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【浮世絵を楽しむ】歌川国貞 蚊やき

暑い日が続きます。

特に今年は、梅雨が長く、夏にしては涼しい日が多かったので、8月に入り一気に気温が上昇し、体がついていかないという方も多いかと思います。

そんな暑い夏の日。敵は気温だけではありません。暑い日をさらに暑くすることに関しては天才的な能力を発揮するあの生物”蚊”との戦いでもあります。

江戸庶民の戦い方

当然、江戸時代にも蚊はいました。蚊取線香もない時代、庶民は、「蚊遣り火」* をたいたり、蚊帳を張ったりして蚊から身を守っていました。

* 蚊遣り火:よもぎの葉、カヤ(榧)の木、杉や松の青葉などを火にくべて、燻した煙で蚊を追い払う方法。平安時代から蚊取線香が広く庶民に普及する大正時代まで使われていた。(Wikipediaより)

しかし、こんなことでは、”奴”は許してくれません。蚊帳の中に進入してくることもザラです。しかし、そこは江戸っ子、黙って見過ごすはずがありません。そういうしつこい蚊には、残酷な刑が待っていました。

その刑とは。。。”火炙り”

こちらの浮世絵は、かの有名な歌川国貞の作品で、その名も「蚊やき」。国貞は、女性の日常を描いた浮世絵をいくつか残しており、この浮世絵はそのうちの一点。火のついた紙蝋で、蚊帳に止まっている蚊を、表情一つ変えず炙り殺そうとしている恐ろしい一枚です。

京の下女の場合。。。

「虫を火で炙る」。どうやらこの発想は当時の人々には共通の発想だったようです。

時は嘉永7年(1854)4月6日昼の仙洞御所* 。ここで働く一人の下女:紅梅。彼女が梅の木についた毛虫を火で炙り殺そうしたところ、建物の屋根に飛び火、さらにおりからの強風に煽られ仙洞御所が炎上、禁裏御所にも火が移り京市中の半分を焼き尽くした大火となりました。

仙洞御所:退位した天皇(上皇)のための御所。隣には上皇の后のための御所=大宮御所があった。仙洞御所は嘉永7年の大火で消失後再建されることはなかったが、大宮御所はその後再建され、現在、天皇陛下が京都に滞在される際は、この大宮御所に宿泊される。

時の天皇は、明治天皇の父である孝明天皇。この火事により御所が消失したため、約一年半・仮御所である聖護院に移り住まわれました。今、我々が見学できる京都御所は、この時の大火の際に再建されたものです。

さて、この大火。発生した年の年号をとり「嘉永7年」の大火と言われているのですが、その出火の原因が毛虫だったことから「けむし焼け」とも呼ばれています。

このように、虫を火で炙り殺すのは相当危険を伴うので、皆さんもくれぐれも、蚊焼き、毛虫焼きにはご注意ください。

最後に

この記事でも紹介した、歌川国貞の浮世絵。現在、上野にある「東京都美術館」でオリジナルを見ることができます。コロナ対策のため、入場制限があるそうですが、日本全国の美術館に所蔵されている浮世絵を都内で見るチャンスなので是非一度、足を運ばれて見てはいかがでしょうか。


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