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『論語と算盤』考察18 アラフォー男性に捧ぐ

 おばんです(朝読んでいる方は、おはようござりす)。
 次の一万円札、渋沢栄一の著書『論語と算盤』で、僕が気になったところを考察していきます。

 今日は、「立志と学問」から、「大立志と小立志との調和」あたりを。


「立志」とは

 渋沢栄一が考える「立志」は、以下のようなものです。

 (大)立志は人生という建築の骨子で、小立志はその修飾であるから、最初にそれらの組み合わせを確と考えてかからなければ、後日に至って折角の建築が半途で毀(こわ)れるようなことにならぬとも限らぬ。かくのごとく立志は、人生にとって大切の出発点であるから、何人も軽々に看過することはできぬのである
(『論語と算盤』立志と学問 大立志と小立志の調和 よ)

 言い換えると、

  大立志…目的、ゴール
  小立志…目標、プロセス

 といった感じでしょう。

 良いプロセスを踏まないと、良いゴールに到達できない。また、良いゴールのイメージを持っておかないと、プロセスがあいまいになる。

 僕は経営計画の専門家なのですが、経営計画をつくるときにも、これと全く同じアプローチをします。プロセスがあいまいということは、経営資源(人・金・時間)を浪費してしまうことになります。だからゴールのイメージ(事業の目的。ここで言う大立志)をしっかり持ったうえで、とるべきプロセス(手段、目標)を考える。
 この手順をふまないと、以下のような感じになっちゃいます。

 しかるにさほどまでの熟慮考察を経ずして、一寸した世間の景気に乗じ、うかと志を立てて駆け出すような者もよくあるけれど、これでは到底末の遂げられるものではないと思う。
(同上)

 現代にもうじゃうじゃいますね、この手の人。


四十にして迷いまくり

 この節では、孔子の有名な、「十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る云々」が引用されています。

 せっかくなので『論語』から引用します。

 子曰く、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。
 現代語訳 先生が言われた、「わたしは十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命をわきまえ、六十になって人のことばがすなおに聞かれ、七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった。」
(『論語』 為政第二 四 より)


 渋沢栄一が考えるに、
 ・立志は15歳〜30歳の間
 ・30歳あたりでやや決心のほどが見え
 ・40歳におよんで立志が完成した
 ということみたいです。

 昔から、アラフォーは一つの人生の転機なんですね。

 僕は40にして「不惑」のレベルに到達できるのだろうか。人より悩みは少ないほうだとは思うのですが、いまだに迷うこともありまくりです。


悩み多きアラフォー

 最近、『反応しない練習』という本の著者の草薙龍瞬さんのオーディブルを聴いていたら、「男の40歳手前は、人生について根本的に考え、行動を起こしやすい時期」という趣旨の話がありました。悪い例えで出てきたのが太宰治、芥川龍之介で、この時期に自殺しています。宮沢賢治は37歳で病死しています(本人が望んだとは考えづらいですが)。草薙龍瞬さんも37歳(38歳だったかも)で、今の地位を全て捨てて単身インドに修行に行ったそうです。草薙さんは今は僧侶で、この年代の人からは、「人生について」の相談がとにかく多いそうです。

 かくいう僕も今月で38歳。マジ良い人生を送っている自信はあるのですが、一方で、やりたいことがまだできていない、思うように言っていないことも当然あります。40までに根本的に改善や解決したいと思っている事柄もあります。やっぱりアラフォーは人生の転機なのか。

 僕は昔から『論語』を読んでいて、十五はほぼ考えてなかったけど、「三十而立」は結構意識してました。実際、「三十にして立つ」的なイベントや立場もそのころ経験してきました。30になる前から「而立」のための準備や努力はしてきて、成るべくして成ったと思っています。しかし、「四十而不惑」が38才の今、全くイメージができない。40歳で迷わずって、レベル高すぎねーか??
 こんな状態で「不惑」の心境にあと2年で到達できるのか?そもそも「不惑」ってどういう状態だ?


 ところで渋沢栄一はこの「不惑」をどう考えていたのだろう?ということで、『渋沢栄一の「論語講義」』という本からひろってみます。

 聖人・孔子が四十にして達した「不惑」の境地は、わたしもどうやら七十歳くらいから手に入ったように思う。六十四、五歳頃までは、他の人からいろいろな説を聞くと、「なるほど、それもそうだ」と信念を揺るがせたものだった。しかし七十歳前後から、まずこのような迷いを起こさないようになった。
(『渋沢栄一の「論語講義」』 為政第二 4 より)

 そうか。渋沢栄一も「不惑」になるまで70年かかったんだから、俺も40歳で「不惑」に到達するのにこだわる必要はないかもしれないな。


参考文献

↑Audible登録していれば、無料で「反応しない練習エクストラ 」というのが聴けます。40歳のくだりはエクストラで聴きました。


『論語と算盤』考察第1回目は↓

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