βlue(ブルー) 第3話
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そこにケンタが憧れ続けた、高校三年のアサミがいた。
驚きからケンタが声を出せずにいると、アサミが首を少し傾げた。
「……おはよ…」
ケンタはやっとのことで声を絞り出した。アサミの死の真相を探るというのが、この舞台での目的だ。しっかり演じなくてはいけない。
「今日も寒いね。手袋してても手が冷たくなっちゃった」
「うん……ホントに寒いね……」
「ケンタ、後でちょっと話したいことがあるんだけど……」
アサミが少し俯きながら言う。そんな仕草もあのときのアサミとそっくりだ。
「そっか…じゃあ、お昼一緒に食べる?」
「ごめん、昼休みはコウに時間取ってくれって昨日言われてて……そっち断ろうかなぁ?」
ケンタは笑いながら「それなら放課後にしよう」と首を振った。
廊下に向かって歩き出すと、後ろから声がかかった。
「よう相棒、抜けがけか?」
コウの言葉にケンタが振り向くと、アサミも一緒に後ろを見てこう言った。
「あんたが予定入れたせいで、困ってんのよ」
コウは時が止まったように固まってしまった。アサミの顔を見て衝撃を受けたようだ。
「……コウ」
ケンタは仕方なくコウに声をかけ、次のセリフを促す。
「……あっ、えーと…あれだ、昼休みよろしくな、アサミ」
アサミはそれを無視して、さっさと廊下を進んで行った。
コウはケンタに小声で耳打ちする。
「なんだよあれは。まるっきりアサミじゃないか」
「うん……正直びっくりした」
「二人とも何やってんの?」
マイが声をかけてきた。あの日と同じだ、とケンタは昔を思い出していた。
「いや、なんだ…今アサミと会ってな、それで…」
コウはまだ動揺しているようで、うまく言葉が出てこない。
マイは仕方ないなぁという顔で、
「『決戦は昼休みだ』でしょ? あの日そう言ってたよ。しっかりしな」と言った。
「でもよう……まぁいいや…決戦は昼休みだ。絶対にゴールを決めてやる!」
「あんた野球部だろ……ケンタも負けんなよ」
マイは「待ってアサミ」と言いながら廊下を駆けていった。
程なくマイはアサミに追いついたが、そこで立ちすくみ、動かなくなった。
振り返ったアサミの顔を見て、マイは遠目にもわかるくらい、ギョっとしている。
「フリーズしてるよ。言わんこっちゃない」
コウは肩をすくめてケンタの方を向いた。
昼休み。アサミとコウは二人で教室から出ていった。
「アサミに告白する日がまたくるとは、コウは思っても見なかっただろうね」
マイは、二人が出ていった教室の扉を見ていた。
ケンタはうなずいた。
「まったくね……でもなんであの日告白しようと思ったんだろう?」
マイは首を傾げて、「さあ?」という表情をした。
「卒業間近なことに気づいて、焦ったとかね? ケンタはどうだったの?」
「僕は……告白なんて、とても…」
「あの日アサミから話があるって言われてたんだよね? 私が放課後に割り込まなかったら、アサミから告白してたのかも…」
マイが申し訳なさそうな顔をしたが、ケンタは笑いながら、
「それはない」と言った。
ケンタが教室に残っていると、コウが戻ってきた。
「…よう相棒」
「…その顔は負けたみたいだね」
コウはケンタの横の席に座り込んだ。
「まぁな……あのときと同じセリフで振られたよ」
「なんて言われたんだっけ?」
「『私は誰のことも好きにならない』だとよ。どういう意味なんだろうな?」
「アサミなりに気を使って、言葉を選んだんじゃないかな」
「『あんたになんか興味ないよ』とか言われた方が、すっきりするのにな」
コウは立ち上がり、ケンタにあの日と同じセリフを言った。
「相棒、お前はがんばれ。秀才なんかに負けんなよ」
放課後。アサミは帰り支度をしているケンタの席にやってきた。
「ケンタ、あのさぁ……」
アサミがケンタに話しかけたとき、マイの声が飛んできた。
「アサミ、ちょっといいかな?」
アサミはケンタに「ごめん、後でね」と小声で言って、マイのところに向かった。
アサミとマイは、少し話したあと、二人で教室を出ていった。
取り残された形になったケンタは、しばらく教室でぼんやりとしていた。
ケンタは少し教室で待ったあと、アサミが戻ってこないので、帰り支度を始めた。
アサミとマイは屋上にいるはずだ。二人はよく昼休みや放課後に屋上で話をしていた。
ケンタは教室から出て、下駄箱で靴を履き替えたあと、校舎の外に出た。
校門までの道のりを歩いている途中で、アサミの大きな声が聞こえた。
「ケンタ! 後で連絡する!」
踊り場の窓から身を乗り出すようにして、アサミが手を振っている。
ケンタもできる限りの大きな声で、
「待ってる!」
と叫び、手を振り返した。
結局、それがアサミとの最後の会話になった。
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あの日と同じように、夜の学校は静まり帰っている。
下駄箱で靴を履き替えたケンタは、アサミの黒のローファーがあることを確認した。
スマホを取り出し、アサミからのメッセージを見る。
「7:30に教室で待ってる」
廊下を歩き、三階の教室に向かう階段を上る。
あの日とは違う緊張感で、ケンタは息苦しくなった。
踊り場で深呼吸をする。アサミがさっき身を乗り出し、手を振っていた窓から外を見るが、真っ暗な空間が広がっているだけだった。
三階につき教室の前まで歩き、閉まっている扉の前で、ケンタは深呼吸をした。
3Aの表札を確認してから、ケンタは扉を開けた。
教室の真ん中にアサミがいた。
アサミは自分の席に座り、机に突っ伏すように身体を投げ出しながら、窓の方を向いている。
ケンタは緊張からもう一度深呼吸した。
アサミに近寄り名前を呼ぶが、反応はない。
ケンタは、窓側の方にまわり、アサミの顔を覗き込んだ。
暗がりの中でアサミは目を閉じている。
あの日と同じきれいな寝顔に、ケンタは息を呑む。
ケンタは、アサミの横でしばらく佇んだ。
しばらく時間をおいて、ケンタは少し大きめの声で、もう一度名前を呼んでみた。
その瞬間、アサミは目を開いた。
目を開いた?
ケンタは、まるで身体が石になったかのように動けなくなった。
アサミがケンタの顔を凝視している。
アサミが生きている……。
ケンタは自分がβlueにいることを忘れてしまっていた。アサミが目を開けて存在していることに、茫然として立ち尽くしていた。
長い時間が経ったようにケンタは感じたが、おそらく数秒のことだっただろう。
アサミがおもむろに立ち上がった。
ケンタの目を真っ直ぐに見つめてくる。
ケンタは動けない。アサミが口を開く。
「ケンタ……ごめん」
そう言うとアサミは、右手を振り上げた。
手に何か光るものを持っていると、ケンタが気づいたとき、アサミはその手をケンタの胸めがけて振り下ろした。
ケンタの胸に、何かが深々と突き刺さった。
そして、ケンタの視界が真っ暗になった。
▶
「よう、生き返ったか」
ケンタが目を開けると、ユウキがニカっと笑っていた。
「……笑えない冗談だな」
ケンタは、白い部屋で寝転んでいた。
「大丈夫?」
マイが心配そうな顔をしている。その隣には、コウの姿も見える。
「……いったい何が」
ケンタはゆっくりと身体を起こし、ユウキに問いかける。
「アサミに刺されたんだ」
「何で僕が刺されなきゃならないの? それに……アサミは生きていた」
アサミが目を開けた瞬間の驚きを、ケンタは思い出した。
「それは想定内だ」
どういうこと? とケンタは言おうとしたが、コウがその前に口を開いた。
「あのなぁ。お前、俺たちをからかってるのか。俺はアサミにまた振られ、ケンタは殺されるって、いったいなんなんだよ」
「ケンタが刺されたのは、想定外だ」
「想定内だとか、想定外だとか…」
コウは頭をかきむしっている。
「アサミの死の真相を究明するのが、今回の目的だ。校内で転倒したことになっているが、他に原因がなかったか検証してるんだ」
「どういう意味よ?」
マイが眉をひそめる。ケンタもユウキの言っている意味を図りかねている。
「お前たちが、あの日アサミと接した中で、彼女の死のきっかけになる出来事があったかを確認してるんだ」
「もしかして……僕たちを犯人扱いしてるってこと」
ケンタは自分の声が少し震えているのを感じた。ユウキはいったい何がしたいんだ。
「そうは言ってない」
「言ってるだろ! 俺たちの行動がアサミの死の原因だって……ホントにふざけんなよ」
コウは怒りで手が震えている。
ユウキは冷ややかな目でコウを見ている。
「怒ってるのか。感情ってやつは難しいな……。何かきっかけがあったかも知れないと言ってるんだ」
「何よきっかけって?」
マイも口を尖らしている。
「アサミが頭を打ったことは間違いない。外傷があるからな」
「だからどこかで転んで…」
コウが言いかけるのを、ユウキは途中でさえぎった。
「転んだ場所は特定できなかった。なぜ、どこで頭を打ったか、そのきっかけは何だったのかを調べたいんだ」
「それで…何か分かったことはあるの?」
ケンタの質問に、ユウキは「それをこれから検証するんだ」と言った。
「今日お前たちがβlueで再現してくれたことは、すべて記録にとってある。そのデータを使って、まずはなぜアサミがケンタを刺したか、その理由を探る」
「僕が刺された理由? それがアサミの死と何かつながるの?」
「そうだよ、全然関係ないだろ」
コウも納得できないようだ。
「いや、関係はある。極めて重要なことだ」
「…どうしてよ?」
マイがわけがわからないといった面持ちで聞く。ユウキは、はっきりとした口調でこう言った。
「誰かが嘘をついているからだ」
(第4話につづく)
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