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ユルスナール「三島あるいは空虚のビジョン」レビュー

マルグリット・ユルスナールによる三島文学の論評。
訳は渋澤龍彦。

ユルスナールということで構えていたが、かなりフランクに書かれてあり読みやすかった。
評論の多くは「春の雪」からの4部作に割かれてあるが、「金閣寺」「潮騒」「禁色」「仮面の告白」「鏡子の家」など代表作にも言及されている。
また、三島の割腹自殺についても論ぜられている。

まず驚いたのは、あのユルスナールが引用する三島作品の設定を間違えていたり、存在しない文章や描写を挿入していて、訳者の渋澤龍彦氏にしょっちゅう訂正されていたこと。
「ハドリアヌス帝の回想」ではローマ史の専門家が著書で必ず引用するほど精緻に時代や人物を抽出したユルスナールが、現代文学のテキストを頻繁に間違えるというのが解せない。
日本にも来たことがあるし、日本や東洋に偏見・蔑視があるとはとても思えないのだが……
一つ可能性があるとすれば、訳のつたなさや不備が原因かもしれない。

また、ユルスナール自身による誤解や明らかな不理解も散見された。
個人的に不思議だったのは「輪廻」という概念が全く理解できていないこと。
これはあとがきで渋澤氏も指摘している。
あんなに博学な作家が、仏教の基本的な概念である「輪廻」がどうしても分からないというのがなんかとても不思議。
西洋人、クリスチャンにとっては想像もつかないのだろうか?
西洋から東洋、日本を理解するというのはかなり難しいんだろうなと想像できた。
もちろん、ネットがない時代というのもあるだろうが。

三島作品についてよく言われるのが、「鏡子の家」の失敗。
「鏡子の家」が刊行以降文壇から完全に黙殺され、なんの評価も得られなかったというのは三島ファンには有名な話で、そのショックで三島はおかしくなり、右傾化していったとも言われる。
三島の盟友だった渋澤氏も、さんざん本人から愚痴を聞いたらしい。
ユルスナールもそれについて言及しており、なんと三島の主要作品の中で(ユルスナール生存時)「鏡子の家」だけはいかなるヨーロッパ文学にも翻訳されていなかったそうな。
翻訳の価値なしと思われていたということか……?
これにはちょっとびっくりした。
2023年現在は知らない(たぶん翻訳はされているだろう)。

本書におけるユルスナールの三島文学への評価を見ると、どうしても翻訳について疑わざるをえない。
例えばユルスナールは「禁色」を『書き殴ったような文体』など再三酷評しているが、どう考えても「禁色」がそこまで酷い作品だとは思えない。
恐らく酷いのは翻訳だろう。
だとすると逆のことも当然起こり得るわけで、日本で文体を酷評されている作品が原語では秀逸だということも考えられる。
まあ、そうならないように訳者たちは文学者生命を賭けて翻訳してくれているのだろうが。

そんなこんなで、本書では読み違いや訳に翻弄される人間ユルスナールが垣間見えてなんかほっとした。
三島とユルスナールが好きな人には二度おいしい作品。
ただし、西洋からの研ぎ澄まされた三島研究が知りたい人にはあまりおすすめしない。
本書には抜けてるところが多すぎる。

八幡謙介の小説

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