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『論語と算盤』考察22 逆境のときにするべきこと②

 おばんです(朝読んでいる方は、おはようござりす)。
 次の一万円札、渋沢栄一の著書『論語と算盤』で、僕が気になったところを考察していきます。現代語訳は参考文献を参照しつつ、独自の解釈で訳しています。

  今日は、「立志と学問」の章の最後に書かれてある孟子の格言からの続き。番外編みたいな感じです。

『孟子』より引用(おさらい)

 窮すれば則ち独り其の身を善くし、達すれば則ち兼ねて天下を善くす。

 訳 逆境のときは自分のありかたをしっかりさせ、達成したときは自分だけでなく、世の人たちも一緒に良くしていく。
(『孟子』尽心章句上 九 より)


吉田松陰はどう読んだか

 前回、吉田松陰先生の『講孟箚記』について触れました。せっかくなので、この節を『講孟箚記』ではどう解釈したか、引用しながら見ていきます。

 此の章、大に吾が心を得。因りて繁を厭はず其の全文を挙ぐ。宜しく反覆熟誦すべし。

 訳 この章は大いに私の心を打ったので、めんどうがらずに全文を挙げておいた(この文の手前に、『孟子』尽心章句上 九の全文が引用されている。上記おさらいは、この章のごく一部)。何回も熟読してもらたい。
(『講孟箚記』巻の四中 五月十七夜 第九章 より)

 渋沢栄一だけでなく、松陰先生も激推しの一節のようです。

 吾甲寅以来、身を関するに木を以てし、体を縛するに索を以てす。檻輿三百里を走り、狴犴六百日を渉る。今日禁錮稍ゆるぶと云へども、足門径を出でず、親近の外敢て他人に接せず。亦窮すと云うべし。

 訳 私は1854年から牢屋に入って、身体の自由を奪われた。約1,000キロを護送されながら走り、600日を牢屋で暮らしている。今日、禁錮はやや緩やかになったとはいえ、足は門の外に出ることなく、近親以外の人とは会っていない。これは逆境の身と言ってよいだろう。
(同上)
 然れども其の志に至りては、松本一邑に一二の奇傑を生じ、以て忠孝の首、天下の唱ならんことを欲す。果して義を失はざるか、亦失うこと多きか、自ら信ずること能はず。故に孟子を把りて玩索して其の当否を質さんと欲す。

 訳 しかし、その志に至っては、松本村(松下村塾があった場所)に多くの優秀な人材を生み出し、忠義と孝行を旗頭にして、日本の先駆けになりたいと思っている。しかし、私自身が義の心を失わないでいられるか、義の心を失ってしまうことが多いのか、自信を持って判断することができない。なので、『孟子』をよりどころにして研究し、その義の心を正していきたいと思っている。
(同上)

 獄中にありながら、また、死刑になるかもわからない状態でこのような考えに至っていると思うと、メンタルの強さが尋常じゃないです。


 今回は『論語と算盤』からの格言の引用といいながら、ほぼ松陰先生の思想の話でした。

 次回こそ、渋沢栄一が「逆境」にどう立ち向かったか。著作から考察していきます。

参考文献

↓Audible版『論語と算盤』


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