「人はやっぱり『善』かもしれないということと、音楽」

幼児が他の子をたたいたり、してはいけないことをしたときに、

「お友達をたたく子は怖い怖いおまわりさんに捕まるよ」と『たたいた子自身が受ける罰』で脅すよりも、

「たたかれたらお友達いたいいたいになるよ」と『相手のつらさを考えさせる』方が、その子がその行動をやめる確率が高いそうです。


これは心理学的には

「自分のことは自分で決めたい」という自律性への欲求によって、脅されると逆に従いたくなくなるのと、

「自分自身を良い人だと思いたい、周りの人にもそう認められたい」という承認欲求

そして

「みんなと仲良くしたい」という親和欲求があるので

『お友達をいたいいたいにして平気な自分』は受け入れられないからだと解釈されます。

まぁでも、そういう解釈よりも、

『人の本性は、やっぱり善だからじゃないか?』

と単純に考えた方が私にはなんとなくしっくりくる気がします。

『善とは何か』も単純に考えて

『自分も相手も大事にして、みんな仲良くすること』とすると、

全ての人にはもともとそうしたいという気持ちが備わっていて、悪とは、自分の中にもとからある善に気付かない、あるいは無視してしまうことではないかと私は思います。

例えば、ハロウィンのときに近所の子どもたちお菓子を配るヤクザがニュースになったりしますが、お菓子をもらった子どもに「おっちゃんありがとう」と言われて笑顔になる様子を見ていると「本当はこの人も、人にやさしくして、ありがとうって言われる仕事につきたかったんじゃないかなぁ」と切ない気持ちになります。

ちょっと話がそれましたが、音楽における喜びというのも
『自分も相手も大事にして、みんなと仲良くしたい』
という全ての人が生まれつき持ってる願いから生まれるんじゃないかなぁと思います。

(自分が美しいと感じるものを、自分以外にも美しいと感じてもらいたいと願って音楽はつくられ、演奏されると思うからです)

音楽を楽しみましょう(^^)

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