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Vol.4 判断基準と優先順位が経営を強くする

ちょっと整理します。
Vol.1 本音と建前の経営が諦め社員を量産する
経営理念は建前ではなく本音であってほしいと書きました。
Vol.2 行動基準を見れば経営理念の本音度が分かる
本音の経営理念は収益より優先されると書きました。
Vol.3 「逸話」だけでは「神様」になれない
経営理念を優先する意義を書くための準備をしました。

何とか話は流れていました。少し安心しました。
では今日は、「逸話集」だと「経営理念」を「収益」より優先することができなくなる、ということを説明します。


相反する教え

「逸話集」だとなぜ良くないのでしょうか。
それは、矛盾するのに優先順位がない判断基準を生んでしまうリスクがあるからです。
どんなことにも相反する考え方があり、どちらも正しい、ということはよくあります。
なので、相反する教えがあると、意見が分かれてしまいます
それだけなら良いのですが、より楽な方に判断が流れてしまいます
その結果、社員のモチベーションを下げることも多々あります。

「逸話集」だとこのような相反する教えが随所に現れます。
その中でも、私がパナソニックを決定的に束縛していると思う事例を挙げてみたいと思います。

「社会の公器」か「赤字は悪」か

松下幸之助さんの言葉の中に「会社は社会の公器」という教えがあります。
会社は社会に生かされているのだから、社会に耳を傾け、役立つことをしましょう、という思想です。
これはどちらかというと「経営理念」側の教えです。
もちろんボランティアをしようという教えではなく、その後に、もしそれで赤字になるようなら、その仕事はその価格では社会に求められていないということだから、やめればよい、と続きます。
これは、まずは社会に役立つことを仮説を立てて推進し、世に問うてみて、うまくいかなければ引けば良い、というようにとらえることができます。

一方で、「赤字は悪である」という言葉を強調した逸話も数多く残っています。これは先ほどの逸話でも出てくる通りで、間違ったことを説いているわけではありません。
そして、こちらは「収益」に関する教えになります。

判断基準として見た時の矛盾

ところが、これらを判断基準として見たときには話が違ってきます。
表面的に見ただけだと、これらは相反する基準になるのです。

例えば新しい商品を開発する際に、商品化するか否かを決断する場面が必ず訪れます。
その商品が明らかに売れそうならあまり揉めることはありません。
問題は、世の中に存在しない、受け入れられる可能性はあるのか分からない、確信が持てない、という新しい商品の場合です。

前者の教えであれば、「まずは世に出して問うてみようではないか」となるでしょう。
ところが後者の教えに従うと、「赤字になる可能性があるならやめておこう」となるのです。

そして、複数の人がこの議論を始めると、各々が自分の信じる方の教えを主張し、意見が二分します。どちらも松下幸之助さんの教えなので、間違っていません。でも意見がまとまらず混乱するのです。

楽な判断

そして大きな問題はここからです。
もしあなたが決裁者の立場で判断する場合、どちらの立場に立つのが楽でしょうか。そう、明らかに後者の「赤字は悪」です。
前者はリスクです。後者の立場で何もしなければリスクがありません
時にはリスクを取ってみようという猛者もいるかもしれません。でもほとんどの人はリスクを取ろうとは思いません。決裁者に近い人ほどその傾向は強まります。

赤字を避けるという視点では、これは必ずしも悪いことではないのですが、これでは最先端を走る企業にはなれません。
他社が出して、売れることが分かって安心して、初めて商品化に踏み出せるようになります。

「経営理念」と「収益」に優先順位がないと、こういうことになるのです。
「収益」を優先する方が楽なので、そちらに流れてしまうのです。


ついでに誤解を恐れずに書くと、パナソニックが松下電器時代に「真似した電器」と揶揄されていた原因がここにあるのではないでしょうか。

モチベーションへの悪影響

また、Vol.1 本音と建前の経営が諦め社員を量産するに書いた通り、社員のモチベーションの視点でも不利になります。

リクルート中の学生や新入社員は希望に胸が膨らんでいます。
「会社は社会の公器」の教えに憧れを抱きます。
「赤字は悪」に憧れる若者なんていませんよね。


ところが会社に入ってみると、途端に現実を目の当たりにします。
新しいことを提案すると、即座に「それは儲かるのか?」「誰がどれだけ買ってくれるのか?」と問われ、挙句の果てに「ビジネスが分かっていない」と責め立てられて終わりです。
こうして意気揚々としていた若人は本音と建前の存在に悩まされ、結果、諦め社員に転化します。

そして生産効率が下がるという勿体ない結末が訪れるのです。

優先順位をつけてみる

これが「まずは世に出せ、次に赤字を最小限にとどめよ」という明確に優先順位のついた教えだったらどうでしょうか。

商品化の判断で、無駄な議論をする必要がなくなります。
・決済者も、教えの通りなので、むしろこちらが楽な判断になります。
・新入社員はいつまでも高いモチベーションを維持します。

こうして生産効率が確実に上がります。
こちらの方が良いに決まっています。

「経営理念」を「収益」より優先する
、というのはこういうことです。

創業者の呪縛

では早く優先順位をつければよいじゃないか、と思うかもしれません。
ところがこれがすごく簡単そうで難しいのです。
創業者の教えだから、後世の経営者達が勝手に優先順位をつけられないのではないかと想像します。
もちろん、ある時の社長が優先順位をつけることはできます。ところが普遍的な順位をつけることができず、社長が変わると順番が変わるということが起こります。
これが創業者の呪縛です。社内向きにはとてつもなく強い力です。

もし松下幸之助さんが優先順位の付いた判断基準として呪縛を与えていたら、パナソニックの今は大きく変わったのではないかと思うのです。

これが、他社の経営者だと話は別です。
自分が正しいと思った順位をつけることができます。
なので、ソフトバンク、ファーストリテイリング、エイチ・アイ・エスなど、松下幸之助さんから学んだ経営者の企業は成功しているのだと思います。
でもパナソニックがそうなることはありません。たぶん。

本当は優先順位が付いている・・・?

パナソニックには「遵奉すべき七精神」というのがあり、その1番目が「産業報国の精神」です。なんとその説明に、「産業報国は当社綱領に示す処にして、我等産業人たるものは本精神を第一義とせざるべからず」、とハッキリと書かれています。(二重否定文で分かりにくいですが、強調文です。)
そして「会社は社会の公器」の教えはこの精神を表したものといえ、先述の通り「世に問う」ことを「収益」より優先しています。

このように、よくよく読むと優先順位がついているように見えます。
実は松下幸之助さんは、ここに想いを刻んでいたのかもしれません。

でも、何故かそのようには理解されず、後世に伝わっていないようです。
その証拠に、パナソニックで働く人から、それを聞いたことがありません。それどころか知っている人すらほとんどいません。つまり、優先順位がついているけど形だけ、全く浸透していないのです。超勿体ない!

私は「逸話集」の限界がここにあると考えています。想いが正しく継承されなかっただけでなく、逆にブレを生じさせている可能性もあります。
これが経営学として体系立てて整理され、企業風土として定着していればと考えると、本当に惜しいと感じます。

まとめ

ちょっと調子に乗り過ぎました。パナソニック20万人の社員を敵に回しそうで怖いです。ゴメンナサイ。でも本心なので、このまま投稿します。
きっとそんなんじゃない事業や部門もあると思います。あくまで全体的なイメージです。お許しを。

言いたかったのは、経営理念を優先する判断基準がないと、経営の質を下げてしまうということです。

生きていると、勉強でも趣味でも、お金の使い道でも、なにがしか判断基準を持ち、優先順位をつけて生活していると思います。これが個人なら、多少曖昧でも、コロコロ変わっても、そんなに困ることはありません。

でも会社という組織は、それでは困ります。明確な判断基準と優先順位をもって運営することが効率的な経営につながります。ところがそもそも判断基準がない、優先順位がない、大企業ほどない、それで迷走しない方がおかしいのです。

とはいえ、そういう判断基準を作ることも、改善することも、なかなかできないのが経営の難しいところだと思います。
考えてみれば、これができているディズニーが目立つのは、できない企業が多いからです。
誰でも真似してできるようなことなら、とっくにスタンダードになっています。なので、できなくて普通だ、ということにしておきましょう。

ということで、今回でだいたい大きな話は書き終えたので、次回からは細切れのテーマで、つらつらと、いろいろと、書いていきたいと思います。

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