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目先のいいねやシェアにとらわれすぎない

ふだんは自由気ままにブログを書いているのだけど、一昨日は、久しぶりにインタビュー記事を書いた。

インタビューさせてもらったひとに話を聴かせてもらおうと思ったのは、彼女がときどきFacebookにしていた投稿が理由だった。

そのことを伝えると、「まさかあの投稿を見ててくれたとは。。」と言われた。

そして、記事を公開したあとに、Facebook上で「この活動を通してまた新しい出会いがありました!」と喜んでくれていた。

もうひとつくらい例を上げておこう。いつもは小難しい抽象論を書くことが多いから、今日くらいはいっぱい具体例を書く。

以前、とある経営者さんに会いたいと、DMを送ったことがあった。実際に会ってもらえたのだけど、開口一番、「どこでじぶんのことを知ったんですか?」と聞かれた。

ぼくは、そのひとが出ていたとある記事だと答えた。

そしたらその経営者のかたは、「ああ、あの記事を読んでくれてるひとがいたんだなあ。」と言っていた。

そんな原体験が何個もあるから、ぼくは、目先のエンゲージメントを気にしすぎないでいられる。

そりゃもちろん、自分のnoteやツイートに、即座に反応があればうれしいけれど、いまのぼくの影響力や発信内容じゃ、まだそれは難しい。

だからぼくは、いま書いてるnoteやツイートは、「ストック」のような、どこか淡々とした気持ちで、更新し続けている。

どこでだれが、見てくれているかわからない。いつ、どの発信内容が網にかかるかわからない。

このnoteじゃないかもしれない。でももしかしたら、このnoteかもしれない。

そんな期待と諦念の狭間で、今日もぼくは、淡々とnoteの「公開設定」ボタンを押す。


★ツイートくらいは抽象的にしておこう


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