上の情報体だと捉えることで、私たちの言語コミュニケーションは、もっと豊かになるのではないでしょうか。

ぜひ、自分の感覚を研ぎ澄ませて、言葉の温度や色を感じ取ってみてください。


ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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