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ドタバタだった講師デビュー【外資系企業での研修裏事情】

今日は私の研修講師デビューについて書いてみようと思います。
当時の私は起業したばかりで、師匠が実施する研修のサポート役として現場に立たせてもらったり、師匠立ち会いのもと研修の一部分だけをデリバリー(講師として立つこと)をさせてもらったりと、少しずつ企業研修の講師という仕事に慣れていく過程を踏んでいました。

ある時、師匠から「もしかしたら仕事になるかもしれないよ」と香港のトレーニング会社の方を紹介いただきました。その方と話をする中で
「とあるドイツの化学品メーカーの日本支社でセールストレーニングの話があって、私が英語でデリバリーするんだけど、日本語で補佐してくれる人を探してるんだ」という話をいただきました。
「補佐なら任せてください!」とばかりに私は二つ返事でその仕事を引き受けることにしました。

しかし、その研修が実施される1ヶ月ほど前のタイミングになって、思わぬ事件が起きます。
香港の講師から「ごめん、中国で他の研修をやらなくてはいけなくなったから、君一人で日本での研修はデリバリーしてくれ」という連絡が入ったのです。
「ガーン!」もうその時点で私の頭はパニック状態でした。香港の講師「君は営業経験も豊富だし、コーチングも熟知しているし、全く問題なくできるよ。全く心配してない。」なんて言葉をかけられました。

その後、この講師から内容やデリバリーのコツを教えてもらうことになったのですが、準備されていたのはなんと海外向けの英語コンテンツでした。
「えっ、英語?」
そうなんです。これはグローバル企業のトレーニングの現場でよくあることですが、作り手側の前提として「グローバル企業で働く人材は英語が話せて当たり前。だから、資料も当然英語でいいよね。」という想定で物事が進みます。ただ、私の経験から言って、日本ではそういった話は実質通用しないのが現実。言葉の問題もそうですし、商習慣も日本独特のものが多くあるんですよね。

そんな話をしている中で、「じゃ日本語のテキストを作ろう。Google翻訳で充分だよね」なんて話になりました。そこは断固拒否をした結果、最終的に翻訳会社に依頼をしてそれに私が修正を入れる形になりました。
そんなこんなで、テキスト自体は完成したのですが、肝心の「私の講師としてのデリバリー品質」が担保できていないのが気がかりです。

私としては、マンツーマンでみっちりサポートがあると信じたかったのですが、結局3時間x2回のスカイプ通話で例の講師が「一通り内容を一方的に喋る」というサポートだけが提供されました。
つまり2日間のセールストレーニング(述べ14時間程度)を6時間で駆け足で教わり、未経験の私が「講師面」して立つ、という話です。
私としては、その会社の知識も足りなければ、教えるメソッドについての知識も最低限、受講者の営業の現場を見たこともなければ、具体的な課題すら知らない、という状態で本番に臨むような状態でした。
もしこのお客様が小売をしているような業態であれば、店頭を視察しに行くなど私なりにできる準備もあるのですが、BtoBの部材・材料の営業というこのお客様の商売では、内情を事前に知ることが難しいという側面も準備を難しくしました。
そして、最終的にその講師から言われたことは「日本でこのプログラムを実施するのは初めてだから、どういう反応になったか、私にも教えてね。」という言葉。随分無責任だなぁ、と諦め半分で思っていたのを今でも覚えています。

ここまで読まれた皆さんは、随分ひどい講師だなぁ、と思われているでしょうが、実際には、グローバルのトレーニングの現場の実態は多少の差はあれだいたい「こんなもん」です。
これまでたくさんのグローバル企業でのトレーニング、研修、ワークショップを担当してきましたが、たいてい事前準備のクオリティーはこの程度です。なので、講師側の裁量や経験が極めて重要になってくるのです。

さて、最終的に私の当日のデリバリーはどんなふうに進んだのかというと・・・冷や汗をかきながら、うろ覚えのプログラム進行で、拙い言葉で伝えたにもかかわらず、受講者の皆さまがそれを暖かく見守ってくださるような現場になりました。
ただそれは、「いま振り返れば、そういう現場だった」という話で、実際にデリバリーをしている最中の自分はもう精一杯で、脇の下に大汗かきながら、「次は何をするんだっけ?」と常に不安でいっぱいの状態で「上滑り」していたと思います。
後日、受講者にフィードバックをいただく機会があり、どんなところが良かったのかを聞くことができたのですが、要点は2つでした。1つは、必死で頑張っている姿が良かったということ。そしてもう1つは、私が日本での営業というものを熟知していて、グローバルの手法との橋渡しをしてくれたこと。つまり、今までの営業経験が身を助けた、ということのようでした。

そんな緊迫した状況の集積が私の外資系企業での講師デビューとなりました。


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