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自責思考と他責思考

他責思考が望ましくないとされるのは、他人が自分にとって都合よく変化することを期待したり、本来変えられるはずのない他人を自分が変えようとするなど、自分ではコントロールできないことに時間やエネルギーを割くことになり、必然的にその姿勢からは何も生み出されないためです。

自責思考で仕事をすることが好ましい理由は、自分に何ができるか、何をすべきかにフォーカスして主体性の高い仕事ができるためです。

そんなことは当たり前にわかっていても、なお多くの人が自然と他責思考に陥りがちなのは、その問題における自分の立ち位置を、他責を求める相手よりも高くしておくことで、精神的な安定が得られるためです。

実際(学術的?)にそうなのかはわかりませんが、経験から想像するだけでも、この「コミュニケーションや仕事の結果において自分が相手より優位に立ちたがる」というのは、多くの人にとってごく自然な力学だと感じています。

したがって、自責思考とは「その状態が保たれるよう努力すべきこと」であり「自責思考で当たり前だ」という前提に立つべきではない、という点には留意すべきと思います。

自責は相手に求めるものではない

マネージャーが部下に自責を求めて良いのは自分がマネージャーとしての職責を果たしている場合のみです。

そうでない場合、まっさきに自責を求められるべきはマネージャー自身です。その状態でメンバーに自責を求めるとだいたいその人は部下が言うことを聞いてくれなくなります。

部下は、問題の原因はマネージャーが職責を果たしていないことにあり、だから自分は悪くないのだと思って安心してはいけません。もともと、全ての職責を完全にまっとうできるマネージャーなどごく稀であり、多かれ少なかれ穴があるのが普通です。

その穴を追求して問題視したり批判するのではなく、自分がどうやってその穴を埋めてチームに高い成果をもたらすのかを考えて実行できるのが、どんなチームでも、どんな上司のもとでも活躍できる人材です。

このように、各々の立場で自分にできることがないか探す、自分に問題がなかったか振り返る、という姿勢が自責の姿勢であり、それらを他人に求めることを他責と言います。

他責のムードを生み出さないために

ある人が他責的なのか自責的なのか、というのはもともと備わっている個人の気質もありますが、置かれている環境によってもどちらに振れるかは変わります。

人が他責に振り切れるわかりやすいきっかけは「自分にはこの問題に対して何も変えることはできない」という諦めが定着したときです。他責に振り切れるというよりも、自責思考のほとんどがその時点で失われます。

そういう人が複数人いて、何割かをそういう人たちが占めている場合には、全体にそういうムードが蔓延することになります。

したがって、何よりもまず、その諦めを発生させないよう務めることが、メンバーの自責的な姿勢を維持することに対するもっとも重要な仕事の一つです。すでに発生していた場合、他責の姿勢を責める前に、「諦め」の発生源を突き止め、取り除くことから始める必要があります。

ただし、最初から何も変えるつもりがないような人がいる場合、そういう人にまで同じような配慮をするとおかしなことになるため、線引きは必要です。

自責を生みだすとか他責を消すなどを考える前に、「自責思考で仕事をする者の自責思考を消さない」としておくのがよいと思います。


※4/6 07:15 追記  なんか違和感あると思ったらほとんどの箇所で思考を「志向」で変換していたので修正しました

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