純粋で孤高で優しい眼差し

“ロバート・デ・ニーロ”という、あまりにも有名な名前を認知するようになったのはいつからだろう。その記憶の吊り糸を辿っていくと、あるお笑い芸人がデニーロのモノマネをしていた記憶にたどり着く。確か小学生くらいの頃だった。恐らくそのあたりに、デニーロという俳優がいることを知った。しかし、そこから長らく、僕の中でデニーロは名前を知っているだけの人だった。

転機が訪れたのは、大学生の時。「ディア・ハンター」という映画を観たことがきっかけだった。1960年代のアメリカ郊外の若者たちが、ベトナム戦争という時代の波に飲み込まれていく様を描いたこの作品の主人公、マイケルを演じていたのがデニーロだった。僕は一瞬でロバート・デ・ニーロのことが好きになった。なぜだろうと思う。

「ディア・ハンター」のなかで、デニーロ演じるマイケルは、寡黙だが皆から一目置かれるリーダとして存在感を放つ。そして、メリル・ストリープ演じるリンダに恋心を寄せている。しかし、リンダは親友ニックの婚約者である。マイケルは決してリンダに手を出そうとしない。いつもリンダのそばで優しい眼差しで彼女のことを見守っている。ベトナム戦争から帰らないニックに対して半ばやけになったリンダは、「一緒に慰め合いましょう」と誘うが、マイケルはリンダのことを決して抱こうとしない。その姿は、とても純粋で、しかし孤独で、哀愁を漂わせていた。

デニーロが演じる役柄は、なぜだかこういう人物が多いような気がする。

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」で、デニーロ演じるヌードルスは、幼馴染のギャング仲間の間で中心的な存在。寡黙だが、皆から信頼され一目置かれている。ヌードルスは幼い頃に恋をしたデボラという一人の女性をずっと心の中に留めていた。彼はその記憶の夢想の中に閉じこもり、刑務所にいる間も、そして出所して現実世界でデボラと再開し、その恋が叶わなかった後も、ずっとデボラとの夢想の中に生き続ける。彼もまた、どこまでも純粋でナイーブで、孤独で哀愁を感じさせる人物だった。

恐らく、僕がロバート・デ・ニーロに惹かれているところは、こういうところだ。こういうところとは、すなわち、寡黙でありながら皆から頼りにされる存在感を持ち、どこまでも純粋で、優しい眼差しを持ち、それでいてどこか孤独で哀愁を漂わせている。それは、一人ひとり演じる人物が違っても、どこかデニーロという人物から滲み出ているものではないかと思うのだ。「タクシードライバー」のトラヴィスにしろ、「キング・オブ・コメディ」のルパートにしても、演じている人物やストーリーでの立ち位置や成り行きは違うのに、なぜか根底の部分には共通するものを感じてしまう。

「ディア・ハンター」で忘れらない場面がある。ベトナム戦争から帰還したデニーロ演じるマイケルは、仲間の元に戻ろうとするが、街につくと、「おかえりマイケル」という大々的な横断幕が掲げられていた。それを見たマイケルは、タクシーの運転手にこのまま通り過ぎるよう伝える。誰とも再会することなく街の裏寂れたモーテルに行くと、彼は暗い部屋の中で涙を流してうなだれてしまう。ベトナム戦争で壮絶な体験をしたマイケルは、街の仲間たちとどのように接していいかわからない。ベトナム戦争に行く前と後では、彼の中で何かが大きく変わってしまった。1分以上にわたり、セリフなしの演技が続く。

とても純粋でナイーブで心優しくかつ孤独なこの姿を見て、僕はロバート・デ・ニーロに惚れてしまったのだろう。



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