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[ちょっとしたエッセイ]あれから50年

 このタイトルだけで“わかる”人はピンとくるでしょう。

 三島由紀夫没後50年ということで、メディアでもちょこちょこと取り上げられている。個人的なところでいえば、生まれる前の出来事で、印象として事後の書き物や映像等で知るほかなくまったく無知である。世代で言えば、僕の祖父と同い年であるということ、昭和の数え年と同じだということだ。そう考えると95歳。まあいい年である。


 僕自身が三島に出会ったのは、中学3年の時。25年ほど前なので、その時は没後25年。この頃の新潮社がやっていたブックフェアで手に取った金閣寺が初めての出会いだった。
 時間とは不思議なものだ。同じ量形でも経験しない(生きていない)時間のことは、経験した時間と同量であっても記憶に刻まれた情報量の違いだろう、まったく違うことに今更ながらにおどろく。
 三島文学は、本当に日本語をすらすらと読み捉えることができる。それは理解とは別次元で、日本語の流麗さのことだ。だから何度も読める。僕にとって金閣寺はその際たる例で、もう6〜7回は読んでいる。それだけ、日本語の並び、くりまわしが器用で、美しい。そして、文体も多様で、物語と随筆、戯曲など幅広いが、どれもしっかりとした読み応えを感じさせてくれる。それだけで、偉大な作家であると思う。
 そしてひとたび実生活に目線を落とせば……なんとも話題の尽きない人物だった。
 春の雪のように、儚くも、人に理解してもらえず寸での美しさの中で消えていった(「春の雪」は三島の作品から)。
 しかし仮に、生きてこの世を漂っていたとしても、僕はここまで惹かれなかっただろう。死という昇華が後世にこれほど影響を与える人も多くはない。僕は専門家でもリアルタイムで目撃したわけでもないので、多くは語れないが、今でも彼の残した作品に、心を奪われている。そして、彼という人物の影を追ってしまう。
 もう50年。
 まだ50年。
 まだまだ僕の中では、出会った頃のままだ。

 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。

 これは、昭和45年7月7日の産経新聞に掲載された一文だ。よく予言的な文章として引用される文章。
 僕は、予言的だと思わないが、現実の事象から先見する予測する力のある人だと思う。でもそういうことだけでない。何か書く時、僕らは頭の中で予測しながら書く。それがフィクションだとわかっていても現実にあり得る中での想像だ。彼の場合は、そこの想像が現実の時間を追い越したということなのだと思う。
 賢い、と言えばそれまでだが、思想と社会をここまで結び付けられる人は、過去にも先にもいないのかもしれない。
 
 とは言え、毎年のこのタイミングだから三島を思い出すというわけではない。本を読むときはもちろんそれ以外でも三島を思うことはある。そのひとつはエンケンこと遠藤賢司の歌を聴くときだ。これこそ、その時代を生きた普通の人の感覚だろう。知見と理解は違うし、好きだからこその陶酔は対象を神聖化させてしまう。これ危険極まる。エンケンの『カレーライス』にちょこっと出てくる三島の表現は、これまで以上に強いインパクトを僕にくれた。しかしエンケンも数年前に亡くなった。

僕は寝転んで テレビを見ていると
そしたら誰かが
ぱっとお腹を切っちゃったって
ふーん 痛いだろうにね

遠藤賢司『カレーライス』より 1972年

さて、三島没後51年目を迎えた。
でも変わらずにたまにフラっと本を読み、彼のことを想うのだろう。
そして、金閣寺のラストにあるように、疲れた時のタバコを喫んで生きよう思うのだろうか。

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