庄司健人

20世紀の音楽について研究しています。学習や研究の成果のメモです。 東京藝術大学博士課程

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最近の記事

フーコー『知の考古学』を読む②

フーコー『知の考古学』を読んでいきます。フーコーの文章はなかなか読みづらいので、要点を箇条書きにまとめていきます。概要を把握するときなど参考にどうぞ。 フーコー『知の考古学』慎改康之訳、河出文庫、2012年。 Michel Foucault, L'Archéologie du Savoir, GALLIMARD,1969 Ⅱ言説の規則性 1言説の統一性 ・歴史の連続性のテーマを多様化させている諸観念からの解放 「伝統」― 相次いで生じる、同一、類似の諸現象の集合に

    • 60年代ごろの日本におけるフォークソングの扱い (中村とうよう論③)

      ③60年代ごろの日本におけるフォークソングの扱い 今回の論考は中村とうよう論ではあるが、やや脇道にそれて、60年代ごろの日本におけるフォークがどのような印象を持たれていたかについて考える。 日本のフォークの印象を、筆者の思いつくままに挙げるとするなら、反体制、長髪、ヒッピー、などがある。しかし60年代にフォークが日本に紹介されだしたころのイメージはやや異なっていたといえるだろう。 63年ごろからフォークは日本で流行しだすが、そのブームの最盛期は65年から66年ごろにかけて

      • フーコー『知の考古学』を読む①

        フーコー『知の考古学』を原書と付き合わせて読んでいきます。フーコーの文章はなかなか読みづらいので、要点を箇条書きにまとめていきます。概要を把握するときなど参考にどうぞ。 フーコー『知の考古学』慎改康之訳、河出文庫、2012年。 Michel Foucault, L'Archéologie du Savoir, GALLIMARD,1969 序論 数十年前から(1940ぐらい?)歴史家は,長い期間への関心を強めている。 (アナール派の動向) 長い期間をの変化を明らかにする

        • 中村とうよう論 ―音楽評論と「商業主義」の関係の変化―②フォークとの出会い

          前回-中村とうよう論 ―音楽評論と「商業主義」の関係の変化―① ○上京、評論家デビュー  1956年、京都大学を卒業した中村は、日本信託銀行に就職が決まり、上京した。銀行員時代の中村は、レコード収集とレコードコンサートの企画に力をいれていたという。  1957年、この銀行員時代に、中村は商業誌にデビューすることとなった。57年5月号の『ミュージック・ライフ』、タイトルは「新しい音楽カリプソのすべて」であった。当時、浜村美智子が、ハリー・ベラフォンテの「バナナ・ボート」をカバ

        フーコー『知の考古学』を読む②

          中村とうよう論 音楽と「商業主義」の関係の変化 ①学生時代まで

           音楽評論家、編集者であった中村とうようの名前は、90年代までにポピュラー系の音楽雑誌を読んでいた方ならご存じだろう。この論考は、中村とうようの生涯から、かれの音楽観と「商業主義」の関係について考察するものである。音楽だけではなく政治に対しても率直な物言いで、多くの文章を残した人物であり、当時の日本の左派知識人の変化と音楽の関わりを考えるのにふさわしいと考えている。  中村の生涯に関する記述は大部分を、田中勝則『中村とうよう 音楽評論家の時代』二見書房、2017年、に依拠し

          中村とうよう論 音楽と「商業主義」の関係の変化 ①学生時代まで