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はじめてドクトルと呼ばれた日 メキシコ チチェン・イッツァにて

 3月11日。僕はメキシコにいた。カリブ海リゾートのカンクンで過ごす日々から一日を割いて,チチェン・イッツァというマヤ文明の遺跡を見に行った。移動だけでカンクンから片道4時間,往復8時間の長旅である。珍しく現地のツアーに参加した。このバスに乗るのは40人くらいだろうか,その中の多分38人はスペイン語が話せる人間で,もう一人の男と僕だけがスペイン語を話せなかった。その男はバングラデシュ出身で今はニューヨークで大学院生をしている。日本以外の多くの国では博士課程は奨学金で通う場所のようで,お金を払わなければ通うことのできない日本の学府に対し疑問が尽きないようである。

 チチェン・イッツァからの帰り際,そんなバスの通路を挟んだ向かいに座る中年の夫婦に話しかけられる。君は一人だけれど楽しめているのかね。どこから来たんだい。何をしているんだい。そんな旅人同士のありふれた会話がいつものように繰り広げられる。彼らはカリフォルニアから来て,家族とともに故郷のメキシコを旅しているところ。僕は正直に医学部の6年目で,国家試験を終えて中南米を旅しているところだと告げる。

「こんなところまで来ているのだからどうせ受かっているでしょう,君はドクトルだね。」

 そうか。僕はもうドクトルらしい。これほどまで身の引き締まる思いを味わったことがない。はじめてドクトルと呼ばれたのがメキシコであること,先生でもドクターでもなくドクトルと呼ばれたこと,その全てが僕の人生を物語っているような気がして喜ばしい。異国の地を旅する一介の医者なりかけの日本人。そんなどうでもいいはずの存在の僕を,彼らは身内のように応援してくれた。医師という人間はたとえ他国に生きていようと多大な期待を寄せられてしまうようである。はじめて医師になる実感が湧いてきたと同時に,ドクトルの称号を背負えるのかよくわからなくなってきた。ともあれ,ドクトルと自信を持って言えるくらいには勤勉に修行に励むことをメキシコで誓った。

 いよいよ明日から研修医としての生活が始まる。これから2年の舞台は世界を旅して導かれるように辿り着いた美しい南の島。現実離れした海の青さに吸い込まれて移住してしまった。多くの同級生が医師であることを第一に考え研修先を選ぶ中,僕は人生の中の一部分としての医師という視点で研修先を選んだ。その選択は当然大きな不安を伴ったし,果たしてそれで良かったのかはまだわからない。完全無欠な2年など過ごせるはずがないけれど,いくつかの幸せな思い出を残せればいいくらいの気持ちでドクトルの称号を背負うための修行を始めるところである。


 どんなドクトルになるのか,具体的なビジョンは一切見えない。勤勉に働く中で感じるあれこれを,この海を見ながら整理していけばよいのだろうか。僕のささやかな呟きがどれくらいの人に,どんな風に見られていくのか楽しみでならない。

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