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"サガン鳥栖"が大好き

“サガン鳥栖”
私が心から愛するフットボールクラブだ。
私の地元である佐賀県を本拠地とし、ホームタウンは鳥栖市である。
私は幼い頃からサガン鳥栖が大好きで、地元を離れた今でも応援し続けている。
なぜ私はサガン鳥栖を愛しているのか?
今日はそんな話をしながら、クラブの未来を考えていけたらと思う。



1991年、佐賀県サッカー協会が静岡県リーグ1部の「PJMフューチャーズ」(静岡県浜松市)を佐賀県に誘致することを決定。
1994年、本拠地が鳥栖市に決まり、クラブ名を「鳥栖フューチャーズ」に改名するが、
親会社であるPJMジャパンの撤退が原因となって深刻な経営難に陥り、
1997年1月にクラブ運営会社の株式会社佐賀スポーツクラブが解散を決議したが、
クラブ存続を求める鳥栖市民を中心に5万人を超える署名が集まった。
署名の際、鳥栖サポーターがJリーグや天皇杯などの試合会場に赴き、「鳥栖フューチャーズの存続を」と横断幕を掲げ、他クラブのサポーターにも署名を求めていたのは有名な話である。そんな努力が実を結び、鳥栖フューチャーズは解散してしまったが、その受け皿のような形で、1997年2月4日に佐賀県サッカー協会会長を代表とする任意団体として
「サガン鳥栖FC」が発足した。
これが、サガン鳥栖の始まりである。
当時は「サガン鳥栖」という名前しかなく、クラブハウスや練習場はおろか、ボールやビブスなども充分に揃っていなかったため、地元の高校や他クラブから支給してもらい、選手に関しても寄せ集めでなんとか試合に出れるかな?といった状態で運営会社の社員が試合の時だけ選手としてプレーすることも珍しくはなかった。
1999年からJ2リーグに加盟したが、
成績不振により「万年J2のお荷物」などと呼ばれ、
勝てない苦しいシーズンが長く続いたが、
2011年にJ2リーグで2位となり、悲願のJ1昇格を決めた。
2012年から日本のトップリーグ「J1」で一度も降格することなく、2022年でJ1在籍11年目を迎える今のサガン鳥栖があるのは、間違いなくこのような苦難の歴史を乗り越えてきたからである。

私が小学1年生の頃、当時J2だったサガン鳥栖の試合をベストアメニティスタジアム(現・駅前不動産スタジアム)で観戦したことがサガン鳥栖を応援するきっかけとなった。
試合結果や対戦相手などはあまり鮮明には覚えていないが、ピッチで躍動する選手たち、ゴール裏でチャントを叫ぶサポーター、スタジアムの雰囲気に圧倒された記憶がある。
私は次第にサガン鳥栖の魅力に取りつかれるようになり、
地元に情熱的で素晴らしいフットボールクラブがあることを誇りに思うようになった。
サガン鳥栖の代名詞と言えば、「ハードワーク」である。
クラブの資金力は決して豊富とは言えない。
スター選手を寄せ集めて、“個”の力で戦うのではなく、
一人ひとりの力は若くて未熟で小さなモノかもしれないが、
“みんな”がハードワークすることで、
個の力が集まる都会のビッグクラブにも勝つことができる。
それをアカデミーからトップチームまで、クラブ一体となって体現し、
結果で証明してくれているのが“サガン鳥栖”である。
そんな、小さな街の小さなクラブの挑戦が私たちサポーターをいつまでも熱狂させ、
それが街の文化として永遠に続いていくだろう。


2021年はJ1の舞台で戦い続けて10年目という節目のシーズンとなった。
前年オフに主力選手の相次ぐ移籍などで、スポーツメディア等では降格予想が多かった中、
生え抜きの若手やJ2から加入した選手たちが躍動し、
クラブ史上初となるJ1開幕3連勝、Jリーグ記録に並ぶ開幕6試合連続無失点、
名門クラブを次々と撃破など、夏が終わる頃までACL圏内の3位をキープした。
以降、主力選手の移籍や相手の策にはまり、勝ち点をなかなか積み上げることができなかったものの、どの試合も鳥栖らしさがあり、迫力がある素晴らしいフットボールを展開した。
特に王者の川崎フロンターレに対して圧倒的な勝負強さを魅せ、ホームで3-1で勝利するなど、堂々たる戦いを繰り広げた。
終わってみると、7位という好成績で、4年ぶりの一桁順位となった。
近年は最終節まで残留争いをしていたにも関わらず、10試合を残して残留が決定したため、
私を含めサポーターの皆さんは久しぶりに安堵できたのではないだろうか(笑)
と同時に、クラブ最高成績の5位以上やACLの出場権、タイトルを獲ることができなかったことはとても悔しかった。


今オフは、前監督のパワハラ問題、財政難のため生え抜き&主力選手が大量に移籍、新監督が就任、2名の元主将が復帰、大卒ルーキー大量加入など、例年以上に動きが激しく、私を含めサポーターの感情は天国と地獄を行ったり来たりしている。
こんな時だからこそ、クラブ名の「サガン」に込められているように
砂粒が固まって砂岩になるように小さい力を集結させ、立ち向かう時ではないだろうか。
私はどんな状況であろうと“サガン鳥栖”が大好きだし、心の底から愛している。
そして、サガン鳥栖の未来は明るい。

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