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夢は叶うと言う奴の夢のなさ

「諦めなければいつかきっと夢は叶う」

何十年もスポーツをしてきて末席といえどプロにまでなったから、子どもの頃から一流アスリートの影響を受けていたし、彼らが残したそんなセリフは何度も目にしてきた。
夢は努力して掴み取る。輝かしい舞台に立つ憧れのアスリート達が、夢はそうやって手に入れるものだと証明してるじゃないか。
単純で感化されやすい少年だった中学生の僕は眠い目を擦って学校に行く前の朝早く走ってみたり(続かなかったけど)、身体に良さそうな食事を心がけたくて親に献立を注文したり(健康オタクは今も相変わらず)、なけなしのお小遣いでアミノ酸飲料やらを買ってみたりしてた。
結局僕の夢が叶わなかったのは自分の努力不足だとも自覚してるから、夢は努力して叶えるものだという考え方は一理あるなと今でも思ってはいる。
だけど、僕たちがあの頃見た夢は、たった一つの世界だっただろうか?

子どもは素直で単純だ。
野球少年の夢は甲子園からのプロ野球選手だし、サッカー少年なら日本代表になってW杯に出ることだろう。アイドルに憧れてオーディションを受けてみた女の子もたくさんいるだろうし、歌手になりたくて部屋で熱唱して親から怒られるような子もあるあるだろう。
格闘技にハマった僕は世界一強くなりたかった。『人類最強の男』とか『霊長類ヒト科最強生物』みたいな厨二心をくすぐるキャッチコピーにめちゃくちゃ憧れた(笑)
憧れは子どもの原動力であり、崇拝できる偶像を心のどこかで求めているのだろう。それはある種の愛着心であり、安心材料なのかもしれない。
模索と葛藤の日々に耐えうる知性と忍耐を持たざる子どもは答えを欲しがっている。明確な目標を見つけて道が示されることを無意識のうちに望んでいる。答えも成果もない模索と葛藤は、努力よりもずっとずっと辛いものだから。

大人になった今、こうも思う。
単純化された夢の設定は、気づかないうちに人生の可能性を狭めるんじゃないだろうか。
僕が憧れた格闘技は選手だけが作ったものじゃなかったのに、偶像となった選手ばかりに憧れの矛先は向けられていた。思い返すと旧K-1やPRIDEをVHSに録画して繰り返し見ていた中学生時代、塩試合は早送りしてたのに紹介VTR(通称煽りV)だけはしっかり見てたなぁ(笑)
あの煽りありきで格闘技にハマってたことに気がついたのは夢中になって数年以上経ってからだった。格闘技のクリエイティブな部分に心動かされ、憧れていたんだと思う。ミリタリー的な強さには全く惹かれなかったからね。
子どもは夢を分析できないのだ。言葉にできない無数の感情が湧き上がる憧れの世界を見つけても、定型的に用意されたいくつかの対象だけに憧れているんだと錯覚させられる。甲子園がブランドになれば甲子園を目指すし、箱根駅伝が伝統だから他の駅伝を差し置いて箱根路を走りたがる。チャンピオンの称号も、W杯も、売れっ子アイドルも、今ならYouTuberも、それがアイコンだからみんなが目指す。
でも本当は、君だけの感じ方があったはずだ。

競技やジャンルよりも夢は本来、概念に近い。
舞台もルールも仕事も後付けの夢の形だ。僕の場合、本当はただ強い自分になりたかった。誰にも物怖じせず自分の意思で発言したり、自分らしく生きたかった。血を流しても立ち向かい、殴られても笑って受け止め、精魂尽き果てるまで戦い続けるような試合に憧れた。PRIDEでプロレスラーが狩られ続けていた時期にハマったからプロレスにはあんまりハマらなかったけど、改めて思うと僕の憧れはプロレスラーの理想に近い。上手い競技者じゃなくて強い人間になりたかったのだ。
夢を細分化して分析する力がない子どもに向けて「これが努力して夢を叶えた成功者の姿だ」と言わんばかりに壇上で夢を語るのは、もしかしたら子どもの可能性を狭めているかもしれない。
子どもには一人一人の感じ方がある。それを無視して、椅子取りゲームの勝者になることが君たちの夢だと教え込むのが果たして教育だろうか。個人的にあんまり好きじゃないスポーツ系タレントが夢だ努力だと綺麗事をいつも言ってるけど、あなたこそ夢がないよ。人間が先、社会は後だ。人間の情緒や憧憬、感情は言葉にできないほど多様で複雑で美しい。社会に用意された椅子の数じゃ全然足りないんだ。
夢はもっと、自由に見ていいものだから。

プロ野球選手の夢を叶えた人が、盛り上がるW杯を見ながら「サッカー選手にもなってみてえな」と思ったって不思議じゃない。だけどその夢はきっと叶わないよね。バスケの神様マイケル・ジョーダンだって野球は全然ダメだったんだから。
でも夢って、それくらい自由に見ていいものじゃないのかな。無理だと諦めてしまってるだけで、本当は月や火星に行ってみたいしエベレストだってマリアナ海溝だって行けるものなら行ってみたい。数学の未解決問題を解けるようになりたいし、欅坂46みたいなアイドルにもなりたかった。下衆なことを言えば、道行く可愛い女の子を見かけてはヤりてえと思ったりするのは男なら自然なことじゃないか。人生は叶わぬ夢ばかりだよ。夢は叶うと真っ直ぐな瞳で子ども達に語りかける彼らは、そういう自由な夢を見たことがないのかな?
結局のところ、今に満足してるだけじゃないか。人より待遇の良い場所で、好きなことを仕事にして、相対比較や定型化した自分の立ち位置の中で、湧き上がる自由な感情を押し込めてあたかも夢を叶えたかのように語るなよ。

ただ現実問題、抽象的な概念としての夢ばかり見ていても社会から取り残されてしまう。社会的な場所に目標を定めることも現代社会で生き抜くためには大切だ。なにか目標がないと充実した日々を送れないしね。
だから僕も一応、言語化できる夢に向かって努力を続けて今度こそ叶えて、自分の可能性を拡げるために影響力のある場所まで上りたい。
そこに立って子ども達に言ってやるんだ。

「君自身の夢を、用意された場所に閉じ込めないで」

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