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仕事の間に遊びを挟むワーケーション【海外就職への道22】

こんにちは。マニラからお届けします。

今回は前回の続き、コロナ禍でフィリピンに渡航できない中で行った沖縄ワーケーションについてお話しします。

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沖縄では、北谷から名護、那覇、今帰仁、読谷、コザとおよそ一週間ごとに移動しながら生活していました。それぞれゲストハウスに宿泊しながら、平日の昼間は共有スペースで仕事をし、週末は各地に遊びに行っていました。沖縄と一口に言っても、地域ごとに特色があり、それぞれの場所での生活内容は大きく異なります。

中部の北谷は、米軍嘉手納基地に近くアメリカンビレッジや砂辺などアメリカ色の強い街並みがあり、アメリカ人も多く滞在しています。食べ物もアメリカンな物が多く、ジャンクフードを貪る毎日でした。沖縄らしさは少ないかもしれませんが、英語を勉強している僕にとってはアメリカ人と生の英語を触れられる、とても刺激的な街でした。沖縄で一番好きなエリアです。

北部の名護は、那覇や北谷と比べると比較的落ち着いている地域ですが、その分沖縄色が強く出ていました。コロナ禍ということもあり、宿泊したゲストハウスは貸切り状態で、屋上に登って海の向こうに沈む夕日を眺めながら仕事をする、絵に描いたようなワーケーションを実現できました。緊急事態宣言下で飲食店が軒並み休業する中、数少ない営業店を探すのも楽しかったです。この時期、夜食を食べながら深夜まで仕事をしていました。忙しかったけど、それでも楽しかった。そんな毎日でした。

県庁所在地の那覇は、さすが都会といった様相で、夢から現実に戻ってきた気分でした。昼は国際通りの飲食店、夜はドンキの安弁当、という貧乏サラリーマン生活をしていました。ここで泊まったゲストハウスにはハーフを含む外国人も多くおり、しかもみんな20歳前後の若い人たち。日本語を覚えながら仕事をしていたり、学校に通っていたり、「自分の人生を必死で生きている」ということがとても伝わってきました。それでも楽しく毎日を過ごしていて、少し生き方について考えるようになりました。ここには1週間半過ごし、沖縄に上陸した大型台風の暴風雨の中、地元に帰る同期と別れを告げ、那覇を後にしました。

ついに東京でオリンピックが開催されました。でも、それまでの政府やJOCのゴタゴタで完全に興味がなくなっていた僕は、北部・今帰仁の旅好きには有名なゲストハウスで、テレビのない環境にいました。台風の降りしきる雨の中、ゲストハウスの人たちとたくさん話したり、昼寝したり、悠々自適な日々を過ごしていました。残念ながら美ら海水族館は閉まっていたものの、楽しい時間を過ごせました。

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仕事と遊びの融合。IT業界で働く自分には遠いものだと思っていました。沖縄でワーケーションという形で、仕事に遊びに充実できたような気がして、とても嬉しくなりました。そんな沖縄の生活はまだ続きます。

この続きはまた明日。では。

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