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【薪割りの幸せ】

「薪割りをするのが夢だったんです!!」
乾いた音と共に、丸太が縦に裂けて弾ける。
その瞬間、眩しい笑顔がこぼれる。
開拓の仲間に加わってくれたみくの言葉にハッとする。
 
「なんでやりたかったの?」
「いつかやってみたかった」という気持ちにシンプルに共感している。にもかかわらず「そうだよね」と共感するより先に質問が出てくる。何か大切なことがあるような気がして。
「だって楽しそうじゃないですか。昔からやりたかったんです!」
 
圧倒的にシンプル。
 
自分も昔、薪割りはいつかやりたいと思ってた。
初めてやったときは止まらずに、気づけば手の皮がむけていた。
山で生活して、毎日割り続けた。
ひょんなご縁で東大の学祭で薪割りを教えた。
そして今、開拓をしながら、人に教えたりもする。
載せた写真はそんな日々と、現在のもの。
今でも、楽しい。
だから、その感覚を共有できるのがたまらなく嬉しい。
 
開拓をしていると、仕事は全部楽しい。
人は「根源的な仕事」を楽しいと感じるようにプログラムされているんだと思う。
生き残るために。
 
子供の頃の遊びも、原始的な仕事の模倣だ。
鬼ごっこや、かくれんぼはハンティング
チャンバラは防衛や社会的承認の獲得
秘密基地づくりは家づくり
虫取りや魚取りは狩猟採集
水遊びは治水
ものづくりはそのままものづくり
おままごとは生活そのもの
 
現代人もストレートに
魚釣りやヨット、キャンプやランニングなど昔の仕事に趣味として没頭している。
 
生きるための直接的な仕事に、人は癒しを感じる。
ならば、一見非効率に見えて、心の健康や幸福感も含めた報酬で考えれば、昔ながらの仕事は物凄く効率的なのではないか。
 
手仕事の工芸品についても、ものは機械で作った方が早い。
手で繊細に作るのは手間がかかるし、リスペクトする。
しかし、そこに圧倒的な「楽しさ」が潜んでいるのではないか。
我々は、手間と効率、コストの陰にそこを見落としている気がする。
 
環境問題を考えて、非効率でも動物や植物と関わり、自分で糧を得る。それは「労力をかけていいことをする」という側面以上に「シンプルに楽しい」のだ。
動物はとてもいい友達だし、植物の成長はたまらなく嬉しい。
そこからいただくものには感謝が湧いてくる。
この感覚に、自分は希望を感じる。
 
このまま消費を続ければ、孫の世代は本当に危機に貧するかもしれない。
けれど、使命感で人類が変わるのは難しい。
しかし、ただ楽しいことが何かに気づいていけば、希望があるかもしれないのだ。
 
まずは、
斧の一振りと、
小さな声で始める。
 
いつかそんなことを、火を囲んで語らいましょう。
それも最も原始的な、コミュニケーション。
何万年も前からご先祖様が続けてきたこと。
過去と繋がり、輪を作る仲間と繋がる時間。
そんないつかを楽しみに。
 
いつもありがとうございます。

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