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ビアトリス・コロミーナの仕事|著作リスト編 【現代建築批評メモ】

この記事の目的と内容

この記事の目的は、現代における建築批評のあり方に補助線を引くことです。ビアトリス・コロミーナほど、その案内人にぴったりの人物はいないのではないでしょうか。個人的に長くフォローしているというのもあり、一回情報をまとめてみようと思い立った次第です。今回は「著作リスト編」ということで、著作紹介が主な内容です。全てを網羅しているわけではありませんが、主要な仕事は押さえていると思います(不備があったらすみません)。調べた限りで未邦訳のものについては、勝手ながら邦題をつけさせていただきました。随時訂正・更新の予定です。

プロフィール

ビアトリス・コロミーナ (Beatriz Colomina) は、スペイン生まれのアメリカ合衆国の建築史家、建築理論家。プリンストン大学建築学部教授。 バルセロナ建築大学卒業。同大学よりPh.D。 982年にコロンビア大学にスペインからやって来たのち1988年にプリンストン大学に移り、同大学にメディアと近代というプログラムを設立した。 建築や近代諸組織の表象の問題、とりわけ出版、写真、広告、映画、テレビの諸問題について書いてきた。(出典:Wikipedia

※上の説明に加筆できるトピックがあるとすれば、彼女の「建築表象研究」の背後に、フェミニズム/ジェンダー論的な問題意識・方法があることをフォローしておくべきかと思います。勿論それだけではないですが。(参考:Harbard Design Magazineのこちらの記事など)

📕 著作リスト──邦訳されているもの

以下、著作リストです。彼女の仕事は一貫して、「"モダニズム"とはなんだったのか / "建築家"とは誰なのか / 近代建築学は"誰のための"ものなのか」といった問いを突きつけてくるなあという印象です。

※著作の全てを網羅しているわけではないです。随時改善します。

『我々は 人間 なのか? - デザインと人間をめぐる考古学的覚書き(Are We Human? Notes on an Archeology of Design)』

2017年出版。マーク・ウィグリーとの共著。邦訳あり。複数の書評あり。たとえば「デザインが人間をつくり、人間がデザインをつくる」池田純一)、拙稿ですが「モダン・デザインの倫理を問い直す」など。

『マスメディアとしての近代建築―アドルフ・ロースとル・コルビュジエ(Privacy and Publicity: Modern Architecture as Mass Media)』

1994年出版。

📕 著作リスト──未邦訳のもの

未邦訳のものの著作タイトルは、既訳されているものについてはそれに倣い、みつからなかったものについては自分が訳しています。修正があれば今後加えていきます。

『X線建築(X-Ray Architecture, 未邦訳)』

2019年出版。この書籍に言及のある日本語のテキストとして『エコロジカル・ディスタンス|感染症と膜としての空間』(印牧岳彦)などがあります。

『Das Andere/他者:オーストリアへの西洋文化紹介の記録(Das Andere/The Other: A Journal for the Introduction of Western Culture into Austria,未邦訳)』

2016年出版。Das Andereはドイツ語。

『ベッドの世紀(The Century of the Bed, 未邦訳)』

2015年出版。

『マニュフェスト・アーキテクチャー:ミースの亡霊(Manifesto Architecture: The Ghost of Mies, 未邦訳)』

2014年出版。

『綴じる、留める、折りたたむ:リトルマガジン上のラディカル・アーキテクチャー196X-197X(Clip/Stamp/Fold: The Radical Architecture of Little Magazines 196X-197X, 未邦訳)』

2010年出版。

『戦時の家庭(Domesticity at War, 未邦訳)』

2007年出版。

『セクシュアリティと空間(Sexuality and Space, 未邦訳)』

1992年出版。ビアトリスは編者として参加。

📕 そのほか、日本語で読めるテキスト

主に雑誌に掲載されているテキストなどを置いていきます。

(10+1 No.11より)『建築家の言説──建築、建築家、書くこと』マーク・ウィグリー+ビアトリス・コロミーナ+松畑強

そのほか、10+1誌上で多数の言及があります。

https://db.10plus1.jp/publish/identity/v/ビアトリス・コロミーナ


おわりに

キャリアの始めから現在に至るまで、モダニズムの批判的な再検討を推し進めている彼女の仕事が重要なのはなぜか。僕にとってそれは、大学で建築学を学ぶときに使ったテキストそのものに刻まれていた、「制度としての建築学の問題点」を気づかせてくれるものだから、だと言えます。彼女の仕事は日本においてどのように継承しうるのか、また彼女に比肩する仕事が、すでに日本においてなされている可能性があるのではないか、等々、引き続き考えていきたいと思っています。

中村健太郎

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