出版社の編集者になりたい(仮)
編集者になりたい。
そんな思いが今日のお昼前に生まれた。
それはなぜなのかを考えてみる。
生まれたのは、午前中にカフェでnoteを書いたり、本を読んだあとに家に帰ってきて、水風呂に入っていた時である(興奮して自転車で近くの公園に行ってしまったほどである)。
しかし、うちのお風呂が水風呂機能があるわけではない。し、給湯でもそれほど低い温度の水は出ないと踏んだので、シャワーで一番coldにしてお風呂を入れた。
相当冷たかった。やはりサウナなしの水風呂は結構キツかった。
気持ちよかったけど。
そして、だ。なぜ編集者になりたいのか。それを知るためには一つのしがみついていた虚像とも言うべき理想について語る必要がある。
僕はスタートアップにしがみついていた
この図はこの世界にある仕事の構造を表している。
正確には、このような構造だと自分は今朝まで思っていた。
なぜこのように認識していたのかというと、まあ過去の経験が大きいと思う。
僕は現代版勤労学生とも言える大学生活を送ってきた。
それは、一年生の時から今の今まで基本的にいつも「長期インターン」をしてきたからである。
あえて大袈裟に書くが、
一年の時はEdTech(Ed=education=教育、Tech=Technology)
二年はVC(Venture Capital)
三年はHRTech(HR=Human Resource=人事)
で長期インターンしてきたのである。まあなんとも立派なキャリアである。
まあこんな大学生活を過ごしてきたおかげで、上記のようなピラミッドが自分の中で生まれていた。
そしていつか、ピラミッドの頂点だし、自分のやりたいことにもマッチしているVCで働けたらいいな〜と思っていたのである。
今書いていると、すごく違和感があるのだが、余裕で先週くらいまで思っていた。
ここで大事なのが、
自分のやりたいことにもマッチしている
の部分である。
結論から言うと、自分は今まで上記のピラミッドを前提として、その中でどんなやりたいことがあるのかをずっと考えてきたのである。
そして、ピラミッドが全てじゃないと気づいたいま、編集者になりたいと言い出したのである。
この先に書く(べき)こととして、二つあると思う。
1. なぜピラミッドが全てじゃないと気づけたのか
2. なぜ編集者なのか
うん。順番通りに行こう。
1. なぜピラミッドが全てじゃないと気づけたのか
一つには、現在インターンをしている会社を辞めることにしたのがとっても大きいと思う。
実は働き出して4ヶ月くらい経ったところで、ある病気になってしまい続けることができなくなってしまった。その後、いつ復帰をするかどうかを考えているときに、ふとこんな言葉が自分の心の中に浮かんだ。
なぜしがみついているのだろう
実は、自分の病気は割と厄介で復帰の見通しが立っていなかった。そんな境に自社の求人を見たら、自分のやりたい仕事の内容で募集していて早く復帰したいなあと気持ちが急いでいた。
しかし、自分としても不安はあったので、自分の病気の説明とか、これはできるけど、あまりやりたくないとか正直に話そうとか色々考えていた。それと同時に、そんな条件をつけてくる人は会社に必要なのだろうかと思った。
そこで、もしかして会社の人々は自分とは違う速度で生きている方々なのではないかと思った。それはつまり、その会社の人はまさにスタートアップなので、IPO(上場)に向けてガンガン突き進んでいる(ただその部類の会社の中でもかなり余裕を持つことを大事にしていて、あたたかい人の集まり)。
一方の自分もその速度に合わせて大学生活を過ごしてきた。つもりだ。
自分の課題に向き合って、それを改善することが肝要だと心に決めて頑張ってきた。
しかし、それがもうできなくなっていることもなんとなく感じていた。その結果が(詳しくは書かないが)今回の病気なのだ。
もう君は十分頑張ったぞ、と肩を叩いてあげようと思った。
そして、それが病気だと分かったことも大きかった。
病気だから、その速度で走れない今の自分は悪くないのである。と。
そういった経緯を経て、改めて
なぜしがみついているのだろう
このように思ったのかを考えてみると、
この図が思いついたのである。なぜしがみついているかというと、このピラミッドの中で生きていないと、ある意味レールに乗っていないとダメだと思っているからなのである。
そして、そのレールにはもう乗らなくていいんだよ、と。
もしかすると将来乗るかもしれないけど、今は大丈夫だよ、と。
言ってあげることにしたのである。
次は、じゃあ肩の荷が降りた自分がなぜ編集者になりたいと思ったのかについてです。
なぜ編集者なのか
それは、世界にとって意味のある、普遍的な創作物を世の中に生み出す方々の手助けをできるようになりたいからである。
それはなぜか。
まず、僕が一時的に消費されるものよりも、じわじわと味が出てくるような、意味を感じさせるような広い意味での「モノ」が好きだからである。
もっと言えば、多くの人からは理解されないけど、社会を俯瞰してみて見たりするとすっごく価値があったり重要な作品、仕事が大好きなのである。
その価値に気づけた瞬間が嬉しいし、そういった活動をしている方々はマジでかっこいいなと思うんです。
すぐに浮かぶのは、この本です。
代表の今村さんは、慶應SFCを卒業後、一般的な就職をせずに現在のカタリバのもとになる活動を始めます。
お金も知名度もない、さらにその活動が本当に必要とされているのかもわからない。
そんな状態でもなおかつ、中高生にとって大学生との「ナナメ」の関係の対話の時間の重要性を信じてやり続けた結果、今のカタリバがあります。
僕はこの本を読んで、とても心が熱くなりました。
今村さんのように、今はまだ誰も必要だとは気づいていないけれど、社会を俯瞰する視点や長期的な展望などの複雑な要因を踏まえると、間違いなく必要で普遍的な価値のある取り組みをされている方の支援ができるような人間になりたいのです。
追記:その一つとして、編集者が浮かんんでいたということなんですね(ふむふむ)。
なぜ支援をする側なのか
そうですよね。そんなに言うなら、自分でやればいいじゃんと。
確かにその通り。なんで自分でやらないんでしょうか。
うーん。支援。手助け。奉仕。うーん。
素直に支援したいからですね。うん。
もはや心の底から湧き出てます。自分から。なんか人を支援したい欲が。
ということで理由はありませんでした。
追記:じゃあ次は、支援支援と言うけど、支援てなんぞやって話です。
支援とは何か(抽象)
僕は支援の一つの重要な要素であり理想は守ることだと思っています。
守ることは信じることとも言えます。
その人が、進もうとする道で困難にぶつかったときに、守り、信じてあげられるような存在でありたい。
そう思います。
ただ、守るというのはなかなか難しい言葉でありまして。
弱いものを強いものが守る、庇護や保護とは違います。
やっぱり信じることなんだと思います。
それが、その人の思いや、未来を守ることになるのではないかと。
追記:とまあ、書いた通り、抽象的なので、どんな支援をしたいのかということで次に進みます。
支援とは何か(具体)
この具体は本当に多種多様だと思います。
身近なところでは、コーチング。
自分の働いていたVCでは起業家の価値観の深堀りから、オペレーションの強化までやっていました。
話を戻せば、編集者は出版で作家を支援する立場だと思っています。
最近授業で友人に聞いた話では社会的インパクト投資ってのもあるらしいです。
そういった多様な支援に共通して言えるのは、当事者がある取り組みに集中できる場を支援者が作ることではないでしょうか。
そしてそのために支援者ができることの一つ(そして自分が大好きなのが)が当事者のポジショニングを考えることではないでしょうか。
例えば、VCなら、マーケット全体を概観して、支援先の差別化要因を導き出すことですよね。
じゃあ出版なら売れ線の、、
いやちょっと待ってください。
僕が思う編集者ってそうじゃないんです。
ここに出版社の編集者と書いた理由があります(もはや全くタイトル関係ないけど)。
それは、どういったポジショニングをとるかという観点で、僕はその人の思い、もっと言えば願いを大事にしたいのです。
僕は本を通じてたくさん人の思いや願いに出会ってきました。
そして、企業や人と違って本は未来永劫残ることができます。
絶版ももちろんありますが、図書館だったり、なにより現在は電子書籍という文明の利器が存在するので大丈夫です。
例えば、未来人のために本を書くことも可能なんです。
そういったことを踏まえたときに、やはり「なぜ書くのか」というのが大事になってくるのです。もうほんとワクワクしますよね。
だから、僕が編集者になったとしたら、作家の方と思いや、描く理想の未来図をまず共有したいです(その話を聞けるだけでも最高)。
しかし、もし未来の読者のために本を書くとしたら、現世ではあまり売り上げは期待できません。
だから、編集者がマーケットを俯瞰して、その作家の方の専門にちかい売れ線を紹介したり、そこにその方の価値観のエッセンスをちょびっとこめたりして、足元の経済を回す手助けをしたいのです、
それが編集者のできる、作家の方を「守る」ことなのではないでしょうか。
(僕は編集の「へ」の字も知らないので、間違っている部分があったら申し訳ありません)
じゃあどんな領域で生きていくのか
最初の話は、仕事選びの軸が発散されたところからでしたが、途中で自分の本当にやりたいことの話になり、なんか編集者の話で収束しました。
じゃあ最後です。
結局あなたは何するの?
ここですね。まず、具体的には決まっていません。
ただ、今日書いたことを参考にすると、
「今の時点でみんなの注目が集まっている場所」
ではないのかなと思っています。そういった場所には、人とお金が集まりますしね。
じゃあどこか。
まず、NPOや公共施設に関心はあります。
上に書いたカタリバもそうですし、NPO/NGO論を授業でも受けています。
その授業の「取り残された人々」のためにNPO/NGOはなぜ存在しているのかというテーマはとっても熱いです。
そして、その授業に触発されてカタリバが足立区の受託でやっている困難な状況の子どもの居場所「アダチベース 」のボランティアに挑戦しようと思っています。
図書館とかも大好きです。図書館はずばり普遍的ですよね。幼児から高齢者まで、揺籠から墓場までみたいでいいですよね。
でもそういった公共的ところに、最初からいくのかと言われると、なんかそうでもない気がする。
でも、「場づくり」にはとても関心がある。
そして、自分の出版社を立ち上げるという夢もできました(今)。
まあでも、きっと答えは自分の一生懸命やってきた過去にいつもあるんです。
探しながら歩んでいこうと思います。
追記:結論うすいですね。
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