ある本を読んで興奮して眠れない。から書く。
この本。
何に興奮しているのか。
創設者である今村久美さんの生き様である。
大学時代の経験に基づいてカタリバ創設を決意し、就職を断念。また、卒業後もバイトをしながら、カタリバの活動をするというギリギリの生活を3年間送る。
これは外的な面だが、実際にカタリバというプロジェクトを推し進める中で何度も失敗し、困難に遭う。
カタリバ創設を決意したときに相談した社会人にはほぼ否定されたし、実際に高校に営業をかけても相手にされない。
一体自分たちがやっていることが正しいのか、この苦難を乗り越えた先にあるものは何なのか、この生活はいつまで続くのか。
さまざまな葛藤があったと思う。
ただ一つ、絶対に日本には自分たちがやろうとしていることが必要だという確信だけを頼りに走ってきた。
本当にすごい。
俺に同じことはできるだろうか
今村さんへの称賛の思いともに浮かんできたのがこの疑問である。
何も今村さんのように就職しないでNPOを立ち上げられるかの話ではない。
私利私欲を捨てて自らの一生を生き抜くことが出来るのかという話である。
具体的には、経済的な恩恵や社会的な地位を得ることを捨てられるかということだとも思う。
自分のこれからの人生の意思決定において、日本を、世界を少しでも良くするために自分がすべきことに焦点を当てられるのか。
その覚悟が自分にあるのか。
話は少し変わるが、自分は今描いているキャリアというのがある。
そのプランの判断軸は自分が楽しいか、やりがいがあるかどうかである。
そしてそこには社会的な評価を得て、経済的にも栄えている自分がいる。
もちろん正しいと思う。しかし、本当の満足はそこには無いと思う。なぜなら自分がうまくいくだろうなと思ってやることが成功するということは単なる確認作業であるからである。
また社会的な評価や経済的繁栄に関して否定するつもりも全くない。すごく重要な要素である。しかし、自分が問いたいのはそれらを目的とした努力である。それは虚しいのではないか。外的な価値基準に自分という存在を投影し、求めているだけではないのか。
お金と地位は本当に怖い。あったほうがいいけど、これらは人の脳を麻痺させる作用もあると思う。
こういったことを考慮した上で、
俺は自分の人生を生き抜きたい。
魂を燃やしたい。
生まれた意味を常に問うていきたい。
明日からどうする?
もちろん明日からもいつもの毎日が待っている。
だから大幅にその生活が変わることは無いと思う。
でも今村久美さんが自分と同時期くらいにカタリバの構想を持ち、動き始めていたことは忘れたくない。
また、そのカタリバを発足させるために私利私欲を捨てて生き抜いた期間があったことも忘れたくない。
そして自分も、この地球で誰かの役に立つために、自分がすべき使命を見つけたいと思う。
そして死ぬまでには理屈ではなく、全てを投げ打って情熱で生き抜ける男になりたい。
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