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【東ウクライナ】現地からのレポート#番外編 【牛島補足 -母国語の強奪とナチズム-】

母国語を奪われる

皆さんは、自分がこれまでに馴染んできた言葉を失うことを考えたことがあるでしょうか?

日本人であれば「日本語」、ロシア人であれば「ロシア語」、ポーランド人であれば「ポーランド語」。

母国語の使用を禁止されたらどういう気持ちになるだろう。

もし、誤って使用した場合に暴力的な罰則があるとどうだろう。

1939年、ドイツ政権はポーランド南部を支配下に置き、各地の地名をドイツ語に変えていきました。

そして、2014年当時ウクライナの支配下にあったドネツク・ルハンサク(ともにウクライナ東部)ではロシア語とロシア文化を排除する動きがあった。

ウクライナ政府による排除行動だ。

ドネツク・ルハンサク地方はロシアとの交流が多くロシアを第2の家と考えている。

ウクライナに属していながら、ロシアとも縁の深い地域なのだ。

「ロシア語を排除せよ!」

ここから、ウクライナ政府と当時は東ウクライナと呼ばれたドネツク・ルハンサク地方との内戦が始まった。

アメリカ・日本の報道の語る「平和」

1939年、ドイツ政権がポーランドの母国語を取り上げた後の行動はそこに住むユダヤ人をアウシュヴィッツ行きの電車へ乗せることでした。

この歴史がある以上、ドネツク・ルハンサクが黙っているわけがありません。

いえ、黙っていてはいけないのです。

日本とアメリカの報道を見てみましょう。

そこでは「ドネツク・ルハンサクをロシアから守り、ウクライナの手に取り戻しましょう」という報道がされています。

そうです。

平和のために。

当然この「平和」に疑問を感じます。

さらには、ウクライナ政府に対抗する勢力であるドネツク・ルハンサクの市民軍はアメリカ・日本の報道空間には存在しません。

この事実がどれほどドネツク・ルハンサク市民のアイデンティティを苦しめていることでしょう。

「俺たちは選挙によって、独立する」

これが私の友人でありドネツクの現地情報を日本に届けてくれているウクライナ人の言葉だ。

ドネツク人

本当のことを言うと、ここで彼をウクライナ人という言葉で表すことはナンセンスです。

彼は自分のドネツク人だと考えています。

しかし、「ドネツク人」と言ってピンとこない方が多いという事実があるため、公の文章ではあえて「ウクライナ人」という言葉を使用しています。

彼らが自分の生まれ育った土地の言葉を守ることのどこに問題があるのでしょう?

どうして彼らが「テロリスト」と呼ばれる必要があるのでしょう?

ひとつの国の中に異なる文化圏が存在することは世界標準です。

それは移民の国アメリカだけの話ではなく、日本における韓国・朝鮮・中国圏、スイスにおけるフランス・ドイツ・オーストリア圏など、世界中のどこにでも見ることができます。

最近、「ウクライナはナチズムを取り入れている」という話題がネット上で見られるようになってきました。

ここに見たように、それは炎上商法でもフェイクニュースでもありません。

今を生きるドネツク・ルハンサク市民の声と、ジェノサイトを経験したユダヤ人の歴史なのです。

これからもドネツクに住む彼は日本における報道と現地との情報差を埋める活動をしていくことと思います。

日本が大好きな彼に対して、我々はどのような態度で今の状況を観察すれば良いのでしょうか。

答えを考え続けること。

安易に白黒つけないこと。

答えをすぐに出さないこと。

大切なのはそこにあるように私は思います。

誤った「平和活動」で犠牲者を増やさないために。

より正確な判断でより「平和な」社会を作っていくために。

今回は以上です。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

以下、ドネツクに住む友人が戦争の始まりについて語った番外編です。

ロシア語を奪われる窮地にどのようなことがあったのか、詳しく解説をしてくれています。

【ウクライナ:戦争の始まり】バナー




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