[ちょっとした物語]五月の涙を僕は忘れない
うだる暑さの前触れは、いつだって街に出たくなる。
夕立が降り終わった後の黒いアスファルトの匂い、僕はとても好きだった。
冷たい飲み物は好きじゃないはずなのに、夏だからってキンキンに冷えたグラスのビールを無理に飲んでみたり。海は好きじゃないって言っていたのに、真夏の時には「海に行ってみたい」と駄々をこねたり。ひまわりの咲く草原で、麦わら帽子をかぶって、水玉模様のワンピースを着るのが夢なんだって。
君を見ていると、なんだか蜃気楼が手を振ってるみたいに見える。
「君の生き方は、なんだかムチャクチャだね」
「そんなことないわ。だって、夏なんだから、夏らしいことをしたくなるだけよ」
「でも、なんだか窮屈に見えるよ」
「それは偏見ね」
「そうかな」
「そうじゃない? 私がそれでいいと思っているんだから」
「だからムチャクチャなんだよ」
「ただの感性よ」
彼女はただ笑って見せた。僕はちょっとした夏の冗談なのだと思っていた。
うだる暑さの前触れは、いつだって街に出たくなる。夕立が降り終わった後のアスファルトの匂い、僕はとても好きだった。夏生まれの君は、いつだってそうだった。
いつかの暑い日、君は眉が出すぎるサングラスをかけながら、涙を隠していた。
「どうかしたの?」
「なんでもない」
「でも泣くなんて、何かあったんじゃない?」
「そうじゃないの。夏のせいなのよ」
ほら、やっぱり君はそうだ。
だから僕は夏が好きなんだ。
時が変わる、その蜃気楼に近づくと
僕らは目の前の模様がなんなのかわからなくなる。
だから、遠くの海をめざして行くほかなかった。
胸元を締めつける、夕立ち
僕は砂漠を歩くように、
朧にゆらめく幻影を頼りにひたすすむ。
窓際でほほえむ君の写真
雨に黒く染められたアスファルト
地平線の向こう側に見える真っ赤な太陽
「ほら、約束よ」
そう言って肩越しに見せる、右手でつくったピースサイン。僕は、それを目に焼きつけた。去りゆく季節の中、変わりゆくその理由と、次の季節について考えてみる。
次に君会う時は、もっとスマートに、もっとおおらかに会うことができるだろうか。
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道の先に蜃気楼。
僕の目に映るものが果たして現実なのかもわからなくなる。
幻想と空想と理想と現実。
僕らはその狭間で、何を思うのだろう。
不確かな記憶、不確かな行動、不確かな想い
すべてが曖昧で
すべてが唐突で
そんな世界が僕らの生きる世界なんだと思う。
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