「無意識とAI(人口知能)の似ている点」と芸術の未来

心理学者達はなんとかして無意識を上手に利用しようと、いろんな方法(催眠法、夢分析、自由連想法…etc)を考案してきました。心理学の中には「無意識なんて非科学的」と主張した行動主義や、認知行動主義がありますが、彼らも『自分では意識できない心の中のつながり』とか『意識しにくい瞬間的で自動的な思考』とか、まぁ無意識みたいなものを想定していますので、似たようなものです。

心理学が言っていることを簡単にまとめると

①心の中で行っている情報処理は意識できるものとできないものがある

②意識できない領域では、膨大な過去の経験のデータをもとに、一種の統計処理を行っており、「これまでの経験上、最も正解の可能性が高い答え」を素早く出せる

③意識できる領域は扱えるデータは少ないが、論理的に考え、その思考の過程を検証することができるので、無意識が出した「過去の経験から推測した答え」が正しいかどうかを検討し、修整することができる。

(過去の経験に偏りがある場合、無意識が出した答えが正しくない場合があるので、検討や修整は重要。しかし検討や修整には時間がかかり、面倒なので、ついつい無意識がだした答えのまま行動することが多くなる)

ということになります。

この意識と無意識の関係って、人間とAIの関係に似てますよね?

道具は人間の身体機能を模倣して強めたものだという人がいますが(例;ハンマーは握りこぶしを模倣して強めたもの)、過去に入力されたデータから『最も正解の可能性が高い答え』を出すAIは人間の無意識の模倣と言えると思います。

最近、絵画や音楽を作成するAIが出てきてますが、昔から、芸術家は無意識からあふれ出してきたインスピレーションを意識下で修正して作品にしていましたから、AIに作らせた原案を検討して修正するのは、芸術家が従来行っていたことと構造的には同じではないかと思います。

未来への予測のためにちょっとここで過去に目をむけてみましょう。

あふれだすインスピレーションをそのまま曲に仕上げ、ほとんど手直しをしなかったと言われるモーツァルトと、曲の手直しを何度も何度も行ったと言われるベートーヴェンの違いについて考えてみます。

上記の観点からすると、両者の違いは意識的な情報処理を重視するかどうかだったと言えます。

王侯貴族をパトロンにしない独立した音楽家であったベートーヴェンが残した楽譜の修正跡は、彼が自分の無意識からも独立し自由であろうとした証しかもしれません。

もちろんだからと言って、モーツァルトよりもベートーヴェンの曲が優れていると言っているわけではありません。無意識という最も個人的で、他者から受け入れられないはずの領域から飛び出してくるインスピレーションを、意識的な情報処理を比較的行わないで、多くの人を魅了する曲にしてみせたモーツァルトという存在は、一種の奇跡だと思います。

(そもそも、あのような崇高な芸術やインスピレーションを産みだすためには、無意識へ、質の高い芸術体験を大量にインプットする必要があります。彼の短い人生において、どうやってそれをなし得たのでしょうか?)

どちらも人類の最高峰の宝です。

そう考えると、未来の芸術的創作においても、AIが完全にとってかわることはないと思われます。それぞれの芸術家がその個性の宝庫である自分の無意識を活用することは残り続けるでしょう。

そして、そうやって生まれた作品たちをまた、AIが学習することで、さらに芸術的AIも進化し、さらに高めあっていくものと思われます。

将棋や囲碁の世界がAIによってさらに発展していっているのと同じです。

未来はどんな芸術が生まれるのでしょうね?

楽しみです。

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