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【仕事の流儀】DO or DIE 混沌の上場準備と理念なき暗闇の話

数年前、上場時の事務手続きを担当した。
プロジェクト統括でもなんでもなく、部署の取りまとめ役でもなく、まさに末席を汚すという言葉がふさわしいあたりのポジション。自分が上場準備の作業をしていることすら、途中まで知らなかった。

事業が勢いをもって拡大していることもあり、当初、社内のムードは明るかった。一方、その手続きは恐ろしく膨大で、何をどこまでやったら終わるのか、いつ終わるのか、手続きが具体的に進んでいるのかについて明確な資料はなく、全く手応えがなかった。
そもそも、進行スケジュールは直前まで共有されていなかった。下っ端の自分のところに回ってくる情報でもなかった。

素人が見た上場準備

上場するには、社内を上場企業たるに耐えうる体制を整える必要がある。それまでやってきたベンチャー企業的な、社会を変革し市場に受け入れられるビジネスモデルを追い求めみんなでわいわいやるスタイルの時代は終わり、新しいガバナンス整備が求められる。

コンプライアンス体制の整備、内部統制システムの構築、財務・経理システム、月次決算の短縮化、業務分掌の整理、部署ごとの責任や決裁権限基準の明確化、株主総会や取締役会などの会議体運営、社外取締役の就任、契約管理、文書管理、社内規程管理、許認可・届出管理、グループ会社管理、セキュリティポリシー、広報、IR、インサイダー案件管理、重要情報保持者管理、事業継続を含むリスク管理、バックオフィス部門のあらゆる仕組みづくりと適切な運営が必要とされる。

華やかなパーティに出るには身だしなみが大事。サービスのひとつとして運営されていた荒れ気味の掲示板サービスや出会い系サイトは、事業から切り離されてそれぞれ別の会社に譲渡された。

多くのスタートアップ企業がそうであるように、急激に事業を拡大し続けてきたこの会社はまだまだ経験値が浅く、僕の目が届く範囲だけで見ても、正直いって素人っぽい部分が多分にあったし人材は常に不足していた。そして、誰より自分が一番の素人だった。
そんな会社に、証券会社、信託銀行、監査法人、法律事務所の人たちが次々に乗り込んできては未整備な箇所を指摘して、社内のあらゆる箇所に手を入れていく。

様々な手当てが行われ、新たな仕組みが作られていく。管理部門で組織が増え、専門スキルを持った人が入ってきては、軋轢が生まれたり文化が合わなかったりして去っていく。どれだけ莫大なコストがかかったかは知らない。
知見の集積はなく、担当者が変わるたびに仕事の進め方は変わる。
これほど人が入れ替わっても会社は継続できるということが、ある種驚きであり感動的ですらあった。

ターゲットとなるスケジュールに向けて準備を続けても、何らかのトラブルが起きて延期になる。その繰り返しで、誰が全容を把握しているのか、それすら誰も知らなかった。僕が知る限り、少なくとも3年はそういうことをやっていた。もっとも、最初のうちは自分の仕事が上場準備のひとつであることも知らずに動いていたのは冒頭に書いた通り。

上場を目指していることが社内で明らかになっても、上場そのものへの疑問を口にする人は少なくなかった。いつ見通しがつくかも分からない状況が継続し、組織長は常に不機嫌で眉間に皺を寄せていた。昼も夜もなくメールやチャットが飛び交い、タスクは積まれ続ける。

いつも不安と暗闇の中にいた

僕自身は見えていないことが多く、自分の中での価値基準もなかった。仕事の流れも全体像が見えていないがために、他の案件との関連性が分からず、目の前に存在する物事しか理解できず、毎日空回りばかりしていた。

単純に目の前にある膨大な作業量。すべてが至急案件で目の前の業務に忙殺される。さらに割り込みで入ってくる案件で優先順位が代わり、延々と積まれゆくタスク。
大した知見もなく、会社全体に人材の厚みもない上に、自分自身も素人同然で、専門家の知見に頼るという発想すらできず、かといって解決策も知らない。どこに正しさの軸があるのかも分からないまま、先の見えない不安と緊張感の中で追われる日々。会社としても未熟で、組織体制も脆弱。

様々なことがどうあるべきか。有象無象の出来事に対して、それらを自分がどう捉えるかといったこともその多くが保留され、素材ばかりが未整理のまま地面に散らばっていて、取捨選択もできず何の判断もできない。
それでもただ立ち尽くすことは許されず、善悪の判断もつかないまま、エイヤーと作業ばかりをどうにかこなす。

組織は再編を繰り返し、変化し続ける。1年以上同じ部署が続いたことはない。
入社から2年近くが経過した。新しい上司は、頭を使って考えることをメンバーに求めた。案件進行のために承認を依頼すると、なぜそれでよいと考えるのか、あるべき姿とは何かと問われた。僕は何も分からなかったし、答えも持ち合わせていなかった。急ぎである目の前の案件の進行を止めてまで、あるべき姿を考える余裕もなかった。膨大なタスクを処理することが最優先事項だと思っていた。
やむなく、他部署からの要請とか、役所に提出が必要だからと答えては、苦笑いされた。上司は我慢強く問いを重ねたが、僕は理解ができなかった。

僕は答えが欲しかった。

ソリューションの提供が大事だと言われても、自分にできることが想像もつかず、変な横文字使うなあくらいに思っていた。
完全に余談だが、「その件のカウンターパートは誰?」と真顔で聞かれて、「もののけ姫」を歌う米良美一が脳裏に浮かんで噴き出しそうになったことがある。それはカウンターテナーや…。
あとで調べたら「担当者」のことだった。それ日本語でよくない?

会社のあるべき姿がどうなのか、チームの姿はどうなのか、その中で自分の立ち位置はどうなのか、どうあるべきなのか、リスクはどこまで許容できるのか、優先すべきことは何か、正しいことは何か。
朝から晩まで必死に働いても、自分が何者かすら分からず、周囲の評価は上がらず、いつも不安と暗闇の中にいた。それでいて承認欲求には飢えていた。拡大を続ける会社にあって、自分の視野はいつまでも狭いまま。状況は常に混沌としていた。
自分はこんなにやっているという自尊心だけは高かったが、半期ごとの評価結果は散々で、ほとんど会話をしたことすらない組織長にボロクソに言われては悔しくて泣いた。

のちに自分のチームを持ったとき、理念づくりに最初に着手したのは、この頃の体験がもとになっている。

DO or DIE

入れ替わりの激しい会社で、1年在籍しただけで周囲からベテラン扱いされる。嘘のような本当の話。
「Do or Die」が社内の合言葉として使われ、常にヒリヒリした危機感にさらされながら毎日をどうにか生きた。入社時に30人いた同期は、3年後には2人になった。あの合言葉は比喩でもなんでもない。

毎日が山場で、突発的で、急ぎで対応の必要なことばかり。登りはあっても下りはない。気付けば標高が高く空気の薄いところが現場になった。
この時間にこのタイミングでそれ言う?みたいなことが日常で、23時より前に帰宅したことはほとんどない。
会社が入っているビルの地下がスーパーになっていて、21時が閉店時間。20時半を過ぎると売れ残りの弁当が安くなるので、何がしかのカロリーを体内に取り込んでからが後半戦。
その資料はいつまでに必要なの?明日の朝?もう22時だけど今それ言う?23時に法律事務所に意見書の作成を求めると早朝4時に長文の検討結果が届く。彼らはいつ寝ているんだと言って、自嘲を込めて笑った。

上場まで1年を切った頃、直属の上司が心身のバランスを崩して休職した。チームのマネージャー職は不在のままで、後任はいない。仕事はある。
教えてくれる人は誰もいない。
相談できる上司もいない。
他部署からの問い合わせはネットで調べて回答した。

業務分掌なんてない。あっても形だけで、あらゆる案件が組織長からコメントもなくただ転送されてくる。どれもこれも見たこともない内容だが、そこには何の指示もない。権限移譲というには雑すぎる。
無理難題と思われることも、求められたことをただそのままこなした。
訊くことすら憚られる空気の中で、分からないと言うこともできない。
分かっていることはひとつだけ。

「今これができなければ死ぬ」。Do or Die.

上場

上場までのスケジュールの知らせを受けたのは、当日から遡って半年ほど前のこと。今度は本当らしい。
上場の話は株価に影響を与えるインサイダー情報なので、その事実は取締役会の承認を経て開示されるまで、家族を含め誰にも口にできない。

上場当日、東京証券取引所で社長が鐘を鳴らすのを目の前で見た。テレビでよく見るやつだ。この会社を作ったのはおれたちだ。ついにここまで来た。誇らしい。
あの日の僕に言ってあげたい。

「5年以内に上場廃止するよ」。

でも、その時はもうただの素人ではない。
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