#0476 ヘアドネーションから考えるマイノリティ・マジョリティ②


昨日の続き。


例えば、発達に凸凹があって得意なことと苦手なことの差が大きいといわれる発達障害についても
凸凹の
凹を埋めて、平らにすること(苦手を克服すること)が本人のためだ。これからの社会を生きやすくするためだ。みたいな正義が語られて、苦しんでいるケースもあるんじゃないかなぁ。

発達というと、何か凸凹の凸を伸ばしたり、凹を埋めたりすることが“善”というマジョリティ側からの無意識の差別があるような気がしている。

伸ばそう伸ばそう、埋めよう埋めようと(本人でない)周りが願えば願うほど、“いま・ここ”に存在しているそのままの姿は認めてもらえない。
そこには『できる』のノロイがある。

https://www.amazon.co.jp/子育てのノロイをほぐしましょう-発達障害の子どもに学ぶ-赤木和重/dp/4535563977


発達ってもっと自分の内からの力で自分自身が伸びやかにありたい自分に向かっていけることだと思う。
そのためにはまず目の前の子どもの『いま・ここ』にある存在を全肯定することが大切なんじゃないかなぁ。そっから始まるんじゃないかなぁ。


ちょっと頭まとまりきらず、、、ですが


そんなこと思ってます。


それでは今日も遊びあふれる一日を✨


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