βlue(ブルー) 第1話
第1話
青いカードに、青い字で「βlue」。
裏返すと、短い文章が書かれている。
「アサミを蘇らせ、真相を突き止める」
カードを手にした人物は、それを読むと、ビリビリと引き裂いた……。
◁
恐ろしく寒い日だった。
八代ケンタはその日のことを思い出すたび、身体の芯が凍るような寒さが蘇る。
もう十年前のことだ。
高校三年の十二月。皆が大学受験や就職を控える中、クリスマスは遠い国のイベントのように感じていたとき、事件は起こった。
夜の学校は静まりかえっていた。
寒さで、昨日降った雪が凍ってしまった校庭を、ケンタはゆっくり歩き、下駄箱までたどり着いた。
靴を履き替えたケンタは、川原アサミの黒のローファーがあることを確認した。
騙されたわけじゃないんだな……。
ケンタはスマホを取り出し、家で何度も見返した短いメッセージを、もう一回見た。
「7:30に教室で待ってる」
廊下を歩き、三階の教室に向かう階段を上るとき、ケンタは息苦しくなった。緊張で心臓が飛び出しそうだ。
踊り場で深呼吸をして、再び階段を上る。
三階につき、廊下を自分たちの教室の前まで歩き、閉まっている扉の前でもう一度深呼吸をした。
教室を間違うはずはないが、3Aの表札を確認してから、ケンタは扉を開けた。
教室の真ん中にアサミがいた。
アサミは自分の席に座り、机に突っ伏すように身体を投げ出しながら、窓の方を向いていた。
ケンタはアサミに近寄り、名前を呼んだ。
しかしアサミは気づかない。
寝ているのだろうか……。
仕方なくケンタは、窓側の方にまわり、アサミの顔を覗き込んだ。
月の光を浴びながら、アサミは目を閉じていた。
何てきれいな寝顔なんだろう……。
ケンタは、アサミの横でしばらく佇んでいた。
どれくらいの時間が経っただろうか。
アサミが起きる気配がないので、少し大きめの声で、名前をもう一度呼んでみた。
それでも動く気配がない。さすがに様子がおかしいと思い、ケンタはアサミの肩に手を触れた。
するとアサミの身体は崩れるように椅子から離れ、教室の床に転がり落ちた。
仰向けになり、教室の天井を向いたアサミの目は、それでも開くことがない。
「アサミ……」
ケンタは自分の声が震えているのを感じた。
アサミの側に寄り添うようにしゃがみ、手をつかんだが、その冷たさにびっくりして、すぐに離した。
「…うわ……あ…」
声にならない声を出し、ケンタはその場に座りこんでしまった。
▷
ケンタはその出来事を、十年経った今でも鮮明に覚えている。アサミの寝顔だと思った顔が、時折脳裏に浮かんでしまう。
今日のような寒い日は特にそうだ。
感傷に浸りながら、ケンタは勤務先のソフトウェア会社から家に帰った。
「お兄ちゃん、何か届いてたよ」
妹のカオルから、一通の手紙を手渡された。
差出人は、AIの最新技術を活かし急成長していると、ネットニュースで話題になっているIT企業だった。
「引き抜きかな?」
カオルがいたずらっぽく笑う。
「そんなこと、あるわけないだろ」
ケンタは覗き込んでくるカオルを追い払う。
DMだろうと思ったが、企業名のあとに書かれている名前は、ケンタの知っている人物だった。
不破ユウキ……ケンタの同級生だ。
整った顔立ちに加え、頭脳明晰な男だった。
ケンタは、ユウキの眼鏡の奥のどこか冷ややかな目を思い出しながら、封筒を開けた。
中から青いカードと折りたたまれた紙が出てきた。
カードの表には「βlue」という文字。少し薄い青字で書かれている。
裏を返すと、そこには短い文章があった。
「アサミを蘇らせ、真相を突き止める」
アサミを蘇らせる? 真相? どういうことだ?
ケンタはカードと一緒に入っていた紙を広げ、読んでみる。
そこには、アサミの死が事故と処理されていることに納得していないということ、当時の状況を再現して事件の検証をしたいということが記されていた。
日時と会社のオフィスと思われる場所の地図も書かれていて、ケンタにそこに来るようにとの依頼になっていた。
ユウキは何をやろうとしているのだろうか?
ケンタには、まったく見当がつかなかった。
◁
アサミの死因は、脳出血だった。
頭部に打撲がみられたので、校内で転倒したあと、自分の教室に戻ったが、そこで意識を失ってしまい、そのまま息を引き取ったというのが警察の見解だった。
第一発見者のケンタは、警察から何回か事情を聞かれた。
なぜアサミに夜の学校に呼び出されかと、毎回同じ質問をされたが、ケンタには答えようがなかった。
そして、アサミはケンタにメッセージを残していた。その意味もケンタには皆目分からなかった。
▷
指定された場所は、真新しい高層ビルの中にあった。
ケンタは、ユウキ宛に訪問したことを受付に伝え、ロビーで待っていた。
迎えに来たのは、ユウキではなく、ケンタと同年代と思われる、背の高い女性だった。
「タチバナと申します。ご案内いたします」
渡された名刺には、立花雫という名前が書いてあった。
広い会議室に通されると、中には懐かしい顔が二つ並んでいた。
「元気そうじゃん、ケンタ」
「久しぶりだな、相棒」
アサミと親友だった三好マイ、それにアサミに片想いしていた守山コウだ。
ここに来るまで不安だったケンタだが、呼ばれたのが自分一人ではないことに、少し胸をなでおろした。
「皆さんお揃いになりましたので、私からお集まりいただいた主旨についてお話しします」
立花はそう言うと、手元のタブレットを操作した。会議室に設置してあるモニターに「βlue」という青い文字が浮かび上がった。
「ちょっと待った。俺らを呼んだユウキがいないじゃないか」
コウが口を挟んだが、立花はにこやかに、
「不破ユウキは、別の場所で待っています」と言った。
「そのモニターに出ている文字は何なの? ブルーって読むのかな? 送られてきたカードにも書いてあったけど」
マイの質問にも、立花はにこやかに応じる。
「βlue(ブルー)は、当社が開発したメタバースのサービスです」
「…メタバースのことはご存知でしょうか?」
立花が黙ってしまった三人の顔を見ながら聞く。
マイとコウは、「どういうこと?」という顔でケンタを見ている。
「……言葉ぐらいは聞いたことあります」
ケンタが仕方なく答えると、立花はモニターに資料を投影しながら説明を始める。
「仮想空間や仮想世界と言われるもので、今では多くの企業がメタバースのサービスを提供してます」
「仮想空間ねぇ」
コウは顔をしかめたが、立花が「そうです」と言って微笑むと、とたんに表情がゆるんでいる。
「私たちが開発したβlueでは、AIの技術を使い、現実世界とそっくりな、限定された空間を作り出すことが特長です」
「現実世界と同じ空間を作って、それにどんな意味があるんですか?」
ケンタが少し不安を感じながら聞いた。
「例えば観光地の空間を作り出せば、家にいながら旅行気分が味わえます。職場だったら、家にいながら同僚と一緒に仕事ができます。そして……学校だって作り出せます」
学校という言葉を強調して立花は話す。
「さらにβlueでは、時空も飛び越えることができます」
「……」
ケンタは立花の話がどこに向かっているのか分からず、声を上げることができない。マイもコウも同じ気持ちだろう。
「つまり……過去にも行けるということです。……川原アサミさんが亡くなった十年前にも」
◁
過去に行ける……。
アサミのいる十年前、高校三年のときに戻れるというのか……。
ケンタはアサミに初めて話しかけられた日のことを思い出していた。
購買部で買ったパンを片手に、いつものように外で食べようかと、ケンタが下駄箱に向かっていたとき、後ろから声をかけられた。
「教室で一緒に食べない?」
振り向くと笑顔のアサミがいた。
ケンタは、まさか自分に話しかけているわけではないだろうと思い、構わず歩き始めたが、今度は腕をつかまれた。
「なに無視してんのよ」
自分に声をかけているのだと分かり、ケンタは驚きと恥ずかしさで、
「あ…いや…、一緒にって……僕と?」
としどろもどろになって答えた。
「私もパン買ったんだ。たまには一緒に話そうよ」
アサミは、ケンタの腕をつかんだまま、廊下を教室の方に歩いていく。
ケンタはアサミに引きずられるようにして、ついていった。
これは現実なんだろうか。誰かが自分をはめようとしてて、教室に入ったらドッキリでしたみたいな落ちだろうか……。
アサミに連れられて教室に入るとき、ケンタは身構えたが、予想した反応はなかった。
みんなに大笑いされるかと思ったが、アサミとケンタが一緒に入ってくると、クラス中が静まりかえった。
「ごめんマイ、今日はケンタと食べる」
「あっ、そう……」
マイは呆気にとられたような顔をしている。
いや、マイだけではなく、クラス中が驚きから誰も声を出せず、静まりかえっていたのだ。
クラス一、いや学校一の美少女と普段まったく目立たない男子の、マンガのような組み合わせに、みんなが固唾をのんで、成り行きを見守っていた。
ケンタは緊張から、パンが喉をなかなか通らず、時折むせたりしていたが、何とか食べ終わった。
アサミがちょっと手を洗ってくると言って席を外すと、マラソン大会で走りきったあとのように、どっと疲れが出た。
そんなケンタに、マイが歩み寄った。
アサミはその美しさからか、どこか近づきがたい感じがあったが、マイは誰もが気軽に話しかけやすい雰囲気を持っていた。
「いやぁ、まさかアサミが昼ごはん誘うなんてね。しかも……」
飲み込んだ言葉は、こんな目立たない男を…いや、こんなイケてない男を…だろうか。何れにしてもマイナスのイメージの言葉だろう。
放心状態にあったケンタは、マイの言葉でやっとアサミと話していたという実感が湧いてきた。
「まぁ仲良くしてやってよ。ああ見えてあんまり友だちいないから」
ポンと、マイはケンタの背中を叩いた。
ケンタは、アサミと会話した内容を思い出そうとしたが、まったく頭に浮かんでこなかった。
よっぽど緊張していたのか、手にはびっしょりと汗をかいている。
ハンカチで手をふこうとしたとき、背後から強い力で肩を組まれた。
「よう相棒」
横を見ると、ケンタよりも頭一つ背の高いコウが笑っている。
「どういう魔法使ったんだ? あん?」
およそ魔法という言葉が似合わない、強面のコウの笑顔は不気味だった。……いや、よく見ると目は笑っていなかった。
「まったくノーマークだったぜ。あの秀才に気をとられてたからな」
コウの視線の先には、ユウキの姿があった。いつも通り我関せずといった感じで、参考書を見つめている。
肩を組んできたコウの腕に、さらに力が加わろうとしたとき、アサミが教室に戻ってきた。
「また今度、詳しく教えろや」
そう言ってコウは自分の席に戻っていった。
ケンタはこの昼休みの時間だけで、クラスの中心人物になってしまった気がした。
▷
「つまり……アサミが死んだときの空間を作り出すってことですか?」
ケンタが半信半疑の面持ちで聞く。マイやコウもうなずきながら、立花の顔をじっと見つめている。
「その通りです。皆さんが高校三年のとき……アサミさんが亡くなったときの日をβlueで再現して、アサミさんの死を検証することが、今回の目的です」
アサミの死の検証。十年も経った今、そんなことができるのだろうか。
「全然分からないんだけど」
マイがそんなケンタの気持ちを代弁するかのように言った。
「十年前に警察がさんざん調べて、アサミは事故だったってことになったでしょ。何で今さら検証しなきゃならないのよ」
「そうだよ。そのβlueとやらに十年前の学校を再現したところで、結論は変わらないだろ」
コウも声を上げるが、立花はまたにこやかな顔をする。
「警察の検証でも正確に再現できなかったことがあります」
「再現できなかったことって……なんでしょうか?」
立花に微笑みかけられたコウの顔はゆるみ、なぜか口調が丁寧になっている。
コウの質問に、立花は真顔に戻って答えた。
「アサミさんがあの日、どのような気持ちで行動していたかです」
アサミの気持ち……もうこの世にいないアサミの気持ちをどうやって再現するのか。
――アサミを蘇らせ、真相を突き止める。
ケンタは、送られてきた青いカードに書かれていた文章を思い出していた。
再び言葉を失った三人を前に、立花は話を続ける。
「そのために、皆さんにβlueに入ってもらい協力して欲しいのです。すでに皆さんの母校である京青高校は、βlueに再現してます。そして……」
立花は一つ息を吸うと、
「不破ユウキもそこで待っています」と言った。
立花はそのあと、βlueに入るために装着するゴーグルやらグローブやらの器具の説明や、βlueの中での基本動作の説明をした。
バーチャルゲームに入るのと、感覚的には一緒のようだった。
そのあとケンタたちは、会議室を出てエレベーターに乗り、地下のフロアに連れていかれた。
「なんか怖いんだけど」
エレベーターを降りたマイがつぶやく。
目の前に、薄い青色の壁に囲まれた広いスペースがあり、中央にこれも少し青味がかったガラスに覆われた部屋が、いくつか区切られて設置されていた。
部屋の中には机があり、ケンタたちが説明を受けた、βlueに入るために装着する器具が置いてあった。他にもカメラやスピーカーなどが設置されている。
「皆さんにはこの部屋からβlueに入ってもらいます」
各部屋のガラスの扉には、プレートが貼ってあり、「βlue」の文字とその下にケンタたちの名前が書かれていた。
「最初から気になってたんですけど」
ケンタは立花の方を向いて言った。
「何でしょうか?」
「βlueのBの文字が少し違うような……」
それを聞くと立花は、少し恥ずかしそうな顔をした。
「はい。β(ベータ)の文字を使っています。まだ試作段階のため、β版の意味も込めて『βlue』と表記しています。正式に商品化されたら、B(ビー)の文字を使って『Blue』にしたいと思ってるんです」
立花はそう言いながら照れたように笑う。コウがその顔を見てにやにやしている。
「私たちは実験台ってわけだ」
そのやり取りを聞いていたマイが声を上げる。
「アサミの死を検証するとか言って、商品化するためのデータを色々取りたいんでしょ」
「もちろん会社としては、そういう目論見はあります」
立花はマイに顔を向けた。笑顔は消えている。
「ただ少なくともユウ……不破がβlueを開発したのは、アサミさんの死の真相を突き止めたいという気持ちがあったからです」
「ユウキはβlueの開発者なんですか?」
ケンタは、ユウキのクールな顔を思い出しながら聞いた。
「チームで開発しているので、正確には開発者の一人ですが、不破はチームの中心です。彼がいなくては、このプロジェクトは成功しません」
立花はどこか遠い目をして答える。ケンタはその表情に少し違和感を覚えたが、
「さっさと行こうぜ。そのβlueとやらに」
というコウの言葉で、その思いはすぐに忘れてしまった。
ケンタもマイも、コウに後押しされたように、自分の名前のプレートがかかっている部屋の前に進んだ。
「では中に入ってください。βlueにご案内します」
そう言って立花は、自分も部屋の一つに入っていった。
ケンタは、部屋の中にあったグローブなどを身に着け、最後にゴーグルを装着した。
「準備はいいですか。今からβlueに入ります」
装着したゴーグルから立花の声が聞こえてきたかと思うと、真っ暗だった視界が徐々に明るくなってきた。
▶
目の前に、京青高校の校舎があった。
三年間通った学校に、懐かしさを感じながら、ケンタは校舎を見上げていた。
ふと横を見ると、マイとコウも制服姿で、ぼんやりと校舎を見ている。
……制服姿?
ケンタは、慌てて自分の身体を見ると、やはり当時の制服を着ている。
「十年前を再現するにあたって、校舎はもちろんですが、皆さんの制服や、それから……外見も当時のものにしてます」
マイとコウを見ると、確かに高校時代に若返っている。
「うわ。マイの顔そんなに黒かったっけ?」
とコウが茶化すように言った。
「え! 陸上部で毎日走ってたからだよ。自分じゃ見えないんだけど?」
マイは動揺しながら、立花の方を向く。
「自分の顔が見れないのは、現実世界と同じです」
コウは「ちょっと太ったんじゃない?」とか言いながら、マイのことをからかっていた。
「これから皆さんが在籍していた3Aの教室に向かいます。そこまで行く間に、βlueでの基本動作に慣れていただきます」
立花が歩き出しながら説明をする。現実の空間では足踏みをするだけで、βlueでは歩くことができる。
ケンタたちは、四苦八苦しながら、下駄箱で靴を履き替え、3Aの教室に行くため、階段を登っていった。
何とか教室までたどり着き、懐かしい3Aの表札を眺める。
「では中にお入りください」
立花がそう言って扉を開ける。
ケンタたちが教室の中に入ると、真ん中あたりの席に、誰かが机に突っ伏すようにして座っている。
アサミの席だとケンタは思った。
黒いスーツに身を包んだその人物は、ゆっくりと起き上がると、ケンタたちの方に顔を向けた。
「βlueにようこそ」
不破ユウキはそう言うと、ニカっと笑った。
眼鏡の奥の冷たそうな目は変わっていなかったが、顔立ちは十年前より大人びて見えた。
「お前は高校時代に戻ってないのかよ」
コウの言葉に、ケンタはユウキを見た瞬間の違和感はそれだったかと思った。
ユウキを見たとき、勝手に高校三年のときの姿をイメージしたが、実際には成長した姿だったのだ。
「俺は舞台に立たないからな」
「舞台? 何だそれ?」
コウの問いには答えず、ユウキはケンタの近くにやってきた。
「アサミは、あんな感じで死んでいたか?」
ケンタは少し考えて、
「たぶん……そうだったと思う」と言った。
ユウキはそれを聞くと、ケンタ、マイ、コウを見廻しながらこう言った。
「立花から話があったと思うが、この場所でアサミの死を検証する」
「アサミの死は、事故じゃなかったって言いたいのか? 誰かが殺したとか?」
コウが冗談っぽく話したが、ユウキは冷ややかな目でこう言った。
「それも可能性の一つだ」
「ちょ…ちょっと待ってよ。何でアサミが殺されなきゃならないのよ。警察も事故だって…」
マイが声を上ずらせながら話し、それに被せるようにコウも、
「校舎で転んで頭を打ったって聞いたぞ、なぁ」
とケンタに同意を求めるように言った。
「うん。死因は脳出血って聞いている。頭を強く打って、それが元々の原因だって…」
「その通りだ」
ユウキが挑むようにケンタのことを見る。
「だが、だからと言って事故だとは限らない。警察もどこで頭を打ったかまでは特定できなかったから、誰かに頭を殴られたかもしれない」
ユウキは、アサミが殺されたと本気で思っているんだろうか。ケンタはユウキの顔を見ながら考えていた。
するとユウキは、またニカっと笑った。
「まぁ可能性の一つっていうだけだ。このβlueで検証をして、何が真相だったかを突き止めていく」
「検証って言うけど、どうやって検証するの? アサミはもうこの世にいないんだよ」
マイが呆れたように言うのを聞いて、ユウキはこう答えた。
「この世にはいない…か。だけどなマイ、このβlueにアサミを蘇らせることはできる」
「ユウキ、冗談はそろそろやめようぜ。死んだ人間をどうやって蘇らせるんだよ」
コウがじれたように話す。
「βlueでアサミとそっくりの存在を、残っている動画や写真から、AIで作り出すのは造作もないことだ」
「外見は何となくイメージできるよ。でもこの人はアサミの気持ちがどうとか言ってたよ」
マイが立花の方を見る。
アサミの気持ちや、考えていたことは誰にも分からない。それをどう再現させるというのか。
「外見と違って、アサミさんの感情を再現させることは確かに難しいです。ただ、何を思っていたかは、当時SNSに投稿していた内容、メッセージのやり取りなどで分析します。性格的なところはDNA鑑定の結果も参考になりますし、それから……」
立花が次々に話していくのについていけず、ケンタは口を挟んだ。
「ちょっと待って。SNSにDNAなんて……何の権限があってそんなもの……」
ケンタが聞くと、ユウキはこう答えた。
「今回の検証は、アサミの家族、それから警察にも協力してもらっている」
「警察がなんで協力するの?」
事故だと断定したのは警察なのにとケンタは思った。
「アサミの死が事故だってことに、納得していない人間が警察にもいるんだよ。ケンタ、お前だってさんざん調べられただろ」
ケンタは、爽やかそうな顔をして、アサミとの関係を何度も聞いてきた男を思い出していた。
「山尾っていう、若いけどしつこい刑事がいた」
ユウキはそうそうとうなずいた。
「今はサイバーセキュリティ関連の部署にいてな。うちのお得意様ってわけだ」
「警察と仕事しているの?」
マイが意外そうな顔をする。
「警察だってAIは使うさ。足で稼ぐ時代はとっくに終わってるよ。その山尾に話をしたんだ。アサミの死を再検証しようとな」
◁
事件当日、最初に事情聴取を受けたのはケンタだった。
第一発見者を疑え、というのはよく聞く話だが、山尾は初めからケンタを容疑者扱いしてきた。
「川原アサミさんとはつき合っていたのか?」
そんなはずないよな、と山尾の目が語っていた。
「……いえ、ただの…クラスメイトです」
「君が一方的に慕っていたってわけか。片想いだったんだろ」
刑事の威圧的な態度に、ケンタはどう答えていいか分からかった。
「まぁ、他の生徒からも話は聞くが……きちんと答えないと後で痛い目あうかもよ」
同席していた年配の刑事が、さすがにひどいと思ってくれたのか、大きく咳払いした。
山尾はその刑事に一瞥をくれたあと、身をのり出し、ケンタに透明な袋に入ったスマホを見せた。
アサミのスマホだった。
「川原アサミさんの上着のポケットに入っていた」
山尾は袋の上からスマホを操作し、メッセージの画面をみせた。そこには下書きとして短い文章が残っていた。
――ケンタ、ごめん。
▶
「警察が調べた内容から、事件当日のアサミさんの行動は、大体つかめています」
立花がそう話すと、ユウキがケンタたちを見廻して、
「俺はあの日休んでいたんだが、お前たちは、それぞれアサミと話をしている」と言った。
「…何が言いたいの?」
「容疑者扱いかよ」
マイとコウが憤った表情を見せたが、ユウキは気にする素振りもない。
「だからお前たちに協力して欲しい」
「具体的には何をしたらいいの?」
ケンタはユウキに尋ねた。
「βlueに作り出したこの京青高校という舞台で、あの日の再現をして欲しいんだ。……つまりあの日と同じ行動をして、同じ会話をアサミとする」
「アサミと話すって……AIで作ったロボットのようなもんだろ。まともな会話ができるのかよ」
コウがそう言うと、立花は、
「最終確認している段階ですが、違和感を持たれることなく会話できると思います」と言った。
「AIで作られたものが、生きてる人と同じように話せるなんて…」
マイも半信半疑の様子だ。ケンタも同じ気持ちでいる。
「AIの技術は偉大だぜ。このβlueはAIを駆使したメタバースの最高傑作になる」
ユウキは演説でも始めるように、教壇に立った。
「βlueでは、時間も場所も関係ない。お前たちのように過去の姿で、過去の場所に戻ることもできる。見ての通り京青高校を完璧に再現した。今の京青高校じゃなく、十年前の状態だぜ」
ユウキは背中越しにある黒板を指差した。
「例えばこの黒板は、今の京青高校ではホワイトボードになっている。現実世界に存在しないものだって再現することができ、アサミだって蘇らせることができる」
ケンタは黒板とアサミを一律でまとめるユウキが分からなかった。
「AIの可能性は僕も認めるけど……存在しない物体を再現することと、人を蘇らせることは違うんじゃないかな」
「システムエンジニアのケンタだったら理解できると思ったんだがな。…シンギュラリティだって遠くない未来にやってくるぜ」
「なんだシンギュ……なんとかって?」
聞き慣れない言葉に、コウがケンタに問いかける。
「AIが人間を超える時点のことだけど……、ユウキ、僕はシンギュラリティがくるとは思わないし、AIで蘇った人と、普通に会話をすることもイメージできないよ」
「もうお前たちは話している」
ユウキがまたニカっと笑った。
「俺もβlueで蘇ったからな」
(第2話につづく)
第2話
第3話
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?