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[ちょっとしたエッセイ] 食う、考える、食う

いつも食べているものに感謝するという、至極当たり前と思っていることを、いつ誰がどのように教えてくれたのか覚えているだろうか。
今この瞬間、目の前にあるすべてのものは、必ず誰かの手を通して生産されていて、その数だけ感謝を持っているだろうか。
そんな考えてみても仕方ないようなことを考える深夜。
テレビに映るふくよかな桃色の豚の群れを見ながら、中学時代のことをふと思い出した。

「豚はネギを食べると死ぬぞ」
と先輩に教えられた僕は、必死に台所の隅にある残飯の入ったバケツからネギを見つけては取り出す作業をしていた。
「なんでネギを食べると死ぬんだよ」
そう心で思いながらも、体は必死にネギだけを探していた夜の7時過ぎ。
豚を飼育することが授業の一環としてあったわが母校。中学1年時に毎日豚当番なるものがあり、日中は豚舎の清掃と豚の運動、昼夜は残飯の運搬など、これに1日の大半(精神的な部分)を占められた僕らは、豚との生活がとにかく大いなるストレスだった。

当時、寄宿していた学生寮から豚のいる豚舎までは徒歩15分程度。暗闇の中を一輪台車に20Lほどのポリバケツを積んでこぼれないように気をつけながら押していく。
電灯に群がる虫たちの目線にやや怯えながら、じっとりとした5月の空気の中、いやいやながら歩く。
数十メートル手前から香る豚の糞尿の香り、息を吸い込むときに出る少し苦しそうな豚の鳴き声、今日も彼らの食べ物を僕は運ぶ。
物音に気がついた彼らは、我先へとこちらの方へ走ってくる。ピンク色、茶色、焦茶色、計4頭の豚が、悲鳴にも似た声で寄ってくる。
辺りはしーんと静まりかえっている。
僕は、スコップでポリバケツから残飯をすくって、餌台に流し込む。ひとすくい目から、彼らは勢いよく頭を寄せながらべちゃべちゃと食べ始める。位置を変えて、またひとすくい。あぶれていた1頭がすかさずやってくる。普段は体に触れようとすると逃げ回る豚たちだが、食事の時だけは本当に無防備だ。僕は1頭の頭を撫でる。まったく気にしない様子だ。硬く短い毛は意外にも密度は薄く地肌がよく見える。逆撫ですると手にチクッと刺さる毛が心地よい。一生懸命に残飯を食らう姿、目はどこか食べ物を見るというより、空間を見ている。電灯に反射した目の潤いがどことなく悲しげに見えた。

「あっ」

端の方で食べている茶毛の豚の口から、ネギの青い葉身部分がひょっこり出ている(なぜだと心で叫ぶ)。これはまずいとすかさず手で掴み引っ張り出そうとした。が、みるみる口の中へ吸い込まれていった。なんだかこの世の終わりのような絶望感に苛まれた。これで豚は死ぬかもしれない。先輩にかなり怒られる。頭の中では、先輩の前で正座をしている自分の姿が浮かんだ。豚の死より、そちらの方が正直嫌だった。
しかし、豚は何事もないかのようにむしゃむしゃと食べ、平然と壁に体を擦り付けて満足そうな様子を披露した。豚の食事は短い。あっという間に20L分の残飯を食べ終え、それぞれコンクリートの部屋の四隅で涼むように静かに丸くなっていた。

ネギの呪縛にかかった僕は、台車を引いて寄宿舎へ戻る。
そこから数週の間、食事にネギが出たときは、取り憑かれたようにポリバケツを何度も見て、ネギを取り払う、運ぶ直前にも……自分で勝手な禊を繰り返していた。
一方で、茶毛の豚はといえば、最初の数日は明らかに便が緩くて、なんだか不安になったが、その後大きな体調の変化は見られなかった。
そして、夏を目前とした7月の頭、彼らは出荷される時期になった。普段というか、豚たちが生きている間一度も目にしたことのないトラックが豚舎に近づくと、明らかに鳴き声が荒くなり、四方八方に走り回る。豚舎の入り口にバックで乗りつけたトラックの荷台からスロープが降りる。
僕らは、バケツを片手に豚を入り口まで追いやる。ある意味ここがクライマックスだ。鳴き声が断末魔の悲鳴のように響く豚舎。身を寄せ合った4頭の豚にバケツを被せる。すると、それまで上げていた悲鳴は止み、豚たちはただただ後退りをしながら、開いた入り口からスロープをゆっくりと登っていく。
トラックは柵を閉じて、この空間は静寂につつまれた。

後日、学校の昼食で再会した「トンカツ」という名のその命のひとかけら。
先輩がやってきて言った。

「おまえらが育てたの脂多すぎだわ」

見てみると、白い部分がかなり多かった。確かに脂が多くて、そこまでおいしいといえるほどではなかった。そしてネギを食った茶毛の豚を思い出した。「あれやっぱりストレスになっちゃったのかな」。

人は、自分の子どもがどのように成長するかを楽しみにする反面、子ども本人の生きたいように生きる、もしくは生きられるように見守ってやることが親の責務なんじゃないかと僕は思っている。

昨今、命の授業といった話題がメディアで見られ、子どもたちが涙する様子を見るたびに、どこか違和感を覚えていた。
先輩に言われた一言をきっかけに、僕は豚をよく運動させ、食事に気を使い、脂身のちょうどいい豚にすることを考えた。結局のところ、中学時代に終始考えたのは、おいしい豚肉になるための豚の飼育方法だ。でもそれはとても難しかった。そして、食べる人の視点になっていた。そこに生き物同士の愛情に似た感情は存在するが、結局送り出すことしか出来ない。添い遂げることはできないのだ。運命づけられた僕も豚も、それを直感でわかっている。そこに生きることのキモがあるような気がする。
テレビでやっているような命の授業と僕が学んだ授業の違いは、一目瞭然ではある。
そして、結論として豚にネギを食わせると脂身の多い豚になる可能性が高いということだ。

深夜2時。
テレビに映る豚の群れを見て、ネギを咥えた茶毛の豚を懐かしんだ。

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