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職場に不協和音を生み出すもの - 仕事における「貸し借り」と、チームの能力バランスの話など

仕事の世界において、「タダであげる」「タダでもらう」というようなやり取りは滅多に存在しないと思っている。

友情や恋愛・家族愛などとは違い、仕事における人同士のやり取りには、なんだかんだ損得勘定とか利害調整みたいな感覚がついて回るのが自然だろう。

もちろん、発注・受注のように金銭が発生する取引は分かりやすい。

でも、そうではない、例えば取引外での情報交換であったり、社内の業務のやり取りなどであっても「貸す」「借りる」に相当する取引がその度ごとに行われている、と捉えるべきだと思う。


仕事における「貸し」と「借り」

自分以外の誰かのために、自分が何かを提供したり、何らかの代償を支払った場合は「貸し」。

自分のために、自分以外の誰かが何かを提供してくれたり、何らかの代償を払った場合は「借り」。

何かを提供したり何らか代償を支払う、とは、時間をとる、知識や知恵を提供する、労力をかける、負担をこうむる、何かを肩代わりする、などがそれにあたる。

…とした場合。

仕事において複数人の連携や協力が必要なシーンにおいては、少なからず上記のいずれかに相当するようなやり取りが個人間・チーム間で細かく発生しているはずだ。


職場における「よくわからない不協和音」

貸し・借りは受注・発注のように分かりやすい取引内容の明示がされないためにその結果がボヤッとしてしまいがちで、それは、こと職場の人間関係においては「よくわからない不協和音」を生み出すきっかけになる。

ここでいう「よくわからない不協和音」とは、例えば

・メンバーの間で挨拶や雑談がない
・チーム内で派閥ができあがる
・先輩が後輩をまともに指導しない
・落ちているボールを誰も拾いにいかない
・仕事と責任のなすりつけ合いをする
・みんながオープンな場を避け、クローズドコミュニケーションが増える

などが、誰が悪いとも言えない状況で発生している状態、を指している。

みんな真面目に仕事をしている、サボってる人も悪意を持ってる人もいない。なのにチームの空気はギスギスしていて連携がうまく機能しない。そんな状況を経験したことがある方は少なくないだろう。


不協和音を生み出すのは誰なのか

不協和音は、以下の3種類の人たちの存在によって生み出される、と思っている。

1.そもそも「借りた」という自覚を持てない人
2.相手の返済能力を見極めず、一方的に貸し付ける人
3.債務超過に陥り、返済の見通しが立たない人


1.そもそも「借りた」という自覚を持てない人

他人からの貸しに対して「それくらいやってもらって当たり前だろう」という感覚が強い人が世の中にはいる。彼らは、返さないのではなく、借りている自覚がない。当然彼らに貸しても何も返ってこない。

乱暴に言いかえれば、自分さえ良ければOKな人であって、他者に対するリスペクトや配慮のない人でもある。

献身的なメンバーから理不尽に時間を奪っていることを自覚できず、あるいは、先輩や上司に自分の怠慢の尻拭いをしてもらっても、礼もなければ自省してリカバリをする努力もしない。

かと言って、明確な規則違反をしているわけでも、仕事をサボっているわけではない。毎日出社して、仕事もこなして、得意なことでは活躍もする。

だから明確に「ダメ」と言うシーンが少なく、仕事においても頼っている部分もあるためか、周囲も半分黙認であまり強く言わない。

これが不協和音の1つの要因となり、「親切な人や真面目な人が損をする」といった風潮を生み出し、積極性や協調性を失っていくことになる。

こういう人を基準においてチームを作ることはオススメしないし、こうした傾向が特に強い人はそもそもチームに加えることをオススメしない。

組織ができる対策はシンプルだ。そういう人を選考で見極めてフィルタをかけること、そういう人が損をする仕組みを作ること、そういう姿勢を周囲が許容しないこと、などだ。

こうしたケースは人の性質に起因するものが大きいぶん対策もわかりやすいが、ここからの話のほうが少しややこしく、この記事の主旨になる。

2.相手の返済能力を見極めず、一方的に貸し付ける人 & 3.債務超過に陥り、返済の見通しが立たない人

仕事における「返済」は、お礼を言うとか、お返しに相手の仕事を手伝う、のように、必ずしも相手に直接返済するものに限らない。

アドバイスをすぐに実行して結果を報告する、自分の持ち場で成果をだす、同じことを他の人に提供することで組織に還元するなど、色々な返済の形がある(どのみち礼は言えよと思う)。

ここで、周囲が本人の能力の見極めができておらず、本人のスキルや経験に対して到底見合わない役割を一方的に期待して押し付けている場合、について考える。

その状況では、「貸し手」は貸しが貯まる一方で「借り手」は借りが蓄積する一方、という悲劇が起こる。なぜなら、活躍できないからだ。

おかげさまでここまでやれました!のような返済の機会がなく、利息すらまともに払えないうちに次の貸しを作ってしまい、言ってみれば多重債務者のように負債を蓄積していくことになる。

これによって生み出される不協和音はおよそ以下のようなものだ。

「貸し手」複数に対して「借り手」1人
借り手1人がチームにおいて精神的に孤立したり、連携が必要な業務から外されるなどの状態に陥りやすい。短期で離職に至る可能性も高い。
「貸し手」複数に対して「借り手」も複数
双方が派閥となり「いつまであんな仕事に時間かけてるの?」とか「あの人たち仕事振るの本当下手くそだよね」のような会話が派閥内でなされたり、とにかくコミュニケーションが分断される。
「貸し手」1人に対して「借り手」複数
貸し手1人が逆に孤立し、1人で業務を抱え込む、メンバーに仕事を任せない、必要な情報を共有しない、配置に対して不平を言う、などが発生しやすい。

とは言え、このように能力や経験値に起因する問題は、貸し手の性格や借り手の努力不足という問題としてもまず解決しない。

当然といえば当然の話だが、そういう状況が起こり得る人材配置や業務割当を行っていることに起因するわけで、根本的にはマネジメントの問題だ。

そこで、ここからは、チーム組成や人員配置の段階でチームの能力値バランスや各人の許容範囲を見定め、それに応じた配置や割当を行っていくのが結局のところは有効だ、という話をしたい。


チームの能力バランスと各個の許容範囲

ちょっとした図を作ってみた。我ながらセンスのなさに驚く。

「ある人の現時点での能力(or経験値)」「ある人の努力・想像力が及ぶ範囲」「他の人の仕事に対する許容範囲」を一緒くたに示した図、ということにしておいてほしい。

想像力や努力が及ぶ範囲を超えるものは「見当もつかない」「頑張ったところで今すぐにはできない」となるし、他人の仕事レベルが許容範囲を下回っていれば「なんでそんなこともできないのか」となる、とする。

その上で。能力や経験値、許容範囲の広さは人によって異なるので、チームで複数人をあつめると当然これらの幅にばらつきがでる。

チーム内に「貸し手」「借り手」の派閥ができて、対立が起きるケース

例えば、前段落の「貸し手が複数&借り手も複数で双方が派閥化」のような状況は、下図のように、借り手の努力や想像力の及ぶ範囲が、貸し手の許容範囲に至っていないときに起こりやすい。

こういう状況では、貸し手は借り手に対して「まだそんなこともできないのか」「いつになったらまともな仕事をするのか」という評価しかできない。貸したものが一向に返ってくる気配もなく、苛立ちが募る。

一方の借り手からすれば、「あの人たちの言っていることは理解できない」「共有方法や教育の仕組みがおかしい」という話が頻繁に出るようになり、わかりやすい対立や反発が生まれる。

こういうケースでは、例えば下図のように、1人か2人に指導・育成の役割を与え、教える側・教わる側という違いを明確にすることでその人たちの許容範囲を広げる、などが常套手段と思う。

あるいは、同じチームで同じフィールドで仕事をしているから経験差による溝が埋まらないのだ、と考えるなら、分解して別の役割を持つ機能として、借り手が別の形で貢献できるようにするのもよくある。

「借り手」1人が孤立してしまうケース

同じように、「借り手1人が孤立する」ようなケースもこういう状況。

こういうケースでは、「メンター or バディ or 教育係」を特定の誰かに担ってもらい、その人の許容範囲を借り手の能力水準まで拡大し、徐々に全体の許容範囲まで育成していくといったやり方をよく見る。

当然のことながら、許容範囲が広がらない(基本要求が高い)人に教育係の役割を与えると相当な悲劇がおきるのは容易く想像できる。

「貸し手」1人が孤立するケース

一方、貸し手側が1人、借り手側が複数人のようなケースはこのような形になる。1人だけが能力や経験値が突出しているようなチーム構成だ。成長期のスタートアップなどではありがちな形だと思う。

このケースでは、わかりやすく「どうせ返ってこない人たちには何も貸したくない」というモチベーションが貸し手に生まれる。

借り手側のメンバーに仕事を渡さない、仕事のやり方を教えない、情報をシェアしない、コミュニケーションを減らす、などの断絶が生まれ、それがさらに状況を悪化させるループに入る。

このとき、先ほどと同様に「貸し手」に育成のロールを明確に与えて他者への許容範囲を拡大させる、は一見アリに見える。

ただ、仮に成立したとしても、個人的にはオススメしづらい。貸し手側の負担ばかりが大きくなり、パフォーマンスが下がったり業務負荷が極端に跳ね上がるなどが起きるためだ。ストレスも大きいだろう。

それであれば、「突出した人には突出した難易度の役割を与える」のように役割を切り分ける、のほうが潔くていいし、貸し手の成長にもつながるし一石二鳥だと思う。

ただし、周囲からは謎の特別扱いをされている人のように思われたり本人がそう勘違いするというリスクもはらむので、慎重さは必要だろう。

個人的には、複数部署間で人員をやりくりできるのであれば、わかりやすく「能力バランス調整のためのトレード」のようなやり方が手堅く有効だと思う。自分なら、可能な場合はこのパターンを優先する。

総合的に、ちょうどいいバランスのチーム

様々なチームの形があれ、例えば、チームにおける「ある意味での」理想の能力バランスおよび許容範囲は、このような分布だと思っている。

これは、「最も要求の高い人の許容範囲を全員がクリアできている」状態を表している。全員が全員の期待にこたえられるレベルにある、と言い換えてもいい。

こういう分布のチームでは、一方的に貸しや借りが蓄積することがなく、お互いがお互いに対してより高いレベルの仕事を求めたり、フラットな議論も起こりやすいチームになるはずだ。

ただしこれは「もっとも高い成果を上げるチーム」というよりも「もっともロスが少なく動けるチーム」といったほうが適切であって、理想の理想はこの分布をより高い能力水準の人たちで組成することには違いない。

逆に、下図ように能力値 / 経験値に乖離が大きな集団で、「フラットな議論」「お互いに遠慮せず言いたいことを言う」を実現するのはむずかしいだろう。議論するための土台が揃っていないためだ。


まとめ

不本意に長文となったが、要約すると以下のような内容。

1.仕事で複数人が動くとき、多くのやり取りの中で「目に見えない貸し借り」が発生している

2.「借りてる自覚がない」勢は別問題として、純粋な人柄やマインドセットの問題以外で、チームに不協和音がうまれることがある

3.能力や経験値に大きな差があったり、上位メンバーの他人の仕事に対する要求水準が高い(許容範囲が狭い)と、孤立や対立が発生して連携がとれなくなる

4.チーム組成をするときは、個人の能力・経験値が高い/低い、だけではなく、仕上がりイメージとしてどんなバランスになるのか、および各個の許容範囲がどれくらい広いのか、まで考慮できると良い

以上。


※以前にカルチャーマッチが云々とか言っておいて気が引けるが、チームに誰を入れるか?どう組み合わせるか?を決めるときは能力バランスもちゃんと考えないとロスが大きいから気をつけよう、という主旨で書いた。

おわり


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