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「やりがい >お金」に問いたいこと

あなたは最近、夢を見ることがありますか?

私は誰かや何かに追われる夢を見ることが多いです。

「追われる夢」というのは、さまざまな診断が下されますが、基本的にはストレスの抽象的暗示だと考えています。

客観的に述べれば「仕事で疲れている」のでしょう。

現代に生きる私たちは、多くの情報に触れられるようになったことで、思考がコモディティ化しているように感じます。

「仕事で疲れている」という言葉からは、ネガティブな要素を連想することが多いことでしょう。

分かりやすい例が、表題の「やりがい >お金」です。

労働の対価として金銭を得ることが当たり前になった社会において、やりがいを得ることが労働自体の価値と直結する考え方が浸透してきています。

「ムリしてお金を稼ぐよりも、自分らしく生きることが大切じゃないか」

「やりがいは、お金に変えられない」

つまりは、マズローの欲求五段階説などを引き合いに、「自己実現こそ至上である」という思想が広まっているのではないかと思うのです。

やりがいや生きがいといったモノは、確かに私たちが私たちらしく生きるための指標となるものです。

しかし、必ずしも最上位に位置する思想ではないのではないか?と私は感じているのです。


お金は社会で生きるうえで多いほど困らない

私の働く最上位の理由は「お金を稼ぐこと」です。

健康で文化的な最低限度の生活よりも、「少し」でいいから生活水準を向上させたい。

これが、正直な想いです。

「少し」というニュアンスについては個人差があると思うので、具体化はしませんが、誰しも「お金があったら今より生活環境を向上させたい」と思うのではないでしょうか?

個人的な意見ですが、これ以上に誰もが納得のいく働く理由はないように感じます。

しかし、金銭に執着し過ぎることで、やりがい至上主義に謳われているような「自分らしさの喪失」が起こってしまえば、それはそれで本末転倒なのでしょう。

それは否定しません。

ここで述べたいのは、私が自分らしく働くことがある程度出来ており、やりがいを感じている上で、お金を稼ぎたいと考えていることです。

どうも高給取りの方が多いのか、「お金=不浄」と考えているのか分かりませんが、「労働=お金」に否定的な意見が増えているように感じています。

それぞれの思想ですので、誰かを否定や非難しようとしているのではありません。

私は「労働=お金」を肯定するということを述べたいだけなのです。


まずは自己発信することから

実は、私の今年の目標は「自分の意見を自分の言葉で発すること」です。

私は臆病で、「空気を読む」という言葉に甘えてしまい、自分以外の存在に対しても経済的・社会的損失を出していることに気付いていながら、そこに執着することを避けてきました。

素直な自分の気持ちを隠すことが染み付いてしまっているのです。

だからこそ、当たり前でも異端でも、まずはnoteという小さな箱庭から、自分の声を発していこうと考えています。

この記事は、noteで知り合った方以外にも、友人や職場の人間、多くのステークホルダーが読める状態になっています。

あなたも感じることがあるかもしれませんが、どんな記事でも誰かが見ているものです。

その視線や意識を認識したうえで、言葉を紡いでいくことが、ここでの新たな私の価値になると信じています。


ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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