気楽に出てくるままに始める

最初の投稿。
なんのあてもなく、ただ言葉を綴り始める。
ただ、今この瞬間に降りてくる物を残そうと思う。

雨上がりの朝、机の横の窓を開けると、波の音と虫の声が聞こえてくる。
世界は良い。
世界は、意外と良い。
いや、よく見れば最高だ。

それが、日本にいると感じにくくなってくる。

大きすぎる恩恵は、当たり前になると余計に何も感じなくなる。

物がない土地で、お金も尽きた時、
見知らぬ人からもらったパンは死ぬほどうまかった。
感謝と、幸せの味がした。
世界が輝いてた。

なんでも手に入る日本で、普通に生活していると、
品揃えの良いスーパーでなんでも買えるとしても、
どんなレストランで、どんな物を食べることができたとしても、
慣れれば飽きる。
世界はピンボケして、無味無臭になってくる。

世界的に見て、日本の物質的な恵まれ方は異常だ。
先進国と呼ばれる国がみんな、こんな環境なわけじゃない。
経済力だけでは作れない世界。
日本人の細かい仕事があってこその環境。

世界を見てきたから感じる違和感だけではない。

生命としてやってきた38億年、これほど物質的に満たされている時代はなかった分、自分という生命の奥底、DNAレベルで違和感を感じる。

きっとそれが、物で満たされるほど、逆に世界を感じられなくなる原因だ。

DNAが違和感を感じ、世界に現実味が薄れてくる。
しかし、脳で後天的に構築された思考回路、常識、ロジックはこの世界に素早く適応し、自分を操縦する。
違和感を置いてけぼりにして、現代が当たり前になればなるほど、幸せや感謝を感じる心もどこかに置き去りにしてきてしまう。

きっと、忘れたDNAを思い出せるから、無人島でのキャンプを、みんなあんなに楽しむんだと思う。

ついこの間まで、我々は、
雨が降れば心から喜び、感謝した。
月が出ればその姿を眺め、心から楽しんだ。
子供が、3歳、5歳、7歳になった時には安堵し、祝った。
古いものはダサくない。流行を追ってキョロキョロするよりも、自然からもらったもの、ご先祖様の息吹が感じられる物を感謝と喜びで扱える人がカッコ良かった。

人が死ぬのは悲しい。
現代では、食うに困ることは減り、治せる病気は飛躍的に増えた。
生きる喜びはどうだろう。

人はむしろ、死を感じるから生きる喜びを感じるんじゃないか。感謝を感じるんじゃないか。

感謝は愛を生む。

人は自分が満たされて初めて、人を想えるなんて半分嘘。

「満たされる」の定義が全然考えられてない。
「満たす」前に「何で」を間違えると全く意味がないのに。

物で満たされても、心が満たされなければ、感謝はない。
物で満たされなくても、心が満たされれば、感謝も愛情も芽生える。

ならば心は何で満たされるのか。

とにかく感じて欲しい。

答えはそこにしかない。

ただ一つ断言できるのは。
物はなければストレスだが、
必要を満たす量があれば、それ以上どれほどかき集めても、心を満たす足しにはならない。

死は悲しみを生むが、それこそがまた喜びも生む。

これほどのクオリティの日本。
その矛先を「物質的豊かさ」から、「心の豊かさ」にシフトするだけで、どれだけ面白い国になるだろう。
行動を緻密に変えなくても、意識一つで世界は変わる。

世界は良い。
要はそれが言いたかっただけ。
うっかり色々蛇足をつける。

今日も世界を感じてこよう。

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