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価値観は感情から生まれる⁉だとしたら、固定観念は…?

【価値観】
物事を評価する際に基準とする、何にどういう価値を認めるかという判断。

デジタル大辞泉より

「価値」という言葉の定義は様々あると思うのですが、個人的には、コトやモノに対する「好き・嫌い」という感情が「価値観」を作り出しているように感じています。

例えば、日本人は他国に比べてAppleユーザーが多いことが有名です。

もし、あなたもスマートフォンやタブレット、パソコンなどをApple製品にしているのなら、今からの問いにどのように答えますか?

Q:あなたがApple製品に価値を感じているところはどこですか?

ハードウェアの性能やソフトウェアの機能や多彩さ、製品のデザインなど、個々に理由が存在すると思いますが、突き詰めれば「好ましく感じる部分があるから使用している」のではないでしょうか。

人間は、自分が生存するために必要なモノを「価値あるモノ」だと受け容れますが、「価値」と「価値観」は必ずしもイコールではないはずです。

例えば、紙幣などの貨幣について、一般的には「価値あるモノ」でしかありません。

ですが、貨幣のデザイン性であったり、連綿と続いてきた貨幣の歴史に興味関心が向いた瞬間、貨幣への「価値観」が変化します。

生きるために必要なモノだけでなく、好ましく感じるモノになるのではないでしょうか。



【固定観念】
いつも頭から離れないで、その人の思考を拘束するような考え。

デジタル大辞泉より

「価値観」が、好きや嫌いによって決まるのではないかと書いてきましたが、似たような言葉である「固定観念」についてはどうでしょうか?

あなたは普段、「価値観」と「固定観念」をどのような基準で区別しているでしょうか?

ちゃんと言語化して区別できるでしょうか?

私は、過去の記事などで「固定観念に囚われないようにする」や「価値観が偏らないようにする」といった内容を書いたことがあります。

しかし、改めて「価値観」や「固定観念」を考えたとき、今まで使ってきた言葉に違和感を覚えたのです。

引用文にもあるように、「固定観念」という言葉の中には、すでに「囚われる=拘束する」といった意味が含まれており、「価値観」が「好き・嫌い」から生まれているのなら、偏っていることが自然なのではないかと感じたのです。

つまり、言葉は知っていても、定義付けが出来ていなかったのではないか、と思ったのです。

そのようなことがあり、今回の記事を書いているワケですが、「価値観」が「好き・嫌い」といった感情によって生み出されているのだとしたら、「固定観念」とは何でしょうか?

個人的な見解ですが、「固定観念」とは「好き・嫌い」によって「本来の価値」が見えなくなってしまっている状態を指す言葉なのではないでしょうか?

だとするならば、多くの人が訴えるように「~すべき」や「~でなければならない」という言葉で象徴付けている「固定観念」という概念は、言語として表出しているものではなく、もっと自分の根源に問うような複雑なモノなのだと私は思います。

「~すべき」などという言葉をやめたところで、根本が変わらなければ意味がない。

私たちは、どうしても複雑な問題をシンプルに考えられるようにして、問題を解決しようとしてしまう傾向にあると思うのですが、もっと深淵を覗く必要があるのではないでしょうか?


ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。


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