静寂者ジャンヌ 14 私は「偉いマダム」をやるために生まれて来たのではない
なんだか絵みたいになってしまった・・・
でも、写真なんだ。一応・・・
* * *
ジャンヌを〈内なる道〉へと誘った修道士アンゲランは
モンタルジに数ヶ月滞在した後、町を去った。
アンゲランは、
モンタルジにある女子ベネディクト会の
修道院長 ジュヌヴィエーヴ・グランジェ
(Geneviève Granger 1600-1674)に、
ジャンヌを託した。
グランジェは、ジャンヌに最も影響を与えた人物だ。
ジャンヌに影響を与えた人物としては、よく二人の男性(フェヌロン、ベルト)が挙げられる。確かに、この二人の存在はジャンヌにとって欠かせない。けれど、かなめとなる人物は、間違いなく、グランジェだ。なのに、彼女については、あまり取り上げられない。どうもみんな(ジャンヌ好きでも、アンチ・ジャンヌでも)、暗黙裡に、男性の権威付けを是としちゃうんじゃないか。
でも、何度でも言いたいが、かなめはグランジェだ。
彼女は、ジャンヌにとって、静寂者のロール・モデルだった。
ジャンヌはグランジェを、ラ・メール・グランジェ la Mère Granger と呼んだ。
メールはマザーのことだ。修道院長のことだ。
マザー・グランジェ。
グランジェおかあさん。
母親にかなりネグレクトされ、姑に虐待されてきたジャンヌにとって、
グランジェは理想の母親のような存在だったのではないか。
ジャンヌが初めて会ったとき、グランジェは68歳だった。
この年、ジャンヌは20歳。
おばあちゃん…といった感じだろうか。
*
ジュヌヴィエーヴ・グランジェについて少し語ろう。
ジュヌヴィエーヴには姉がいた。
姉の名はマリー。
この姉妹は、霊性の高い姉妹として知られていた。
姉のマリーは、パリのモンマルトルにある
女子ベネディクト会の修道女だった。
このモンマルトルの女子ベネディクト会は、
フランス修道会改革運動の拠点の一つとして知られている。
同時に、17世紀フランスの神秘家群(いわゆるフレンチ・ミスティック)の
一大拠点だった。(1)
16世紀から17世紀にかけての修道会の改革運動は、神秘思想とリンクしていた。
*
姉のマリー・グランジェは、
1630年にモンタルジに女子ベネディクト会を創設し、
修道院長となった。
マリーは、脱魂(エクスタシー)状態に頻繁に陥るなど、
超常的な体験がしばしばあり、
いわゆる「神秘家」っぽいイメージ、
「酔った」タイプだったらしい。
妹のジュヌヴィエーヴは、それまで別の修道会にいたが、
姉の要請でモンタルジに移り、姉と合流した。
ジュヌヴィエーヴは、姉と対照的だったようだ。
超常的な体験については記録に残されていない。
「醒めた」タイプの神秘家だった。
ジャンヌもやはり、脱魂や幻視などの超常現象をばっさり否定する。
同じく「醒めた」タイプだった。
ジュヌヴィエーヴの影響が大きかったろう。
*
ジュヌヴィエーヴは、姉の亡くなった後、モンタルジの修道院長となった。(2)
ジュヌヴィエーヴは、とても優しかった。
とても面倒見がよかった。
みんなから慕われた。
たとえば修道女の誰かが、悩みをかかえて、ジュヌヴィエーヴに会いにくる。
すると、何も言わないうちから、ぱっと、その人の悩みを見通した。
そういう不思議な能力があったという。
彼女のそばにいるだけで、悩みの雲が晴れたという。
恩寵の馥郁たる香りが発散し、周りの者を幸せにする
などと、よく神秘家たちが言う。
そういう境地に、グランジェはあったのだろう。
真愛が相手に流れ込むのだ。
いのちの共振。
この手法は、のちにジャンヌが
〈沈黙のコミュニケーション〉として練り上げていく。
この以心伝心ともいえるコミュニケーションが実現するには、
自我がすっかりほどけて、自己が消滅していないとならない。
ジュヌヴィエーヴ・グランジェの追悼文には、こんなふうに書かれている。(2)
彼女は、あの幸せな無関心の境地に到達していた。
たましいは、純粋に、神のはたらきのままに、自らを委ねる。
何も見ない、何も知らない。
「幸せな無関心 」…… いい言葉だ。
「幸せの無頓着」と置いてもいいだろう。
すべてのことに無関心になる。
自分のことにも全く関心がない。
いっさいの執着が落ちる。
ただ、神のはたらきに自分を委ねるばかり。
そういう純粋な受動性。
表層の意識では、個々のものが
個々のものとして分節されているのだけれど
それでいて、
「何も見ない、何も知らない」。
たましいの〈底〉で、無分節が成っている。
(でも、だったら、これを見ているのは、いったい、誰なのだろう?)
わたしは何もありません。
わたしは何でもありません。
それが、グランジェの口癖だった。
自我を捨て、清貧に徹する生き様だ。
「何でもない」rien は、静寂者の境地を表現する言葉だ。
現代の静寂者リリアン・シルブルヌはよく言っていたという。
「無が落ちて、何でもない」
無 néant も無となり、ただ、何でもない。
ありのまま、ありきたり、普通、凡庸!
美しき凡夫。(美しき、と言ってもダメなんだろうな)
神の純粋さによって、彼女は、すべてを剥奪され、貧くあった。
自分がすっからかんになっていること自体、彼女には見えていなかった。
自分の状態、自分のしている素晴らしいことも、彼女は知らなかった。
全ては、彼女の〈内〉で起こっていた。
彼女の気づかないままに。
自分が祈りにあることも、神の現前を得ていることも、
自分では思ってもいなかった。
自我への執着がないから、自分が〈神の現前〉を〈享楽〉していることも、
分からない。感じない。
いわば、こころのゼロ・バランスの境地で、
自分では意識しないまま、
神に動かされて、おのずと他者のために行動し、発言する。
本人は、自分のしていることを知らない。
自分が〈消滅〉していること自体、気づいていないのだ。
自分が到達した境地にあるな、とか
他人のためになっているな、とか
そうした驕慢、自己優越感とは、無縁だ。
どこまでも、
わたしは、何もない、何でもない。
あっけらかんとしている。
そういう状態だからこそ、
〈何でもないわたし〉を通して
神の愛が、相手に流れ込む。
お互い、気づかないうちに。
グランジェは、地位とか権威にもまったく無頓着だった。
上流階級の人々の相手をするよりも、貧困に生きる底辺の人々と話すのが好きだった。
貧困者たちに惜しみなく寄付し、修道院の小麦が底をついて、修道女たちが困ることも、しばしばだったという。
彼女は、強制的なこと、儀礼的なことを、嫌った。
どんな宗教団体にも、そうしたことは色々あるものだが、
彼女は、そうしたことは「真の慈愛に反する」と、常々言っていた。
グランジェは修道院長なのに、あまりに気さくなものだから、
修道女たちから「あなたは人が良すぎて、威厳がない」と注意されるほどだった。
すると彼女は微笑みながら、こう答えたという。
確かに、私もそう思います。
でも、私は「偉いマダム」をやるために
生まれて来たのではありませんから。
粋だ。
このカジュアル感覚が、かっこいい。
根っから、権威主義が性に合わなかったのだろう。
でも、それだけではないだろう。
集団が自分への個人崇拝に陥らないよう、
ドグマ化した教団にならないよう、
いつも自らを戒めていたに違いない。
教団(というか、教団もどき)にありがちな、
教祖を盲信し、偶像崇拝するファナティズムを
徹底的に嫌うのだ。
こうした静寂者流の「醒めた」生き様も、
ジャンヌがそっくりそのまま継承していく。
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(1)モンマルトルの丘にあるこの修道会では、16世紀終わりから17世紀初頭にかけて、マリー・ド・ボーヴィリエ(Marie de Beauvilliers 1574-1657)によって、清貧を重んじる内部改革が行われた。ボーヴィリエは、フレンチ・ミスティックの立役者の一人、ブノワ・ド・カンフィールド(Benoît de Canfield 1562-1610)に霊的指導をあおいだ。
ブノワ・ド・カンフィールドは、その名の通り、イギリスのエセックス伯領カンフィールドの出身だった。カトリックに改宗してイギリスを逃れてフランスに移り住み、フランシスコ会系のカプチン会士となった。
カプチン会は、「アッシジのフランシスコに戻れ」という原点回帰を主張するフランシスコ会の分派だ。
ジャンヌを〈内なる道〉へと誘ったアンゲランも、やはりフランシスコ会内の改革派である、レコレ派に属していた。また、後に出てくる、「エルミタージュ」グループもフランシスコ会第三会が主軸で、総じてジャンヌはフランシスコ会系の神秘思想系譜にあると言っていい。
さらにブノワ・ド・カンフィールドは「ライン・フランドル神秘思想」と一般に呼ばれるドイツやオランダなどの北ヨーロッパ系の神秘思想に精通していた。この系は、あのよく知られた中世の神秘家、エックハルトに由来する。
(エックハルトは異端だったから、そのテキストを読むことはできなかった。しかしその一部は、彼の弟子筋のタウラーの作品に(知らずにか、故意にか)紛れ込まれ、そのラテン語訳が、16世紀後半にフランス語訳されていた。フランスの神秘家は、それと知らずにエックハルトを受容していたのだ。)
ジャンヌはタウラーを読み、晩年には弟子たちに推薦していた。それも、このモンマルトル派の影響だろう。エックハルトからジャンヌへと繋がる鉱脈は、ジャンヌ理解には欠かせない。
(2)マリー&ジュヌヴィエーヴ・グランジェについては、当時の女子ベネディクト会士の追悼文集に記されている。その摘録が、Dominique Tronc "Expériences mystiques en Occident Ⅱ. L'Invasion mystique des Ordres anciens " Les Deux Oceans, Paris に載っている。
ちなみに、元となる Mère de Blémur " Eloges de plusieurs personnes illustres en piété de l'ordre de St Benoist décédées en ces derniers siècles tome Ⅱ”Paris, 1679. は、google books で閲覧できる。