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コーヒー

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コーヒーにまつわるエッセイ
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2018年2月の記事一覧

楽しみを見つける才能は大事

楽しみを見つける才能は大事

楽しみを見つけられるのってとても大事な才能だと思う。ひいきの野球チームの試合中継に一喜一憂したり、好きなバンドや歌手の新しいCDの封をワクワクしながらあけるとか、ドラクエの新作を心待ちにしてる気持ちとか。

今でもやってるのかな、プロ野球でマジックが点灯した頃にタイガースファンが集う居酒屋かなんかで盛り上がってると人たちとか、スポーツバーで代表選を観戦するとか。

なんでもないことだけど、毎日来れ

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昭和の喫茶店の思い出・その4〜セシカ〜

昭和の喫茶店の思い出・その4〜セシカ〜

ポータレッジがなくなってどれくらい立ったか、居抜きでセシカという喫茶店がオープンした。アラフォーのママとウェイトレスのキョーコさんの二人。ママは色黒で髪は短めのソバージュでちょっとぽっちゃりした人、キョーコさんはスリムで背が高くてくるくるパーマのロングヘアだった。20代前半とは言え17歳のぼくからしたらすごく年上の人で、異性としてはとくに何も感じなかった。

平日は高校の音楽仲間と過ごしたり、土曜

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昭和の喫茶店の思い出〜その3・ポータレッジ〜

昭和の喫茶店の思い出〜その3・ポータレッジ〜

高校の同級生のジュンくんに連れられてきた「ポータレッジ」という喫茶店。ブティックなんかが入ってる2階建てのビルの2階にあった。もうすぐ3年になるころだったと思うので1988年の2月か3月だ。このころジュンくんはダッフルを着ていた。ジュンくんは背がとても低かったけどなかなかのイケメンで妹が美人と評判だった。家に遊びに行ったことがあるけど残念ながら妹には会えなかった。

ジュンくんはポータレッジの常連

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昭和の喫茶店の思い出〜その2・CHIPMUNK〜

昭和の喫茶店の思い出〜その2・CHIPMUNK〜

昭和の喫茶店の思い出、2つめは駅前にあったアメリカっぽい雰囲気の「CHIPMUNK」高校1年のバレンタインの日に彼女と行ったので1987年2月14日のはずだ。コーラかクリームソーダかなんかを飲んだんだと思う。何を話したかの記憶はないけど、さすがに彼女のことはよく覚えてる。

中学1年の同級生で名前の順で決められた席でぼくの前に座っていた。おたがいマンガを描くのが好きだったので意気投合してよく話すよ

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昭和の喫茶店の思い出〜その1・いづ〜

昭和の喫茶店の思い出〜その1・いづ〜

記憶にある一番最初の喫茶店は生まれ育った田舎にあった「いづ」という名の店。たぶん1980年のことで、親がやってた小さな運送会社の従業員だった「フサちゃん」に連れて来てもらった。

「いづ」はママ一人でやっていてそのとき他にお客はいなかった。名前の由来は知らないが、たぶんママかママの男の名前が「いづみ」なんだと思う。このとき生まれてはじめてミートソースを食べた。それまでお子様ランチとかハンバーグステ

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エスプレッソ・アップグレード

エスプレッソ・アップグレード

気分転換を兼ねて昼休みに散歩がてらコーヒーを飲みに行くのが平日の楽しみ。朝晩の通勤だけでなく、こうして昼に外にでると季節の変化を肌で感じられる。服装も身軽になると心も軽くなるのか、春が近づいて来るのが感じられると気持ちが明るくなる。

行きつけのカフェではいつも400円のカプチーノを飲んでいたんだけど、昼休みだと2、30分しか居れないし、毎日となると結構な出費なので一番安い250円のエスプレッソ(

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コメダ

コメダ

金曜日から3日連続でコメダ珈琲。郊外に住んで15年、あまり変化がなくて退屈な街。以前はモスバーガー、ファーストキッチン、ミスドがあったけどそれぞれ美容室、ソフトバンクショップ、すき家に変わった。カフェでのんびり、と思ったら電車で出かけなくてはならなかったが、ここ何年かであたらしくコメダと星乃珈琲ができたのと、前からあるマクドナルドがリニューアルしてカフェとして使えるようになり選択肢が増えてうれしい

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