継続できなくても、それも成長なんだよ
noteの投稿を継続していると、それだけで一定数の読んでくださる方がついてくれます。
私自身、なかなか文章力の向上に時間を割けず、グダグダと稚拙な文章を書き続けているのですが、それでも、もうすぐ500日という節目を迎えようとしています。
毎日投稿というのは、個人的な感覚ですが、初めの10日間、次は 30日あたり、そして100日前後が投稿が苦しくなるピークなのかもしれません。
ではそのピークが過ぎれば、あとは順調に毎日の投稿を続けられるか?といえばそうではありません。
お仕事をされていれば、早朝出勤もありますし、残業もあるでしょう。
パートナーとの約束もあるでしょうし、お子さんの急な用事に対応しなければならないこともあるでしょう。
継続すればするほど「継続を絶つ勇気」というのが削がれていく気がします。
何のために続けているのか?
目的があやふやな状態で、続けることに意味はあるのか?などと、考えたりもします。
ということで、今回は「継続しようか?やめようか?」について書いてみようと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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最初に結論を申しますが、私自身は継続をやめようとは思っていません。
意識不明の重体や、ピンコロしちゃったら話は別ですが(笑)、どんなに忙しくても続けようと考えています。
これはもう意地に近いです。
noteを書くという作業を、タスクとして考えた場合、効率化させることを考える前に、そもそも、このタスクは必須なのか?という問いが頭に浮かんでくることと思います。
これについては、すべての投稿者に言えることと思いますが、noteへの毎日の投稿に意味はないのだと思っています。
少しややこしいのですが、意味があるのだとすれば、それは毎日の投稿を続けた先にあるものであり、この「続けた先」というのが何日目なのか、誰にも分かりません。
そんな状態で投稿を続けるのは、ただのタスクとして考えた場合は、非常に非効率だと思われます。
ですから、多くの方は、日常生活が多忙という理由、あるいは毎日投稿することに意義が感じられない、などという理由から、毎日投稿しなくなることは当たり前のことに思います。
ここで私は思うのですが、正直、そう思って書くのを中断できる方、本当にうらやましいと思います。
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突然ですが、私は数年前まで喫煙者でした。
タバコを吸っている人間でよく話題になるテーマに、「タバコを吸い続けることと禁煙すること、どちらが意志が強いか?」というものがあります。
個人的な意見ですが、吸い続けることも禁煙することも「意志以外の要素」が決定づけていると考えています。
それが「仕組み」です。
やめようと思っても続けてしまう人は、やめるための仕組みができていないからやめられない、そう思っています。
私が禁煙できたのは、社会人大学生として大学に入学したことです。
当時から、タバコの増税は噂されており、経済的に潤沢でもなかったので、大学という非常にお金のかかるものに手を出すわけですから、これはもう、どちらかしかないと考えたわけです。
厳密には「考えた」というよりも「そうせざるを得なかった」というのが正しいかもしれません。
結果として、ある日を境にピタッと吸わなくなりました。
…noteの話に戻りますが、「続ける」「続けない」どちらにしても、得るものもありますし失うものもあるでしょう。
全員が同じ価値観ではないのですから、何を取るのか、何を捨てるのか、そういったことを考える一つの機会だととらえれば、noteと言うSNSとの付き合い方も、自ずと適度な距離感を保てるようになるのではないでしょうか?
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余談ですが、私が最近考えるのは、いつ連続投稿が止まるのかということよりも、この衆人監視の中で書き続けることが「苦痛もしくは快感」に変わるようなことがあったら、いよいよヤバいヤツだなぁ…と言うことです(笑)。
もっとも個人的に「ヤバいヤツ」は褒め言葉なので、歓迎したい気持ちもあるのですが、実際に多くの方に読んでいただくようになり、スキやコメント頂くことが心理的ハードルになりつつあります。
もっと気楽に書けたらいいな、と思うこともあります。
…これだけの期間、投稿を続けてきても、私はこういう「ひねくれた文章」しか書けないので、今後はもう少しドキドキワクワクしながら続けて行きたいな、と思っています。
今後ともよろしくお願いします。
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。