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静寂者ジャンヌ 16 私のうちの何かが、叫ぼうとしている。でも、声が奪われてしまった。


                       * * *

新たな試練

静寂者ジャンヌの物語、
これまでを整理しよう。

ジャンヌは16歳で結婚させられた。
夫は癇癪持ちのスーパー・マゾコンだった。
姑ははげしく歪んだ性格だったようで、
徹底的に嫁いびりをした。
夫もそれに追従した。
「奴隷のような」結婚生活だったと、
ジャンヌは述懐する。
ジャンヌは、自己の人格的な尊厳を抹殺された。
そこから抜け出そうと、もがき続けた。

そんな折、よき修道士アンゲランと出会った。
自己の〈内〉に、
〈神〉という無限に開かれた風穴が空いている
そのことを発見した。

かくして、静寂者の道が開けた。

ジャンヌは瞑想のうちに、
〈神の現前〉を〈享楽〉し、愛に耽溺した。

それが、静寂者の道における〈味わいの信〉のフェーズだ。

ところがある時から、その〈享楽〉が感じられなくなりだした。
だんだん、神に見捨てられたような不安に陥った。
内的な〈夜〉のパッセージのはじまりだ。

それでも当初は、彼女の師だったマザー・グランジェの
親身なケアによって、ジャンヌはなんとか持ちこたえていた。
しかし、そのグランジェが亡くなってしまった。
ジャンヌは、深い闇に、ひとり残された。

さらに、夫が亡くなり、ジャンヌの生活環境が一変した。

そして、新たな試練が訪れる・・・


ある男が町を訪れた。
自伝では名前が伏せられている。
これまでのところ、人物の特定ができていない。
某氏としておこう。
某氏はジャンセニストだった。
聖職者だったのか、在俗の信者だったのか、分からないが、
どうやら、モンタルジにジャンセニストの拠点を作る使命を担っていたらしい。

一七世紀に勃興したジャンセニズムは、フランスのカトリック教会内の改革派の一つだった。厳格な禁欲主義路線が特徴だ。ジャンセニズムは当時のフランスのインテリ貴族層を中心に広まり、哲学者パスカルや、劇作家ラシーヌらも深い関係にあったことがよく知られている。

某氏はモンタルジに来るや、さっそくジャンヌに接近した。
夫が亡くなる前年のことだった。
家庭内では色々あっても、ジャンヌは町の有力者の娘であり、
大富豪の妻だったから、一目置かれた存在だったに違いない。
また、彼女の熱心な慈善活動は、よく知れ渡っていただろう。
しかも、あくまでも教会に忠実な彼女は、教会の主流派から異端視されていたジャンセニズムを(たぶん、ただ何となく、教会に言われるままに)嫌っていた。

実に効果的な「オルグ」の対象ではないか・・・


某氏は知人を介してジャンヌの家を訊ね、
ジャンヌとの面会を重ねた。

そのうち、信仰心とは別に、
ジャンヌに対する恋愛もどきの感情が
入り交じるようになった。

ジャンヌも、だんだんと、某氏に惹かれていった。

正直なもの言いで、しかも指摘が正確だった…そう、ジャンヌは書いている。


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          夏の終りの光を撮ることはできない。


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モラハラ・トラップ

厳格な禁欲主義者の某氏は、
ジャンヌの「罪」を逐一あげつらい、責め、説教した。

「罪」というと、なんだか大仰だが、たとえば…

「あなたは信心家のつもりでいるようですが、まったくの偽善ですね」
「だったら何であの時、最後まで教会に残って、掃除を手伝わなかったのですか?」
「なぜ、病人と話をするときに、近づこうとしなかったのですか? 膝まづかなかったのですか? 」
「結局、あなたは自分のことしか考えていないんですよ」
「さっき、あの男を振り返って見ていましたね」
「どうして、彼に声をかけられて、媚びた目をしたんですか? 違うとは言わせませんよ」
「あなたは汚らわしい欲望に染まっている。自分では気づいていないようですね。それとも、ふりをしているのでしょうか?」

…ジャンヌの書いていることをもとに、会話調で創作したのだけれど、まあ、だいたい、そんな感じでしょう。

要するに、モラハラだ。

ジャンヌは、こう書いている。

結局のところ、彼は、何でもない事で私を責め、
それが罪であるかのように見せ、私を困らせ、
彼の意見を聞かざるを得ないように仕向けたのです。


完全に、モラ男のペースに巻き込まれてしまったのだ。

冒頭でも触れたように、
ちょうどその頃のジャンヌは、
内的な〈夜〉のパッセージに突入していた。

それまでの〈神の現前の享楽〉が消えてしまい、
自分が神に見放されたような気になってしまった。

自分がすっかり弱くなってしまった。

すっかり自信を失ってしまった。

自伝に、こう書いている。

私は全ての「罪」を犯しているような感じになりました。
実際にはしていないのですけれども、
私の精神のうちではまるで現実の感じがしたのです。
こころがすっかり[罪へと]傾いていたからです。


これは〈夜〉のパッセージでの
〈自我ほどき〉のプロセスで起こる状態だ。

〈夜〉は、自我が徹底的に崩されていくプロセスだ。

まず、表層的な自我理性がほどけ、
すると、自分では解決済みと思っていた様々な欲望が
潜在意識の底から、表面に浮かび上がってくる。

あたかも全ての「罪」を犯しているような感じになる、という。
様々な欲望が、フラッシュバックのように、脳裏をよぎるのだろう。
自分では、それを、やってしまったように思える。
それだけ、生々しいのだ。

この状態について、ジャンヌは非常に精緻な
精神分析的な観察をしている。
後に改めて触れよう。

ともかく、そんな内面的な状態だったから、某氏に付け込まれたわけだ。

逆に、某氏のモラハラ・トラップにはまって、
ジャンヌはますます、内面の〈夜〉に沈んで行ったとも言える。

彼との関係に陥った時、完全に享楽を喪失したのです。

そう、ジャンヌは書いている。

〈内〉の境地と、〈外〉の生活は、いつも相関している。



ジャンヌは、いわば反射的に某氏の意見に従うようになった。
そして、彼に責められるのを、いつも気にして、おびえるようになった。


もう神を愛していない?

前に触れたように、
〈夜〉のパッセージに入った当初は
まだ、師のグランジェが健在だった。

その頃、ジャンヌは
神が現前しなくなってしまって、
はたして神は自分を愛してくれているのかと
疑念を抱くようになった。

それと表裏一体のことだが、
自分を愛してくれない神を、もう愛せないという
思いが芽生えていた。

私はそのことをマザー・グランジェに訴えました。
(…)
私はもうあなた(神)を愛していない。
唯一の私の愛の対象であるあなたを愛していない。
そう、マザーに言ったのです。
すると、彼女は私を見て言いました。
「何? もう神を愛していない?」
この言葉が矢よりも激しく私を貫きました。
恐ろしい苦しみと、強い禁忌を感じました。
私は何も答えられませんでした。
底に隠れていたものが、
自分ではすっかりないと思っていたぶんだけ、
より鮮明に表れたからです。

そう、ジャンヌは自伝に書いている。

それまで、自分の意識の上では、
自分が神を愛していることを信じて疑わなかった。

しかし、自分の気づかない潜在意識下で、
神に対する不信感がくすぶりだしていたのだ。

それが、グランジェを前に、ふと言葉に出た。

そして、グランジェの一言で、ジャンヌは、
はっと、気づいた。

面白いことに、グランジェは、ひとことも自分の意見を言っていない。
ただ、ジャンヌの言葉をリフレインして、疑問形で投げかけただけだ。
それが、効いた。
なんだか精神分析の一場面のようだ。

グランジェがカウンセラーとしての役目も果たしていたことが、よくわかる。

もしグランジェがいたら、
きっと某氏のことについても、
「そんな男はほっといて、祈りに専念しなさい」
とでも言っただろう。
そしてジャンヌも、ふと、気持ちが冷めただろう。

だが、そのグランジェが他界して、ジャンヌは、
嵐の海に放たれた小舟のようになってしまった。


              * * *

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           夏の終りの光は、誰も知らない。  

               * * *


ところが彼は治ってしまったのです

こうしてジャンヌと某氏は、ねじれた恋愛もどきの関係に入りこんだ。

夫の没後、某氏がジャンヌとの関係をさらに密にしようと迫ったことは、
想像に難くない。


後に振り返って、ジャンヌは某氏のことを「何の能力もない男」と、一刀両断にしている。

彼の意見とは、もっぱら慈善についての外的な事ばかりでした。
というのも、彼は内的には何の能力もありませんでした。
祈りさえしなかったのです。

しかしその時のジャンヌには、判断ができなかった。

こう書いている。

彼に会うのをやめられなかったし、
彼に敬意を感じずにはいられなかったのです。
同時に、彼の言動や説教について
私は彼を非難し、罵るのを押さえることが出来なかった。
彼の言うことに反論して、言い争うこともありました。
彼の方も、そうでした。
私に惹かれ、同時に、私と対立していました。
私を誉め、私を非難しました。


そういう、どろどろの関係が続いた。

ジャンヌは「こんな関係はもう止めにしよう」と、再三、訴えた。

それでも、男は信仰を逆手に取ったような理屈を並べて、プレッシャーをかけて、別れようとしなかった。



そんなある時、男が病気になって死にそうになった。

私は喜び、苦しみました。
彼が治って欲しいというよりも、
彼を失って、彼から解放されたい。
その気持ちの方が、自分のうちで強かったのです。
というのも、彼が病気の間に私は自由を味わい、
そのおかげで私には、もう、
私たちの関係が耐えられなくなっていました。
ところが、彼は治ってしまったのです。
そして私たちはそれまで以上に結ばれ、分裂しました。


男が死にかけて、「これで自由になれる」と喜んだ。
ところがどっこい、男が元気になってしまった。
それで、もっとずるずるの関係になってしまった・・・

ここは、ジャンヌ特有のユーモアを読み取るべきだ。
女同士で、男のことを笑い話にする感じかな。

ラファイエット夫人などの「心理小説風」の面白みでもある。
あるいは、フランス映画の得意の「男女のどろどろ」感か。

もっとも、こうやってジャンヌが自伝に書いているのは、10年後のことだ。
その当時は、こんなふうに事態を客観視することは、もちろんできなかった。


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              燕たちは去った。

               * * *


この叫びを聞く者はいないだろう

実は、当時のジャンヌは〈夜〉のさなかの内的な状態を、
リアルタイムでノートしていた。

これは大変に貴重な文献だ。(1)
〈夜〉の内的な苦しみを、なんとか表現しようとしている。
その痛みが、ひりひりと伝わってくる。

ちょっと、引用しよう。
たとえば、こんなだ・・・

ああ、私のいるこの状態をどう表現したいいのか?
私のうちの何かが、あらん限りの力で叫ぼうとしている。
でも、声が奪われてしまった。この叫びを聞く者はいないだろう。
(…)
何がこんな状態に陥らせたのか言えない、分からない。
自分の苦しみの原因がちっとも見えない、見出せない。
それが苦しみだとも言えない。
なぜなら、この打ち捨てられた部分と、精神との間には、ほぼ無限の距離があるのだ。いかに苦痛が極限にあっても、それはまるで私には無縁のようでしかない。


言葉にならない内なる風景を、
自分の言葉で言語化しようと、格闘している。
これは、心理描写ではない。
無意識の底なしの、リアルの心象風景だ。

最後の「この打ち捨てられた部分」は、
〈精神〉との対比で使われているので、
ジャンヌの用語からすると、
ここは、〈こころ〉と取っていい。

ジャンヌにとって〈精神〉は言語で分節し、認識するはたらきだ。
〈言分け〉と言おうか。

〈こころ〉は言語を介さず、ただ感じる。それもまた、何らかの分節ではある。〈身分け〉。

〈こころ〉は、感じることを通して、〈からだ〉とつながっている。

さらに、こう続く・・・

身体は打ち砕かれ、粉々になり、ただ大地を求める。
せめてもの休らいの場を求める。
だが、与えられることはない。
(…)
まるで正気を失った者のように四方八方を見渡す
。助けが来てくれないかと。
しかし、ほんの少しの助けも求めることができない。望むこともできない。

〈からだ〉の自己イメージが、ばらばらに崩壊してしまう・・・その実感だ。

《大地を求める》とは、どういうことだろう?
大地という支えを失ってしまった感覚だろうか?
無重力、無秩序。無限の宇宙に、
木っ端微塵になって吹き飛んでしまったような、
そういう想像的な〈からだ〉の崩壊ではないだろうか。

《正気を失った者 insensé 》 — この言葉は in・sens・é に分解できる。
sens は「意味」・「感覚」・「方向」の意味がある。
「無・意味・化された」・「無・感覚・化された」・「無・方向・化された」
といったニュアンスを読み取ってもいいだろう。
この言葉でジャンヌが表現しようとしてるのは、
自我主体が瓦解するその実感ではないか。

精神的にぎりぎりのところまで来ている。

かえすがえすも、もしグランジェがいたら、
ここまで追い詰められることもなかっただろうに・・・


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(1) “Ecrits spirituels de jeunesse” in  “Correspondance tome Ⅲ”.

(付)ジャンヌのテキストは、すべて拙訳です。これまで原文の該当箇所も載せてきましたが、繁雑なので、今回から割愛します。



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