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[ちょっとしたエッセイ] 年端も行かず蒼茫で

天気のよい日をほど、憂鬱になる性格で、ひとりでいるからだとわかっているからこそ、こんな日を恨めしく思ってしまう。
だから出かけるのならば、夕方にしようと思って、寒空に太陽が沈む時間に、マフラーを巻いて外へ出た。
もう、年が明けて数日経った。
すれ違う人々は、いつもより顔は緩み、まだ正月がそこにあることを教えてくれた。

今の土地に越してきて、早7年。
東京に生まれて、東京で育った自分にとって、住民票がそこ以外になることに小さな抵抗はあったが、大きな変化はなく仕事も行動範囲も特に変わらないことを思うと、結局のところ住む場所なんていうものは、さして大事じゃないことを思い知らされる。

年が明けて僕は、実家に戻った。とは言っても車で1時間程度の場所なので、特別帰省という実感はない。
じいちゃんばあちゃんの仏壇の前で、なんとなしに手を合わせて、小さな祈りを捧げる。築100年を越えたこの下町のボロ屋では、もう70になる母親が、そんな彼らとともにひとりで生きている。家の周りはビルに囲まれ、時が止まったようなこの家だけは、自分の幼い頃となにも変わらずに、ひっそりと生きながらえていた。


少し歩くと、きらびやかな通りに出る。
正月飾りに彩られたビルや店先。
デパートの軒先では、大きな紙袋を抱えて、笑顔が弾けている。
親子が手を握って楽しそうに闊歩する。
どことなく、他人行儀なこの街は、いつでも人を少しだけ喜ばせ、そのまま黙って無関心を装っている。


月の明かりが少しだけ、ネオンの隙間からこぼれ落ちる。
昨年の小さな後悔から、どうでもいい上司の戯言やら、見た映画のワンシーンやらが思い出された。
今年はどんなことをやろうか、少し考えながら、この街の整った歩道を進んでいく。
「この街に行きたい場所はもうない」
そう歌ったnaomiの歌声が頭をかすめる。
いつでもノイズがこだまをし、僕の知っている東京が少しずつ薄まっていくようだった。



戻るべき場所もいつかはなくなり、僕のいる場所に戻ってくる人がいるかもしれない。
そう思うと、生きることの意味が少し前向きになるように思える。
見た目だけが大人になって、背中にべっとりと重なった後悔のレッテルはこれからも積み重なったいくだろう。
それでも、なんとなしにでも時は流れ、老いていく。
軋む廊下の音は、数十年前と変わらずとも、そこを歩く人間は変わっていく。
小綺麗な神社をお参りし、踵を返して家に戻った。

ビルの隙間からただよう味噌汁の匂いは、あの頃と変わらない。
年末年始に駆られるこの寂しさは、いずれ琥珀となって輝くだろうか。

—2022年 謹賀新年—

みなさま、あけましておめでとうございます。

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