空気感が気になる
いろんな人と関わっていくと自分がどのような人間かを客観的に認識できるようになります。
自己分析は就職活動だけのものでもないし、自分で自分を知ることは生きていく上でとても必要だと思います。
僕は今、ゲストハウスでボランティアのスタッフをしており、日々多くの人たちと出会う生活を送っています。
1ヶ月ここでの生活を送っていく中で、僕自身が「空間に漂う空気感」に過敏な性格であることに気づきました。
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沖縄本島北部にあるゲストハウス「結家」でボランティアの住み込みスタッフを始めて1ヶ月が経ちました。
本来の予定は1ヶ月間だったものの、諸事情により2週間延長となりました。そのため、引き続きここでの生活が続きます。
スタッフとはいえ、沖縄の海の見える宿でのんびりと1ヶ月間過ごすというのはとても貴重な経験です。
日によって差はあるものの、毎日いろんな人が宿を訪れて宿泊し、毎日いろんな人が宿を去っていきます。
出会いと別れを繰り返していくと、自分がどのように人と接しているかを認識できるようになってきました。
そんな中、僕は一対一でも集団でもその空間が良くなるように無意識に気遣っている、ということに気づきました。
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一対一で人と接する時、特にスタッフとして初対面のお客さんと接する時は、いつも必ず自分から話しかけるようにしています。
もちろん宿という環境ではスタッフが宿のことを知っており、優位な立場に立っているからです。
ただ、お客さん側がこの宿のことや僕自身のことを知ろうとしている時は、その変化を瞬時に察知して話の内容を切り替えたり、自分が聞く側に立ちます。
もちろん、宿のスタッフとしてお客さんに気持ちよく宿を利用してもらいたい、という気持ちがあるからでし。
それに加え、お互いの立場を超えて一人の人として対峙したとして、ここに漂う空気が悪くなるのを防ぎたいという気持ちがあるからです。
いわゆる「気まずい空気」が僕はとても苦手です。だから、相手に気まずいと思われないように強く気を遣っているということになります。
自分としては当然のことだったことも、いろんな人に会う中で、みんながみんなそう考えている訳ではないと知りました。
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集団でいる場合、僕は自分が場回しの役だと思っている時を除き、積極的に話に入ることはあまり多くありません。
そもそも一対一のコミュニケーションは得意だけれど、集団のコミュニケーションは苦手です。だから、集団の中でぐいぐい話に乗っかっていくことにはハードルを感じてしまいます。
とはいえ、たとえば何かピンポイントで聞かれた時にはちゃんと答えるし、自分がうまく話に入り込めそうな時はすかさず入ります。
あくまでみんなが盛り上がっているこの空気感を保っていたい、という気持ちが働き、そのためだったら存在感を消しても構わないと思えてしまいます。
しかし、集団のコミュニケーションでも気まずくなりそうな空気ができそうな時は別です。
たとえば、政治問題、コロナワクチンの是非、沖縄の基地問題など、人によって意見が大きく対立しそうな話題の場合は、話を止めようとする場合もあります。
これはスタッフとしての立場を使っているものではあります。ただ、意見が対立して空気感が悪くなりそうな時は、それを未然に防ぎたいという思いがあるからやっています。
喧嘩なんて起きてほしくないし、だれかが傷ついてもほしくない。
この空気感の変化を察知して、制止するエネルギーが入り、無意識的に自分がその間を取り持ちます。
その結果、そういった対立は起きないし、だれもが傷つかずにこの空間を過ごせます。
もちろんお客さん同士が一対一で話す分には全く問題ないし、僕も関与する気もありません。
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僕のこの空気感を気にする感覚は、昔からずっと持ち続けているものです。
無意識的にそこに勘づいて、かつ是正しようとする。悪いことだとは思っていません。
ただこの「是正」はあくまで主観的なものであって、全ての人にとって良いことをしているとも言い切れません。
もしかしたら誰かを傷つけてしまったり、そうでなくても誰かに嫌な思いや居心地悪さを感じてしまったら、と思うこともあります。
とはいえ、自分が無意識に取ってしまう行動でもあるし、それで良い思いをする人もいると思っているため、これは変えずに行こうと思います。何かあったら謝ります。
宿のスタッフ、しかも沖縄の自然豊かな立地という特殊な環境で過ごす日々はいろんな自分に気づく良い機会となっています。
僕のことは以下の記事で紹介しています。
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また次回の投稿までお元気で。
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