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映画を観ても、本を読んでも、感想を書かない

1年におよんだ東京での休学インターンが終わり、いまは来週から再開されるキャンパスライフに向けて、英気を養っている。

具体的には、在京中にはなかなか時間がとれなかった、「映画を観る」と「本を読む」という行為に、時間を費やしている。

「漁る」というにはおこがましい量だけど、映画は毎日1本、本は同時に5冊くらいを並行して読み進めるくらいのペースだ。

我ながらけっこう充実した引きこもり生活を送っているのけど、ひとつ抱えている贅沢な悩みは、「感想のアウトプットが追いつかない」ということ。

ぼくは基本的に、観た映画や読んだ本で面白かったものについては、都度感想をブログに書くようにしている。

ぼくのなかでは、「感想を書く」までが一つの作品を楽しむ過程なのだ。

ただ、ここ1~2週間は以上に作品に触れるペースが上がりすぎて、感想が追いついてない。

というか、引きこもり生活に突入して2~3日以降は、「面白かった作品も、感想を書かなくていいや」という思考に切り替えた。

こうすることによって得られる目先のおおきなメリットは、まず単純に心置きなく出会える作品の数が増えるということだ。

「この作品の感想をブログにしたためるまでは、次の作品にいけない.........」という呪縛が強すぎると、その作品を自分のなかで消化し終えるまで、次の作品に向かえない。

そうすると、例え自分のなかでその作品の対する感想がある程度は頭の中でまとまっていたとしても、それをnoteに打ち込む作業が億劫に感じてしまうような状態だった場合、感情と頭の余白はあるのに、そこに流し込むコンテンツがなくてもったいなくなってしまう。

ただ、感想が整理できてるならまだいいほうだ。ぼくは基本的に、「何を書いたらいいのかわらなくて何日も文章を書けない」という状態にはならないので、頭の中でにまとまってさえいれば、多分2~3日以内にはアウトプットする。

問題は、「頭のなかで感想がまとまっていない」場合だ。

「このシーンはどういう意味だったのだろう」「この論理構成、あまりピンとこないな......」などなど、触れた作品のなかに噛み砕ききれていないことも多々ある。

それは、考えても考えてもそう簡単には答えが出ない。

今まではここで納得するまでトコトントコトン考えて、自分のなかで解決して言語化していたのだけど、せっかくの貴重な引きこもり生活では、どちらかといえばできるだけ数多くの作品に出会いたい。

考え事は学校の帰り道でも授業中でもできるけど、映画や本にじっくり向き合う時間は、秋学期が再開したらそう満足にはとれない。

そこで最近のぼくは、とりあえず考えてみて解明しきれていないシーンや話があっても、一旦は棚上げして次の作品に移るようにしている。

こうすることによる中長期的なメリットは、2つあると思っている。

1つ目は、「当時から解明されていたシーン」についてなのだけど、一言で言うと「ミックス」だ。

別にすぐにアウトプットしなくても、本当に印象に残ったシーンや大事な考え方は自分の頭の中に残る。

それを自分のなかで寝かせておいて、時間が経ってから遭遇したまた別のシーンや考え方と化学反応が起こり、新しい見解が生まれる、ことがある。

「アウトプットは最大のインプット」なんで言うように、書いて残すことによって、より強固に自分のなかに残る側面はもちろんあるんだけど、当時かいてないからこそ、それでも残るのはそれだけ自分にとって大事なものだったり印象に残っていることの証左だ。

そういった、「ふるい分け」のような副次効果もある。

2つ目の中長期的なメリットは、「当時は解明できなかったシーン」が、時間や新しい経験を経て解明される、ことがある点だ。

わからないことについて、じーっと自分のなかで考え込むことや、考え込む時間は、もちろん大事だ。

だけど、一旦棚にあげておいて、あるときふと「あっ、これはこういうことだったのか!」と腑に落ちる瞬間が来るかもしれない。

考え込んでそこで立ち往生してしまうより、こっちのほうが明らかに得られるものの多い時間の使い方だ。

そんなわけで、ここ最近のぼくは、触れた作品すべてについて感想を記すことなく、次々と新しい作品と出会っている。

これはまたこれで、一つの楽しみ方だなと思う。


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