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対等な会話を楽しむために

ジョージアという国に来てから、7ヶ月が経ち、ありがたいことにいろんな人と出会うことができました。

その多くが日本人ですが、フリーランスや起業家など日本で会社員をしていたらなかなか出会えないような人ばかりです。

僕は会社員としてもフリーランスとしても、目立った実績がないものの、そういった人たちから仕事に関するいろんな話を聞くことができました。

彼らと仲良くなるには、あまり背伸びをしないように振る舞うことが大事だと思っています。

日本人のコミュニティはあまり大きくないため、みんなで支え合うことも求められています。仕事で実績を残している人は、個性が強かったりなど特徴的な性格を持っている場合があります。

そのため、ある程度のリスペクトを持ちつつも対等に話すことを心がけていました。

今回は、人と話すときにどのような発言をするかについて掘り下げてみます。

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科学哲学の用語で「オッカムの剃刀」という言葉があります。

「オッカムの剃刀」というのは、概念としての剃刀です。この言葉は、知識を削ぎ落とし、本質的なものだけを残すことを意味します。この考え方は、哲学や科学などの分野で用いられますが、特に科学者たちが、実験や研究の結果から偏見や信念を取り除いて、真実を見出すために使われることが多いとされています。

例えば、ある科学者が、ある生物の生殖方法について研究を行っています。彼/彼女は複数の理論を検証して、偽りの理論を削ぎ落とすとともに、真実を見出します。このように、「オッカムの剃刀」は、知識を精緻に分析し、真実を見出すことを助けることを意味します。

ChatGPTより

上記のように、元々は「ある事柄を説明する際、必要以上に多くのことを仮定しない」と言った意味合いで使われていました。しかし、そこから意味を拡大させていき、今では「説明を冗長化せずシンプルにする」といった意味でも用いられることがあります。

僕がジョージアで心がけていたこととは、この「オッカムの剃刀」です。

説明をいかに短くできるか、そして正しく伝えるか。

相手の知識・経験レベルを把握して、無駄な説明を省いていく。これで目線を合わせた会話をすることができます。

僕自身あまり人に何かを伝えることは得意ではありません。

しかし、論理を展開させることは好きなため(このnoteがまさにそうですが)、一連のフローを頭の中で組み立てて、溢れるように語ることがあります。

その際に、それら論理の中から「言わなくても相手が理解できる」という点をできるだけ多く省くことを心がけていました。

それによって、ある程度対等な会話ができたのではないか、と思うことがあります。

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「わかりやすいものが正義」という風潮があります。

ライターの武田砂鉄は、『わかりやすさの罠』という書籍で、世の中とは本来もっと複雑なものの、「わかりやすいが善」という風潮によって本質を捉えきれていない、と語っています。

確かに、人に本や動画をおすすめするときに「わかりやすいから」と言うことがあります。

初心者向けであればそれでもいいものの、そこそこ知識や経験がある人にはかえってそれらは無益な情報になりかねません。

つまり、相手の状況を認識した上で、適切な発言をしていく、ということがとても大切になってくると思います。

わかりやすいものは必ずしも正義ではない、という認識は持っておくべきでしょう。

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話すことも楽しいし、聞くことも楽しい。

カメレオンのように相手に合わせて会話をすることで相手の世界観が覗け、知識や経験レベルで何かを味わえた気分になります。

そのためには基礎的な知識も必要になってくると思います。

例えば、ジョージアでジョージア人と話すのに「シュクメルリって何ですか?」と聞いてもそれが有益な会話になる可能性は低いでしょう。ジョージアに来るのであれば、最低限の地名・名物料理・挨拶は知って然るべきです。

自分自身がある程度の知識を持った上で、バックグラウンドの違う人たちと深い話をする。それがなにより刺激になるし、楽しい時間の過ごし方です。

そのためにオッカムの剃刀を意識したり、リスペクトの気持ちを持つなど、個性に左右されない基礎的な部分を気をつけていくことが大切になってきます。

これからもこういったことを意識しつつ、いろんな人との会話を楽しみたいと思います。




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それでは、また明日お会いしましょう!

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