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再生 9話

アパートの入り口には献花がされていた。
おそらくニュースを見て事件を知った近所の人が花を置いたのだろうと清川匠は思った。

「人が死ぬってのは、寂しいもんだなぁ」
事件との関わりはもうなく、ここに用もない。けれども気になって立ち寄った清川は、誰にともなく呟いた。
国枝敏弘とはどんな人間だったのだろう。どんな人生を送ってきたのだろう。
無残に殺された人間の姿を初めて見て、生前の彼に興味を持ちはじめた。

年齢は四十五。二十六の時に結婚した妻の清美とは、三十一の時に死別した。
交通事故死だった。妻の清美は昼間に一人で買い物に行くために車を運転していたところ誤って対向車線に飛び出し大型トラックに追突して即死した。
死体からは多量のアルコールが検出された。
買い物ということになっているが、三歳になる娘を置いて男のところに通っていたとの噂もあった。

一人娘の良子は結婚から二年後の二十八の時に産まれていた。
わずか五年の結婚生活で三歳になる娘を残して妻に先立たれた国枝敏弘の無念や憔悴は計り知れないものがあったはずだ。
良い噂はとんと聞かない人間ではあったが、同情の余地はある。なにを思って、なにを無念に感じて生きてきただろうか。そして、なにを思って逝ったのか。
建築関係の専門学校を出て建築会社に就職していた。二つ歳下の清美とは、友人の紹介で知り合った。二十歳からずっと同じ建築会社で働いていたが妻の交通事故死をきっかけに、仕事を辞めてからは薬に手を出して堕ちていった。
(悲しいなぁ……)

生前の国枝敏弘と関わりのない人が置いたであろう物言わぬ花を見つめながら、生前の国枝敏弘と一度も会ったことのない清川は寂しい気持ちになっていた。

***

事件の最大の謎は、凶器の一つが見つからないことだった。
事件当日、容疑者小山内勉は深夜二時過ぎに会う予定をしていた国枝敏弘とアパートの一室で会い包丁やハサミで刺して殺した。
凶器はどれも室内にあるものだった。刺し殺した後に凶器をその場に捨てて小山内勉は部屋を出た。
しかし死体の傷跡から見ると、室内に残された凶器とは別の包丁のようなものを使用された形跡があった。小山内勉はあらかじめ用意していた凶器を使用して国枝敏弘に深傷を負わせて、その後に目についた室内の包丁やハサミを用いてトドメを刺した。
用意していた凶器は今もまだ見つかっていない。

小山内勉は麻薬のヘビーユーザーで、売人をしていた国枝敏弘から度々受け取っていた。
金銭トラブルや偽薬の販売などの詐欺行為で小山内勉は国枝敏弘に恨みを抱いていた。
そして当日は購入を装い、国枝敏弘のアパートで会う約束をして恐喝と麻薬の強盗をするつもりでいた。
しかし国枝敏弘と口論になり、勢いあまって持ってきていた包丁で刺して室内にあった包丁やハサミでも刺して殺した。
これが事件の概要だった。

取り調べで小山内勉はこう答えている。
「払える金がもうなく、金と麻薬を強盗しようとしてアパートに行った。中に入ったら血塗れのゾンビになった国枝敏弘が襲ってきた」
「殺すつもりはなかった。自分の身を守るのに必死で目の前のテーブルに置いてあったハサミで刺して台所まで逃げた。シンクに包丁が置いてあったのが目についたので、それで刺して殺した」
「国枝敏弘は歳上の痩身だし、脅せば言いなりになると思った。なにも凶器は持っていかなかった」

ゾンビに襲われるというのは幻覚症状で起こることなのだろう。麻薬中毒の小山内勉に正常な判断ができるとは考え難かった。
しかしその麻薬中毒者が頑なに凶器の持参を否定している点が引っかかっていた。

あの日の真実は一体。
冷え込み始めた秋の終わりに、清川はアメスピを吸いながらアパートを眺めて考えていた。
近頃タバコの値段も高くなってきたと思った。増税でアメスピが三百円を超えたら辞めようと、今だから思える決意をしてみた。

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