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不完全なもの同士が補い合えるとは限らない

僕には安定を求める気なんて全然なくて、自分が社会不適合者だと自覚してるから就職活動なんかしたこともなかった。

安定を求める人たちを、心のどこかできっとバカにもしてた。普通じゃイヤで、自分の人生は特別なストーリーに彩られていなくちゃいけないはずだった。
今アルバイトをしてるのも這い上がるまでのストーリーのひとつとして、逆に成功したときに下積み時代として物語に箔がつくつもりでいた。

いっこうに成功の兆しが見えなくても、能天気な自分にそこまでの焦りはなかった。
三国時代の名宰相、孔明だって30過ぎまで隠居生活のニートだったじゃないか。今は伏竜状態なだけ、そういうことにした。
けど昔からそう能天気だったわけじゃなかった。

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思いだせば高校時代、17歳の誕生日に僕は憂鬱な感情に襲われた。
「ああ、天草四郎は今の俺と同い年で死んだにもかかわらず歴史に名を刻んだんだよな」

人からのお祝いの言葉はどれも空虚に聞こえ、妄想の中の天草四郎に想いを馳せた。
死に対する怖さと、死ぬ覚悟のない自分への負い目。同い年の少年が死を覚悟して戦い、死して名を残したのだとの思いが僕の胸に焦りと傷をつくった。

僕にとって、自分より若くして亡くなった偉人は永遠に超えられない存在だった。
彼らを永遠に超えられない人生を、僕はこれからも送らなくてはいけないという憂鬱を胸に残したまま、それでも死にたくないから自分のちっぽけな生にしがみつくしかなかった。
超えられない存在は天草四郎からはじまり、ジャンヌダルク、久坂玄瑞、孫策、高杉晋作と増えていった。
歳を重ねて、超えられない存在が増えていくたびに、年齢という数字にこだわるのを諦め、晩成型になればいいかと思い直すことにしたのだけれど。
今の自分は伏竜状態。きっとそのはず。

人生の答え合わせはまだ先だと、ある経営者が言っていた。
いつかくる人生最期のときに、これで良かったと思える一生を送ることができたなら、それが成功なのかなとぼんやり思う。

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僕には死に対する畏怖が子どもの頃からあった。
死ぬとどうなるんだろうという疑問から生まれ、それはいつしか恐怖に変わり、死ぬ覚悟を決めて戦う人や自ら死を選んだ人に対しては、どうしても越えることのできない心の壁がある気がした。
臆病な僕には真似する勇気なんてなかった。
僕にとって勇敢な死は強さの象徴だった。

中学に上がった頃に、新しく3年生になるはずだった子が春休みに自殺したことを、全校集会で先生が言葉を選びながら言っていた。
いじめが原因だったともっぱらの噂だった。
顔も名前も知らないその少年の辛さを想像しては、校内で笑いながら歩く3年生たちを見かけて憎悪の感情を募らせた。
それでも一回り以上体の大きな3年生たちに、なにも言う勇気のない自分の弱さを感じて、ひとりで惨めな気持ちになっていた。

立ち向かうことや戦うことへの憧れは、この頃から強くなっていった気がする。

そんな中で僕は、親を必死に説得して中学生のときにボクシングを始めることにした。

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それから紆余曲折あったけれど、大人になったいまも続けている。

その肝心のボクシングでなかなか活躍できずに、夢ややりたいことばかりが増えていった。
夢が渋滞してきた。早くチャンピオンになって他のことにも手をつける当初の予定は、大幅に遅れがでている。
その一つに結婚もあった。愛する人と早くに家庭を持ちたかった。大好きな自分と、それ以上に大好きな人との間にできた子どもは最高に愛おしいに決まってる。

猛烈な恋愛体質で、独りよがりかもしれないけれど一途で愛情深いはずの僕は、ついに特別な人に出会った。
特別なストーリーでも劇的な出会いでもなく、この広い世界の片隅で平凡でありきたりなきっかけから、一つの小さな物語は始まるかもしれなかった。

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あまり人に興味を持たない僕は、当初彼女を特に意識することはなかった。彼女を意識しだしたのはいつ頃だったのだろうか。
可愛くて優しい彼女に少しずつ惹かれていった。気づいたころには、そのはにかんだ笑顔が大好きになっていた。
なんだか少しずつ、胸が苦しくなる日が増えてきた。

僕はいつまでもスマートな大人にはなれなかった。
大人の恋愛なんてものは、僕の住む世界には存在しないかのようだった。

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恋をすると人に話したくなる。女性はありそうだけど、男はあまりないものなのだろうか。
僕はすごい話したくなるんだ。ジムで、LINEで、仲のいい友だちには話しまくった。
べつに相談でもなくて、人の意見なんて全然聞いてなくて、ただ溢れる気持ちを吐き出したかった。恋バナってやつだろう。
きっと感覚がだいぶズレてるんだと思う。それが面白いのか、みんな楽しんで親身に聞いてくれた。

彼女と仲良くなって恋愛対象になるためには、まずは食事に誘うことだと思った。
それを友だちに言うとおおむね同意された。
「お前は顔も悪いし話もつまんねえし金もねえしオシャレじゃないんだから」と酷い前置きをされた上で、積極的に行けと言われた。
ちなみに自分では自分の顔は気に入っている。

食事場所をどうするかをまず考えた。
「彼女はよく酒を飲むからバーか居酒屋」
「話が弾まなかったとき気まずくならないように店内が騒がしい店」
「そこそこの値段で不味くないところ」
珍しく人の意見を聞いて、その辺の案を採用して店を決めた。

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待ち合わせ場所を決めて、ドキドキしながら待っていた。
やってきた彼女はやっぱり可愛くて、楽しい時間にする余裕はなかったけれど、店内の騒がしさもあって気まずい沈黙だけは免れた気がする。

目の前の好きな人がなにを考えていたのかはわからない。
自分がなにを考えているのかもきっと伝わっていないだろう。

彼女をどうにかして振り向かせたかった。どうすれば振り向いてくれるだろう。
乏しい経験値と想像力で考えを巡らせてみたけど、どうすればいいのかも、彼女の男の好みも、全然わからなかった。

もし彼女の男の好みがわかっても、彼女を振り向かせたいという誘惑にかられて自分を偽るのはイヤだった。
演じて手にした好意はきっと煙のようにすぐに消えてしまうと思うから。

本当に好きになると、僕は駆け引きをするよりも純粋になりたかった。見栄があるとするなら、それはきっとなりたい自分になろうとすることだった。
嘘も打算も忖度も、それはきっとロックじゃない。

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なにを話したかはあんまり憶えていないけれど、彼女はなんどか結婚願望を口にしていた。
女性は20代も後半になると結婚意識が強くなるのだろうか。

自分には金がない。どうしたって結婚するには金がかかる。
それを理由に相手にしてもらえないんじゃないかとの不安が頭をよぎった。
結局金だと思ってるのは自分じゃないのか。
金があれば彼女を振り向かせることができるかもしれないとの、下衆な考えが嫌でも頭に浮かぶ。
紛れもなく、金がないことを負い目に感じている自分がいた。

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僕のヒーローのひとりがゴッホだ。
僕が彼に傾倒する点はその気高さにある。とにかくロックなんだ。

今では1枚数十億円の値がつくけれど、生前は全く絵が売れなかった。
僕が思うにゴッホのような天才画家なら、売るためのウケのいい絵を描くことだってきっとできたはずなんだ。
それでもゴッホは周りに流されて売るための絵を描かずに、自分の描きたい芸術のみを心に素直に描いたんだと思う。

自分はゴッホのように生きられるのだろうか。 世間の評価に流されることなく自分の描きたい絵を描きつづけられるだろうか。

ゴッホの例は、世間の評価なんてあてにならないものだと教えてくれる。
そういうものに流されて、生き方まで左右されるのはイヤだった。
そんなあてにならない評価を追いかけて、勝ち負けだとか成功だとかって、なんだかとってもくだらない。
僕が憧れた表現の世界にだけは、そういうつまらない競争を誰も持ち込んで欲しくなかった。

嘘ばかりのアーティストを大勢見てきた。それで成功した人間も目の前で見た。
自分自身がそんな風になって、自分が愛した世界を侮辱したくはなかった。

けど世の中は需要と供給で、自分を偽っても誰を欺いてでも、他人の支持を得なくちゃ好きな人ひとりにさえなにも与えられないのじゃないか。
彼女と付き合えてもなにもしてやれない自分を想像することはとても辛かった。

***

いつか読んだ本の中で哲学者が言っていた。
「人を愛するということはその人の唯一性にとらわれること」

僕は彼女の、唯一性に惹かれて大好きになった。
好きなところを上手く言葉にできない。形容できる一般的なところよりも、彼女だけが持つ雰囲気や空気感がとにかく好きだった。

自分の地位や肩書きや装飾品を褒められてもきっと虚しいだけだ。それは自分自身ではないからだ。個性で、才能で、性格で、容姿で好かれたい。
甘えなのかもしれない。それでも、自分そのものを見て好いて欲しかった。

金も立場も本当は求めたくなんてない。
けれど金も立場も人に振り向かれるための武器になるんじゃないかと自分自身でも思ってしまってる。
それが手に入れば変わるのにと思っている弱い自分がいることも気づいてしまっている。
そんな自分が惨めで虚しくて、一生幸せになれないんだろうと予感しては憂鬱になる。

***

初めてふたりで食事をしてから半年以上経つ。
僕は何度も好意を告げて何度も振られた。ふたりで会う機会もなくなってしまった。
女々しいから、その悲しみを隠そうとも思えない。

きっと彼女は僕に何度も嘘をついた。
ごまかしたり、はっきりさせなかったり、直接言えなかったり、ズルくて弱い人だった。
きっとそういう人だから、ロックに傾倒したのかなと思った。
人一倍弱虫で怖がりな僕がずっとボクシングを続けているように、きっと彼女も自分の中の弱さと向き合っているから、ロックに憧れる部分があるんじゃないか。

僕は嘘が嫌いだ。
嘘が嫌いだとよく人に言うのはきっと、僕が絶対嘘をつかないような強い人じゃないからだ。なるべく自分が嘘をつけない状況にするために、嘘が嫌いだと人に言うんだろう。
それでも嘘をついてしまうこともあって、そんな自分が嫌になって、克服したいと思いながらも今日もまた安易な誘惑に駆られる。
ただ、純粋になりたかった。

***

葛藤がない人というのは考えなしで底が浅い。断定的で自信満々に語る人も思慮が浅い。そういう人と僕は仲良くなれない。
嘘も方便だと割り切って嘘をつける人も好きにはなれない。
そういう合理的で迷いのない人生を送る人が少し羨ましくもあり、だけど決してなりたくはない自分と違う人種だと線を引いてもいた。
弱くて、迷って、割り切れない人たちの人生こそ応援したい。そんな人たちの人生を照らす光にいつかなりたかった。
特に、彼女の人生の光になりたかった。

***

僕は大人にはなれなかった。
僕の妄想の中の彼女もきっと大人になれなかった人だった。
そんな弱くて不完全なふたりが出会ったのだから、なにかが生まれる気がしてた。
ただその不完全なふたりが補い合えると思っていたのは僕の方だけで、彼女は自分にハマる別のピースを探して僕に背を向けた。
不完全なふたりは、不完全な形で終わりを告げられた。僕の心の中では、愛が叫び声を上げ続けている。

僕は、彼女でなくちゃダメなんだ。
悲しみと虚無感を背に、それでもこの愛を諦めることは到底できなくて、僕はひとりで住むこの部屋でそっと呟く。
「答え合わせはまだ先だ」

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