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[ちょっとしたエッセイ]六本木という街に騙される日々

 先日、久々に六本木を訪れた際、休憩にと駅前の喫茶店に入った。ここは駅前の割に、結構広くゆったりしているので、ちょっとした打ち合わせなどで長居するにはもってこいの場所だった。ただ、古い佇まいと、土地柄か、スーツの人とラフな私服の人のペアが多く、なんだか胡散臭いさは拭えない。でも、ひとりでゆったりするには良い場所だった。
 運ばれたコーヒーを飲みながら、あたりを見回していると、背筋をピンとしながら項垂れているように見える女性と、その目の前でうれしそうに話す男性の姿が目に入った。詳細な会話は聞き取れなかったものの、男性は異様なハイテンションで、女性は能面のような魂の抜けきった顔をしている。僕は、携帯を見ては、そちらの男女の方を見る、そんなことを繰り返していたが、一向に彼らの表情は変わらない。男性は嬉々として話をしているが、女性は肩を上げ、背筋は張り、俯いている。明らかに耐えているようだった。
 
 もう10年くらい前、雑誌の編集者として働いていた時に、取材やインタビューで喫茶店を使うことがあった。そんな中、そういえばこの喫茶店を使ったことがあったことを思い出した。この時インタビューをした方は、雑誌の取材ははじめてという女性で、個人で子ども向けの紙芝居を作って読み聞かせるということを仕事にしている人だった。普段は関東の郊外を活動拠点としているのだが、たまたま六本木付近で行われたイベントに出るためにやってきたタイミングで、取材をさせてもらった。赤い絨毯は足音を消し、タバコの匂いとやや緊張感のあるゆったりとしたスペースで、僕はいろいろ話を聞いた。しかし、終始「はい」「いいえ」の答えばかりで、こちらを見てくれない。緊張しているのかと思いながら、一通りの質問を終え、お礼を言うと、なぜか彼女はお金をテーブルに置き、逃げるように帰ってしまった。あまりの突然の出来事に僕は、唖然としてしまった。
 その後、実際に出来上がった雑誌をその人に送ると、お礼の手紙が返ってきた。つらつらと、これまで経歴や仕事をはじめるきっかけなどがていねいに書かれていた。別添資料として、作品の数々のコピーなどもあった。掲載前にもらえていたら、どれだけ助かっただろうと、心の中で思いながら、手紙を読んでいると、最後にこうあった。
「あの取材の日、質問にちゃんと答えられなくて申し訳ありませんでした。あまりにも不慣れであったのと、緊張のためか、なにかの犯罪に巻き込まれてしまうのではないかと怖い気持ちがありました」云々。なんとも言えない素直な気持ちを受け取った後、僕は、場所はもう少し選んで仕事をしようかなと思った。そして、マルチや保険の勧誘が喫茶店に多い理由を少し理解したような気がした。
 編集の仕事は、見た目の印象、つまり容姿が結構大事だ。ラフすぎても警戒されるし、堅すぎても緊張されてしまう。その間って結構その人の素のセンスが出やすい。僕みたいなセンスのなさ、そして陰キャで、図太い精神力のない人間は向いていないんだなと、今更ながらに思った。

「じゃあ結局どうするの?」
 あの若い男性が少し興奮気味に話している。それでも正面の女性は頑なに下を向いている。こりゃなんかの勧誘だろうなと僕は携帯を片手に様子を伺っている。これはもう見ていられないなと思い、下を向いていると、
「だって、〇〇君のお母さんに会うの怖いんだもん」
「そりゃ、しょうがないじゃん。うちに連れてこいってうるさいんだもん」
 やれやれ、そういうことだったか。すっかり騙された。六本木の赤絨毯の喫茶店は、人がいつも以上に悪そうに見えるし、かわいそうにも見える。そして、それは自分に向けられた目とも言えるわけだ。普段はそれほど気にしない人の目は、案外その場の空気が感度に影響する。
 とはいえ、やはりこの六本木という街は、僕にとってまだまだ慣れるには程遠い街で、たぶん今後も慣れることはないんだろうな。ただ、唐突ではあるが、この街にある「天鳳」というラーメン屋だけは、消えないで続いて欲しい。ここがある限り、どんなに不慣れでも苦手でも、嫌な思いが募ろうと、必ずまたやってくるだろう。

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